「翠炎城」3
※若干の暴力描写あり お気を付けてご覧ください。
沈黙が横たわる。
あー、とガイツは残念なものを見る目で義息を見た。
もっと浅い関係なら、今後の付き合いは考えるところだ。
「お前が、予言の才を身に付けていたとは知らなかった。」
験は担ぐし、シンラの神々への信仰はない、わけではない。綺以上の、シンラの才愛と呼ばれる異能の持ち主たちの記録も知っているし、朱玄公爵が当代では群を抜いて有名だ。シンラの遺跡の摩訶不思議さも分かっている。だがしかし、自分の知っている限り、その欠片もなかった身内が突然神がかったら、それはひくだろう?
「さすがにその芸当は増えてない。」
苦笑いした青年は、扉を細く開き廊下を確かめた。軽く目を伏せて気配を探っている。
「それは過去の事実だ。あんだだって知っている。」
「なに?」
青年は言を撤回する気はないようだった。
「自分の…で、迷ったら洒落にならんからな。まあ、大きく改装はしていないから、いけるか。」
指の合図でついてこい、というのを、ガイツは扉を閉めて阻んだ。
「説明がさきだ。」
「…時間がないんだが。」
「約束だ。」
頑として睨めつけると、青年は扉に背を預けて天を仰いだ。
そして覚悟を決めるように首を一つ振ってから、
「ここはサクレだ。」
「そうらしいな。」
釈然とはしないが、店内に居たのが、突然野外に倒れていたのはたしかな体験である。店の前の道路であっても、花陸の南部中央に位置する東ラジェの高台から、晴れた日にかすかに見える蒼牙山脈の麓であっても、問題なのは距離ではなく変事が起きた事実だ。
なぜ、かは知らないが、シンラの御業に巻き込まれたのなら、そんなこともある…のかもしれ、ない?
「ここはサクレで----」
「おう、」
「・・・サクレなんだが、」
「・・・おう?」
言わないと駄目かな…的な、失敗した子どもの逡巡を感じるが、そこを待つのは大人たるものだ。
「…これから、」
「---なんだああ?」
新たな声が青年の言葉に被さった。青年はすでに扉から背を離して、ガイツと向き合っていたのだが、ノックもなく、その扉は背後で引きあけられて、廊下の冷たい空気とともに、声は響いた。声の主は廊下に立ってこちらを見ていた。お仕着せを着用しているが,ガイツは肩に力が入ったのを感じた。警戒だ。
「まだ外縁部だよなあ。----に、おやだま級のけはいって、いや、ラッキー?」
お仕着せ男は、わざとらしく首を傾けた。
「あんたさん、大公さま?」
「まさか。」
「だよなあ。その見かけで孫がいたら、吃驚だし? 正体不明の婿殿はさっき確保したと聞いたし? じゃあ、男装した大公女殿下?」
「目がおかしいな。」
「だよなあ? おれの目は正常、ということで。」
スウ、と空気が変わる。いうなれば殺気だ。だが、それは一瞬で霧散した。
「あんたさん、だれ? 今日はお客さんはなかったはずだけど? いや、外縁にいるんだから、客じゃないよね? んー、落とし胤系? 苦労してるんだなあ?」
台詞自体に緊張感はないが、背骨をこわばらせる様な違和感がひたひたと波寄せる。
「せっかくだし? これ、使うチャンスってやつ?」
お仕着せ男は腰に提げていた小袋から、妙に慎重な手つきで、掌大の球体を取り出した。透明なソレは鈴だ。鈴のかたちをしているが、振っても鳴ることはない。【狩鈴】といつからか呼ばれているソレは、光る、と知られている。
「初お披露目! いや試運転?」
喜々としているが、自治都市ではあるが、あの時『凪原』に与した『夏野』の支配下である東ラジェの下町だから、ちょっと前には、これ見よがしにむき出しにしたソレを携帯した『凪原』兵と、何度か行きあったことがある。
男はまずガイツに鈴を近づけた。肌に触れるくらいの距離が必要らしい、と聞いたことがある。呼気なのか体温なのか、ガイツには仕組みは窺い知れないが、
「やっぱり、あんたには鳴らないよな。」
今更、言われるまでもなく、そんなことは知っている。ガイツもカルムも、何度か突き付けられ、舌打ちされたものだ。そして、戦の末期には、たいした反応でもないのに、連れていかれた、という昏いうわさが途切れることはなかった。
あのとき、青年は不在であったが、もしいたのなら、どうなっていたのだろう?
「ん?」
青年に鈴を寄せたお仕着せ男は、我が目を疑う、顔をした。青年は、ガイツ同様の、鳴るはずがない、的な顔で鈴を睥睨している。
「いやいや、ないっしょ。」
いったい、どういう出自なのか、不思議な言葉遣いをする。
「えー!? あんたに反応しないとか、おかしいんだけど。----うわ、これもしかして壊れてる? 不良品渡されるとか、大事な日にないんだけど。」
精密機械だから大事に持ってきたのに、とぶつぶつ零している。
「ま、こんなこともあろうかと予備もちゃんと…え? これもだめ?」
もうひとつの袋から取り出したソレも、わずかな光を宿すことはなかった。
「今後の作戦の肝たるアイテムがこんな体たらくってどうよ?」
こちらはお仕着せ男にとって、取るに足りない扱いなのだろう。一人芝居で憤っている。
青年の表情は動かない。
何か反応した方がいいかとガイツは口を開く。
「あー、そもそも、ふたりとも関係がない、から・・・とか?」
「それは、ない。おれにはちゃんと嗅ぎ分けられてる。そうじゃない連中でも回収ができるようにと----かッ、クフッ、」
言葉が途切れたのは、青年が男の首を掴んだからだ。とはいえ締め上げているのではない----左掌を、強く首に押し当てている?
「火鼠、入り込んだのは何人だ?」
それは、ガイツが初めて聞く、命じるものの響きを帯びた青年の声だった。
力を込めている風にはみえないのだけれど、青年が「火鼠」と呼んだ御仕着せ男はひどく苦しげに口をぱくぱくさせ、四肢を突っ張らせている。
「ちゃんと答えろ。嘘だったら、地の底まで追いかけて、団子にしてつるしてやる。」
それはどういう…想像力が追いつかない。ただ分かるのは、青年が所謂、力での尋問に躊躇いがないということだ。
ガイツの現役時代は、旅商の護衛が多く、たまに砦などで盗賊団討伐があった。大きな戦役がなかったに期間にすっぽりと重なったからだろう。
現役のまま、大戦に突入していたら、と考えたことがないわけではなかった。二つ名で呼ばれ、隊長でもあった。傭兵として半生を過ごした身だ。もしかしたら、もっと、名を馳せていたかも知れない----できる、かも知れない。やがては、慣れもしただろう。だが、妻にはさせたくないな、と見たことのない義息の横顔に、身勝手を思い、改めて自分が傭兵であった時期の稀有さを思った。
「はッ、てッ、…なんで、ッ」
「疑問はいらない。どこに、何人、渡らせた?」
青年が押さえているのは首だけだ。それ以外にはまったく触れていない。
さらりとしているが、実は怪力なのか。いや、そも首を絞められて呼吸が苦しいのなら、腕を上げて、足をばたつかせて、あがらうものだ。なのに、火鼠の両腕は下がったまま、足も棒のよう突っ張るばかり。ただ痙攣を繰り返している。
何が起きているのか----様子をしばし観察して、ガイツはある変化に気付いた。
両の手がまるまるしすぎてはいないか?
さきに、自分に鈴を突き付けた時は、やせぎすの体に見合った、節だったふつうの指だった(はず)が、いまはサービスの効いた腸詰のようだ。
足に目を移してみると、こちらも同様のようで、ただ革のブーツ下だから、さらに苦しそうに震えている。
火鼠の四肢の先端----両手と両足を----義息が膨らませているということだろうか?
----どうやって?
「このッ、ば…け…ぉ…のッ、」
「お互い様だろ、界魔?《ばけもの》」
淡々としている。
「いや、傷を直した上、いっぱい喰わせて、夢のような目に合わせてやってるのを、罵るとは良い度胸だ。俺の慈悲深さを崇めるべきだな?」
腕も脚も、もうパツパツで、布が裂けていく音が止まらない。
「よ、よにんッ、」
「それに貴様は含まれているのか?」
顎が痙攣する。肯定らしい。
「箇所。」
喋るタイミングでは、なにかを緩ませているらしい。溺れる者が息を継ぐような様だが、言葉を止めると、水責めのイメージなら、すぐ頭を掴まれて水中に沈められるような具合で、きつくされるようだった。
「----お前が大公を狩る位置か。」
告げられた城の場所から、僅かに何を思い浮かべるような顔をして、青年はそう断じた。
「北東門だけは潰しておきたい、が。ここここに至っては焼石に水か。」
ガイツには青年の判断の根拠がまったくわからない。城の全体図など、ほとんどだれも知らないものだ。
「ここに顔を出さねば行けたかも知れんが。運の尽きだ。」
親指と人差し指で、頤部を抑えているだけだが、火鼠の震えはとまらない。
「さいごに、」
ひっくり返りそうな眼球を見据え、言を継ぐ。
「もう川は渡れるのか?」
苦しいというより、何やら恍惚感を映し出して、火鼠はこくこくと頷いた。
「結構、」
にっこりと青年は笑った。それは、女に見せた方がいいんじゃないか、と父心で思う。
火鼠はさらに膨らんでいく。四肢に留まらず、胴体部分も現れたときの倍では利かない厚みになって、着衣はボロ布に近づいている。ただ、何故か顔には変化がない。
「見つける凪原の輩がお前だと分かるよう、顔はそのままにしてやるよ?」
ずっと感じていたが、台詞が悪役である。火鼠はもはや瞳に焦点なく、ひきつけのように、身体を波立たせる。
音はしなかったが、音が感じられるくらいに、その身体は跳ね上がり、さらに膨らみ、そして、漸く気絶できたようだった。
「…、俺には、よく似た兄はいないからな!」
吐き捨てた詞は、ここに旅の仲間がいれば、納得と爆笑を返したろうが、いまいるのは、床に崩れてもビクビクと不規則な痙攣を続けている身体を(因みに、服はもう千切れきっている)、何とも微妙な顔で見下ろしているガイツである。
「まあ、なんだな、特殊なプレイなあとみたいだから、な?」
寝台から掛布を取ってきてかけたガイツの言を、青年はもの凄く嫌そうに聞いて、ため息で締めた。




