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「翠炎城」7

使い込んだ灰青色のマントの青年は、遠い記憶を揺らす戦の気配を纏っていた。老人の前半生、花陸シャイデの各国がいたずらに戦塵を立てていた頃だ。他花陸との往来(訪問)が『双異翼の柱』の解放によって著しくなると、各国は異国への対応とそれに伴う自国の在り方(立て直し)に注力せざるを得ず、老人の治世の終わりごろからシャイデは、だれが音頭を取ったわけでもなく、凪の状態に入った。実際の凪が必ず終わるように、いままた風が吹き荒れ、つかの間の平穏は破られたようだが…。

 青年は、不思議な立礼を向けてきた。

 四家の当主は跪礼を免れているが、それともまた少し異なる作法だった。既視感に、もどかしく思い巡らしていると、傍らにあった侍従が囁いてきた。

「----あなた様と同じでございます。」

「わたしは()()なので、」

 許しを請わず、青年は顔を上げて、姿勢を正した。

旧例あなたに倣うこれなら、()()()()()()()文句はつかない、と叩き込まれました。」

国王を降りて臣籍に戻るにあたり、やはり同列には扱えぬということで礼法も特殊になった。

「そなたらが影彷か、まるでただの人のようではないか?」

「わたしもまさか自分が影彷になるとはおもいもよりませんでした。」

 敬意は感じるが、畏れはない。影彷になるだけあって?ただの綺族ではないのは確かだ。

 …それに、これは感覚でしかないが、()()()懐かしい。

「…見たことのない印章であった。」

 正確には、その組み合わせが。

「わたしの()()()印章しるしですから。」

「なるほど、それも儂に倣って、か。」

 混乱の怒号は圧を増している。語る時間は少ないようだ。

「界落()と影彷には出来得る限りの庇護を―わざわざ来たということは、この場に希みがあるのであろう?」

 いつ。昔だ。ずっと遠い。どこかで会っていた誰かとだれか…。そう、一人ではない。

 さらりと首を振る。呼び出しておいて、語るものではない、と勿体つける、

 普段なら、下がれと一喝するところだが、その首の角度に()()釘付けになった。

「『凪原』が攻めてきています。」

「避難せよ、か。」

「はい、大公おおきみ。」

と機密で応じてくる。

 表向きは大公(国王の兄弟が臣下に下るときの一代称号)位だが、公文書は「古聖語」の発音をあてて大公おおきみだ。

「できぬ。」

 何かを受け止めて一瞬瞠った瞳が、ゆっくり細まった。

「用向きはそれだけか。」

見据えてくる瞳が、老人の古い記憶を揺さぶるが、拒絶を綴る。

「なれば去ると良い。そなたらが間諜ではなく、影彷であれば、早々に己が時間の内に----そなたは()()()戦場いくさばに戻るがよい。」

 彼ら----彼は避難を勧めてきたが、肯ずることはできぬ。鏡湖と一番近い砦へ早馬は発った。----が、物見の告げた攻め手の人数を前に、しかも城壁を破られており、落城は避けられまい。()()()()()と退けば、周辺一帯を無防備に敵勢に晒す。小さな柵しかならぬとしても、国王を名乗った者として、最後まで国土を守る責を負うのはやぶさかではない。

()()()----我の人生()()()ではないか。」

 誇らしげな響きとなった呟きに青年は黙って一礼し、おもむろにフードを下ろした。同行者(付き人だろう)にも身振りで下ろさせた。なぜこのタイミングなのだろう。影彷の術が展開する前触れかと身構えたが、その時は何も起こらなかった。

「お父様!!」

 乗馬服に厚めのマントを羽織った娘と、娘の乳母で、いまは筆頭の側仕えであるカルララ・フォガサ夫人は孫姫を腕に抱え、四人の護衛がその場に合流した。

「城下に向かえ。ひとまずは青瓦の屋敷に。万が一の場合、南門が近い。カルララ、任せたぞ。」

「かしこまりまして。」

 影彷の青年らはまだ留まっている。老人の面前でフードを降ろした姿に、娘と乳母は当たり前だが不審そうにそちらをうかがった。

「---()()()()のなら、()()()()護衛でもどうだ?」

 影彷が現れた理由を後から推測するなら、幾らでも論を述べられるが、いまこのときには、燕が低く飛ぶのに、明日の天気を思う程度の役立ちだ。 

 ―書き遺す時間はなさそうだが。

()()()、また慇懃な礼だろうと思っての皮肉で()()()

()()()()()()()。」

 老人にだけ見える角度のフードの下の双眸は、その瞬間、星のように煌めいていた。

 

「…どなたですか?」

 不審を露わに、その綺族の女は父親に問うた。

 深夜に突然敵襲の報を受け、頼みの夫は不在。普通の女ならば涙ながらの登場であっても不思議ではないが、そこは大貴族の奥方(娘)というところなのか。----状況を理解していないだけ、ということもあるが。

「傭兵です。」

 深くフードを下ろしたまま、青年が応じた。

「いま、ご領主さまからあなた方を護衛を依頼され、受諾いたしました。」

 わずか老人の眉が動く。依頼ではなく、嫌みだった…だろうが、やり取りだけ取り上げれば、依頼は成立である。

「この()()は、御無礼ではありますが、願掛けなのでご勘弁ください。」

 いやまた、何を言いだした、とガイツは冷や汗を身体状況に追加する。

 ここはサクレだが、領主はクロムダート大公たいこう。『凪原』が《《いま》》攻め寄せてきている。合図をしたら被れ、と言われていたフードの下で、混乱パニックになって上がりそうな心拍を、現役時代の呼吸法で何とか抑えているというのに。

「願掛け?」

「…この依頼を無事に済ませて、ちゃんと妻の顔が見れますように、という願を立てました。」

 一礼する。傭兵…と訝しげに、女は父を見上げた。

「青瓦の屋敷までか?」

「いえ、南門は()()破られます。そちらに向かう意味はありません。---テュレ、はいかがですか?」

「南門が破られるだと!? そんな報告は、」

 折よく(あるいは折あしく)伝令が、その報せを運んできた。恐ろしいモノを見るような視線が突き刺さってくる。

「サクレを陥落おとす計画は、かなり周到に練られていたようでした。火矢を凍らす、という界魔の異能による奇襲を察知することは難しかったのですが、こちらの方は----国の緩みがもたらしたものです。偽造の旅券。武器の密輸。なにより人の動き。残念ながら予兆を見逃した。単純な過失も収賄による故意も、もとを正せば、この時の、これくらいでいいか、これぐらいはいいか、という『遠海』の上も下も浸っていた漫然とした空気に拠るものでしょう。…『遠海』は()()()平和でした。」

 慰めるような響きになった最後に、大公がすっと目を細めた。

 吟遊詩人は、人智以上の力が働いたことを劇的に唄い上げるが、奇策だけで陥落する城と都(サクレ)ではなかった。城が占拠されても、街部が機能すれば、サクレは陥落おちなかった。同時に、街が攻撃《破壊》されて、一夜にしてサクレは敗れたのだ。

「…そうか、」

 老大公は唇の端に壮絶な色を湛えて青年を睨みつけた。

()()、テュレに()()()()()()?」

「わたしの影彷は、()()()()()。」

 逡巡はある。当たり前だ。自分が体験していてさえ、この状況がああなるのかと疑わしい。はっきり説明できない事情が青年にはあるのだろうが、思わせぶりなことばかりしか言っていない。偉い人たちには通じ合う符牒のような言葉を散りばめているようだが、胡散臭い二人連れだ。大事な娘と孫娘を、この瀬戸際に託す? 自分が老大公の立場で、妻と子(まだ生まれていないが)の命を預けるかと言われたら、否、だ。自分が何とかする方を選ぶだろう。

()()!?」

大公孫を抱えた老女が悲鳴のような声を上げた。

「まさか、このような誰とも分からぬ者たちに姫様方を託されるわけはございませんね!?」

「ごもっともです…()()()・フォガサ夫人。」

 応じた青年は、右の手甲を外すと老大公に向かって開いた掌を差し出した。老大公は視線を青年に真っすぐ注いだまま、そろりと掌を重ねた。

「----古き地脈の町(テュレ)。《シンラの門》」

はっとした。

 目の前――いや、始まりのように目の中を弾けたひかりが満たした。身構える時はやはりなく。

 ぐらりと感覚がよじれ----今回は夢の中で、がくりと落ちるようなあの感じが続いた。

「《彼方へ》、《繋げ》」

 奇妙な音律の詞だった。シンラが遺した詞----古聖語----と知るのは後のこと。

 目を開けた時、場所は変わらずにサクレ城の廊下であったけれど、空を切り取って窓をはめた様に奇妙な景色がふたつ現れていた。それは浮かんだしゃぼん玉に写る風景のような具合であった。

「ご気分は大丈夫ですか?  わたしは()()()テュレを知らぬので、大公おおきみの記憶に綺力を伝わせて、彼方テュレをかなり無理矢理に起動うごかしたので。」

  何を言っているのか。共に仕事をしていた時は、同じ言葉でしか話していなかった。

 いったい青年はなにに変わってしまったのだろう。いや、これが本来で、ずっと押し隠していたのだろうか。

「不快ではあるが、問題はない。」

 顔を顰めた大公が、掌を外すのを青年は止めなかった。もう不要ということのようだ。青年は大公の体調を気遣ったが、むしろ自分を顧みてくれ、とガイツはまた息を吐いて動悸をコントロールする。

「これ()、シンラの門、か…?」

 シンラの門、とは、門と呼びはするが、その形に作られているわけではなく、シンラが運んで立てたという言い伝えをもつ立石で、花陸(聞くところによるとシャイデ以外でも)の至る所に点在している。積極的に取り除かれることはないが、殆どのものは苔むし朽ちるに任されて、特徴的なものが、旅行くものの目印になったり町のシンボルになっていたりする。

「…いやいやいやいや?」

 ふたつのシャボン玉の()()、それぞれ立石が()()。水面に映る景色のような様といえばいいのか。

 それでも、とにかくただの古い石のはず…なのに、各々の立石の面は磨き上げられた鏡のように滑らかで、そうして淡く発光しているように、ガイツには見えた。

 

 


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