「翠炎城」5
神代。神族は神船に乗って、この花陸に渡った。そうして混沌から五つの大陸を成し、すべてのいのちあるものを《《空から》》呼び入れた。
ドゥオーン、と、前触れもなく、轟音が空気を振動させて、城が揺れた。
きしんだ天井板から、ばらばらと砂混じりの埃が降り注ぐ。
「地揺か!? 界震か!?」
居合わせた者は、すさまじい音と揺れに身を身を強張らせ、どう続くのかと様子を窺っている。
危急を知らせる新たな伝令が飛び込んできた。
「攻城機を持ち出すとは、『凪原』め。何を血迷いおったか。」
椅子に腰かけ、両膝の間に立てた杖をきつく握りしめたその人物は、忌々しげに言った。
「…デューンはまだ戻らぬか?」
「は、殿。未だ何の知らせもなく、」
「嵌められたか。」
対岸がやけに騒がしい、と一報が入り、ちょうど外出着のままだった彼は
「ちょっと見てきますよ。」
と、足さばき《フットワーク》も軽く、出かけていった。
実質的に軍事を統括して男が不在での奇襲だ。
しかも、
「火矢が凍るだと? しかも人が渡れる、攻城機を設えられる、だと? あり得ぬわ。」
第一線の軍人として生き、総司令としても幾多の戦場に立った。しかし、いまや杖なくてはもはや日々が立ち行かない。攻城機が持ち出された以上、反撃の術のない東側が破られるのは時間の問題だ。雪崩れ込んでくる敵に、この体で立ち向かうことはできない----老いとはそういうものだと分かってはいるが、歯がゆいものである。
2回めの衝撃が空間を揺らす。
「----リーシェリーヌは?」
「お嬢様とお部屋に、」
「身支度をさせろ。」
娘は、こんな時の役には立たぬ。当たり前だ。あえて深窓に育てた娘だ。
子を持つ気はなかった。この隠居地は、一代で王家に返納する心づもりだった。生まれてみれば、愛しさは募るばかりだったが、だからこそ血筋の価値を高める訳にはいかなかった。
鍾愛を盾《言い訳》に、女領主などという苦労はさせぬと公言し領主学には近づけず、自薦他薦の婿がねにもなしのつぶてを貫いた。
素性の知れない男の才を見出し婿に迎えるとは、さすがに器が大きいことよ、と世論が好意的だったのは、王家の意がそこにあったからだ。貴賤結婚でなくてはならなかった。領主の素質を持たせ、相応しい家格の婿を迎えては、自ら、摘んできたはずの「後顧の憂いの種」を蒔きなおすようなものだ。
----どうあれ、幸せであれ、という気持ちが揺らいだことはない。
「念のため、城外に出す。」
支度の命を受けた侍従と、来客を取り次ぐ侍従が交錯する。
「客だと? こんな時にか?」
「デューンさまがお招きになった方でございます。南の傍翼に今夜は泊めるとお申し出がございました。」
記憶の戻らぬ娘婿は、何一つ困らぬように振る舞いながらも、己を探している。近隣での手掛かりはなく、王都で名を馳せてもなんの応えもなかった。それでも、と初顔の遠客を報せるよう城門に通達を出しているのは大目に見ている。
見つからないだろうから。
この名のもとにさんざん触れを出し、家中に、更には婿に入れるにあたっては、表も裏も全ての探索網を駆使してなお、一欠片の情報もない。
他花陸? まだまだ珍しい。むしろ船から降りた痕跡は辿りやすいくらいだ。直近の界落の観測もなかった。
----ただ人とは思ったこともない。だから、手元に置いておこうと決めた。
娘と恋仲になったのはさすがに驚いたが、己が目でみた人物は確かで、そして娘が幸福で、ならば、後腐れがなくていい、と判じたのは事実だ。
必ず、やがていなくなる、と識っていた。それが今なのだとしたら、さすがに巡りあわせが悪すぎる。または我が身の深き業か。
「ああ、東ラジェから来た傭兵の二人連れと言っていたか。城内に招くとは、眼鏡に適ったのか? 」
守備隊に招きたいということだろうか、と頭の隅で思いつつ、迎撃対応に思いを巡らせていたが、
「…その、こちらをお持ちの上、」
困惑が溢れていた。自分の傍仕えらしからぬ動揺を表立たせ方だった。侍従のそれは捧げ持った(おそらくは)印章が原因だろうと見とれた。傭兵だと聞いていたが、実は貴族の微行であったのか。この騒ぎで慌てて、身分を明かして保護を求めてきたのか。
大仰にも、印章は布を敷いた盆の上だ。四大公の印章を預かったなら別だが、そのあたりの綺族ごときに何を慌てているのだろう。しかし、印章を確かめる前に、
「かげろうとして協力を要請すると申されておりまして。」
彼はむしろ、詞の後半に肩を波立たせた。
「…なんだと…?」
棒のように発音したそれ----界落に比して殆ど知られていないため(あるいは混同されている)、侍従には耳慣れぬ言葉だろう。だが、彼は当然知っていた。
古き言葉を当てるのなら『影彷』。別の時間から紛れ込むもののことだ。きっかけは不明----ある界落の研究者によれば、『界震』が引き起こす歪みをきっかけに起きることがある稀な現象、とのこと。界落と異なるのは、界落の事物が必ず実体で、在り続けるのに対して、かれらは陽炎のようなあいまいな様子であったり、いつの間にかいなくなっていたりする。研究もしづらいから、ついでのようにしか扱われないが、理論はともかく、また界落に遭うより人生で行合う確率が低くとも、確かに起こる事実だと、国の上層部に上がった者は弁えていなくてはならない。
何故ならば、かれらが現れた記録は、大きな異変の前触れたるからだ。いや、大きな異変が起きたからこそ、記録が残っているのかも知れないが。
なるほど----異変はすでに起きている。




