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1 再会

物語第三部です

シャイデ花陸から、舞台は一時、中央三花陸のうち、北の花陸---ノーデに場所を移します。



 北の花陸ノーデ

 紫苑海と蒼苑海を結ぶ大貿易港、沿海州きっての大国ウォルファの王都『仙桜』。

 五花陸、五海の総ての産物が集まるという市場で買い込んできた、南国の色鮮やかな果物といかにも子供が喜びそうな包装の菓子を山ほど大きな手提げ籠に詰めこんで、彼女はなだらかな坂道を昇る。

 港口から丘向こうの住宅街に続く、石畳を敷き詰めた路の両側には街路樹が涼しげな影を落とし、行き交う人々の表情は穏やかで、かつ生気を帯びている。歓声をあげながら駆け下りて行く子供たちに、思わず微笑んだ。

 大都市の逃れられない表裏として、この都市の闇の顔も知る彼女だが、ここのような中~下層、それ以下の所謂、貧民街といわれる区域であっても、子供の元気な声の聞ける街である『仙桜』は、健康な街だと思う。

 それは、ウォルファが揺るぎ無いという証拠でもある。

 坂を登りきり二本目の左の小路に入り、突き当りをまた左へ。 

 共同住宅の間に挟まれるように、この辺りではちょっと目をひく、前庭を大きく取った二階建ての館が正面に見えてくる。門には≪真珠の家≫という金属板がはめこまれている。

「……お嬢様?」

 勝手知ったると、呼び鈴も鳴らさず玄関をくぐった彼女は、正面の階段の踊り場のところで上階から降りてきた世話人の一人と鉢合わせた。

「こんにちは。院長はいらっしゃる?」

 柔らかな口調は、いかにも上流階級の令嬢といった風情だ。

「院長室ですわ。」

 かなり大口の出資者の娘と聞いているが、他の出資者たちとは違って、仰々しい前触れもなく、一人ふらりとやってきては、館の仕事を手伝っていったりもする気取りのない人柄を知る女は、気安げな口調で応じる。

「わかりました。行ってみますね。」

 差し入れの籠を預けて、手ぶらになった彼女は迷いない足取りで段をのぼっていく。

 仕立ての良い、いかにも良家の娘らしいドレス。若い娘らしく一部を編み込んで、花飾りがついた簪を挿している。柔らかで優し気な、そんな令嬢である。

 西側の一番奥が、この『真珠の家』と名づけられた孤児院の院長室なっている。ドアの開く音に、を上げた院長は彼女を認めると、おやというように眉を動かした。

「お久しぶりでございます。」

 『真珠の家』の院長は、三十を越えたばかりの女性である。痩せた体を地味な色合いの服に包み、その細面にはあまり表情をうかがわせない……と、年齢以外は、絵に描いたような孤児院の女院長は、立ちあがって彼女を迎えた。

「ええ。変わりはない?」

「定期的に寄付をしてくださる方も増えましたし、これまでに出た子達の評判を聞きつけて、養い親や就職の求人も上向きです。」

「ラシャの方は?」

「わたし、ですか?」

「足の具合、」

「慣れましたよ。雨が降って冷えたりすると、しくしくくることもありますが、まあ、こんなものでしょう。」

 彼女をバルコニーに面した来客用のソファへ促し、院長は執務机に立てかけてあった杖を取った。カツンカツ、カツンカツ……左の義足と右手の杖を鳴らしながら、体を斜めに傾げながら、院長はゆっくり部屋を横切る。

「……慣れない、といえば、ここが」

と、彼女の向かいに腰を落ち着けた院長は腰の左側を押さえた。

「やけに軽いことですか?」

 にっ、と浮かべた太い笑みが、謹厳実直を彼方に連れ去った。

「物騒なこと、」

 困った人ね、と令嬢は上品に首を竦める。

「女の衣装というのは、()()()場所には困らないものよ?」

 まだまだね、と言いたげな返答に、今度は院長がやれやれ、と首を振った。それから目を合わせた二人は、同時に噴き出す。

「――ああ、そういえば、」

 笑いをおさめて、院長が思い出したように言った。

「あなたに来客があるのだった。」

「わたくしに? ――ここへ?」

「正確には、あなたか、デューンどのに。」

「彼はここに顔を出したことはないでしょう?」

 彼女は胡乱げに院長を見返す。

 『真珠の家』が、≪海皇≫と(たとえごく私的なものであっても)つながりがあるというのが、表にでるのは決定的にまずい。

「――だれが洩らしたのか、まず突き止めなくては。それから、場合によっては援助のルートを変える?」

 難しい顔で呟いた彼女に、院長が更に心臓を直撃するようなことを言いだした。

「いまはたぶん、厨房か洗い場の方を手伝ってくれています。」

「! 居るの!?」

「待たせて欲しいというから。手はいくらあってもいいし、手伝ってもらっている。あなたの船が2、3日中に寄港するのは知っていましたし。」

「無用心ではなくて? 私やデューンを名指して訪ねてくるものなんて……子供たちに何かあったら、どうするの?」

 腰を浮かせてしかりつけ、彼女はその不審人物の居場所に行こうと、ディドレスの裾をふわりと翻した。

 お待ちを、と現役時代と変わらぬ冷静な声が、彼女を留める。

「デューンどのの文を持っておりました。」

「彼の文を……、」

 はっ、と言葉を呑んだ。

「宿を紹介するのが筋だったのでしょうが、『仙桜』の治安の良さは折り紙つきとはいえ、土地感もない場所では心細かろうと思いまして。」

「まさか……、」

「<海皇>の館は男所帯だし。なにより、なんと、説明したら良いものか分かりかねました。」

「……名は!?」

 噛みつくように問う。

「『遠海』のカノンシェルどの、」

「それを先におっしゃい!」

 足にからみつくドレスの裾をそれでも優美にたくしあげ、今度こそ矢のように部屋を飛び出していった。


 学校に行かない小さな子供たちの昼食を煮ていた料理番の女は、蹴破るばかりの勢いでドアを押し開く音に、おたま片手に、飛びあがるように振り返った。

「――ニーナ、お穣、様……?」

 勢いと、優雅な身のこなしがチグハグ、だ。

 ぐるり、と厨房を見渡した彼女は、にっこり笑った。

「カノンがここにいると聞いのですけど……、」

「カ、カノンさんなら、さっきまで夕食の芋を剥いて下さっていたんですけど……それ、」

 あくまで、柔らかいが気圧される。くちごもりながら、女が調理台の下に置かれた大きなバケツを指し示す。覗き込むと、きれいに皮を剥かれた芋が水にさらされてあった。

「……これを剥いて?」

「ええ。で、厨房の仕事がとりあえずないから、裏庭の洗濯物を手伝いをしてくると。」

「……迷惑はかけませんでした?」

 気がかりそうに訊ねた彼女に、女はとんでもない、と大きく首を振った。

「最初はねぇ、いい格好していたから、皿洗いも期待しちゃいなかったんですけど。それが、町場の料理をよく知っていて手際もいい、繕い物は丁寧で手馴れている、掃除も骨惜しみしない……と。それから、小さな子の遊び相手から、上の学校に行くための奨学金試験を受験する予定のアルシャたちを教えてくれたり。「真珠の家」の寝台と食事じゃ申し訳ないくらい、くるくる働いてくれて。」

 手放しの誉めようである。

「そう……相変わらずということかしら?」

 ありがとう、と微笑んで、彼女は裏庭に向かった。

 縦横に張り巡らされたロープと洗濯物が、裏庭を即席の迷路に変えていた。小さな子供たちには格好の遊び場らしく、揺れる白い壁を縫うように駆けまわっている。

「引っ掛けて落としたら、承知しないから!」

 怒ってみせる澄んだ声を聞き取って、彼女は足を早める。腕いっぱいにシーツを広げ、爪先立ってロープに向かう後姿に行き当たった。

「……カノン?」

「はい?」

 姿勢はそのまま、肩越しに見返った少女は、あ、と目を見開いた。

「ちょっと、お待ち下さいませ。」

 洗いしわができないようにシーツをぴんと張り、洗濯バサミでしっかり止める少女の手際を、彼女は感心したように眺めた。

「手馴れたものね、なんか磨きがかかってない? 『真白き林檎の花の都』の学校は、こういう下々の家事も仕込んでくれるの。」

 陸の彼女は、お茶も自分で入れない深窓の令嬢暮らしである。

「お茶会の作法は教えてくれますけれど。私は侍女を連れていっておりませんので、自分のことは自分でいたします。さすがに、洗濯は久しぶりでしたけど、天気も良いし、楽しいですわ。」

 誰かに借りたのだろう、洗いざらしの木綿の衣服を着てはいるが、向き直って深深と一礼する物腰はやはり洗練されていて、町娘が一朝一夕で身に着けられるものではない。

「ご無沙汰しておりました。レオニーナさまにはお変わりないご様子で、何よりでございます。」

 慇懃な挨拶に苦笑した彼女は、面を上げた少女をまじまじと見つめ、

「あなたは大きくなった。すっかり娘らしくなられましたね。」

と、感心したように言って、更に苦笑を深くした。

「もう四年ですものね」

 十三歳からの四年間。精神も身体もめざましく成長する時期だ。

「わたくしも、()()()()になっていくのですねぇ。」

「レオニーナさまは、変わらずとてもお綺麗です! 」

「あら、嬉しい!」

 笑って、広げた彼女の腕の中に少女は飛び込んできた。

「またお会いできて嬉しいですわ!」

「私もです!」

 真っ直ぐに合うようになった目線。華奢だが、それはかつてのような中性的な雰囲気を醸すものではなく、少女の柔らかさと儚さを表す。いまは無造作にひとつに束ねた父親譲りである朱金の髪の、日差しに透ける解れ毛が縁取る面は、もはや人々が微笑んだ小妖精の愛らしさではなく、咲き初める花のような風情で人を惹きつける。

 懐かしい、『遠海』の----あの熱い日々が胸に甦ってくる。

 暫くの抱擁の後、二人は木陰のベンチに移動した。風がいい具合だが、太陽は高さを増し陽射しは強くなってきている。

「でも、突然すぎて、吃驚したわ。この時期だと、まだシャイデからの船は少ないのに。」

 晩夏から初冬にかけて、海の風はシャイデから三花陸に吹く。盛夏を迎えんとするいまはべた凪と局地的な嵐が多発することが多く、好んで渡りたくはない時季だ。

「学校も卒業ではありませんよね?  夏季のお休みで?  お供はどちらに? あなたが正使は早すぎよね?」

 ?がいっぱいである。

「あら、でもシャイデからの使節団が来てるなんで情報は全く入っていないけれど?」

 ()()()職務怠慢なのでしょう? と彼女の手下てかが聞いたら、真っ青になりそうな冷えた目で呟くのに、少女は慌てて言葉を返した。

「使節団とかじゃないんです。あの、」

「あら、では個人的な旅なの?  よく、彼らが許可を出したわね?」

「許可は、その、」

「----カノンシェル? まさか、彼らに倣って、」

「いたしません!! 私は私の立場をちゃんとわかっていますし、私を守るために陛下やエヴィが、どれほど心を砕いてくださっているかも心得ています。」

 生真面目な少女に、彼女はあら、と目を瞠って、よしよし、と子ども時代のように頭を撫ぜた。ちょっと照れくさそうに目を伏せた少女は、困り切ったような表情で顔を上げた。

「ただ…その、結果だけみると、出奔してしまっているのかも、しれないんですけれど。」

「…どういうことでしょう?」

 頭上に広がる空には雲一つなく、まるで光の粒をまぶしたような鮮やかな青さである。






次回はまた、シャイデに戻ります。

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