5 死の六角形から その5
「炎砂、あれか!?」
傍らで冬魏が興奮で頬を紅潮させている。
「あれかぁ! すごいな!」
よく見たいと頭を上げようとするのを察して、抑えつけた。
ちょっとした丘のような大きさの生き物が、のそりのそりと歩いている。その見かけから藁竜と呼んでいるあれは、肉食ではないから、比較的初心者の狩りに向いているが、大きさと重さ、何より尾の一撃が危険だ。
「おまえは何をしに出て来たんだ!? 遊山か!?」
鍛錬をつけて戦術も覚えさせた。けれど、彼はまだそれについて本当に分かっていない。
肉や内臓を口にし、皮を使い、角や蹄を加工した道具が当たり前に生活にある。何からできているかは知っていたけれど、それが何なのか、百聞は一見に如かず、とは本当によく言ったものだった。
「狩りに決まっているじゃないか。」
鼻は地面すれすれ、目だけ動かして少年は言う。
自分もかつては初心者だったが、もう少し緊張感とか危機感はあった、と思う。
「あれを狩って、僕は街に戻るんだ。」
「・・一頭じゃ無理だろ。」
どういう計算だと、溜息。
少年の設定額は炎砂のそれよりかなり低い、と逢水が教えてくれたが。
「はしゃぐのは、狩り終わってからにしてくれ。」
「分かっているよ。」
「どうだか。」
長話をしている時ではないのだが、冬魏はに、と笑った。
「炎砂、隗よりはじめよ、だろ?」
「? 確かに貝は貴重だから先に食べるのがいいと思うけれど。」
きょとんときょとんがぶつかった。
「炎砂は・・学校は?」
街からきたのに?と不思議そうだ。
「----そんな年齢じゃなかった。」
初等教育の天院施設に通うのは、そこを出たら働きに出る庶民層だ。中等以上の教育を受けられる階層が学校に行くのは十代半ばからである。
ちょうどその年齢である冬魏がまじまじと同年代の彼女を見ている。
「家庭教師からは教えを受けていたし、砂原では海晴が経典とか教えてくれたし!」
学がないと馬鹿にされたくなくて、きつい顔で返したが、
「え・・じゃあ、炎砂は何をして砂原に送られたんだよ?」
冬魏が眉を寄せたのは彼女がものを知らないということではなかったのである。
「そんな前からいるってことは、親の監督不行き届きこそ問われても、子どもにおとなと同じ責任を問うなんて・・?」
「不文律違反だよ?」
話されるのはいいが、尋ねるものではない。
「うん・・・でも、」
罪の重さは、狩る量で推測できる。
「でもさ・・、」
既に独り立ちして、隊で指折りの狩人と言われているのに、炎砂は腕輪をしたままだ。
「----おれは決闘に負けたんだ。」
話は終わり、と地面に手をあてて、距離を読んでいる炎砂を冬魏は暫くじっと見ていたが、どうにもたまらなくなって、そう口火を切った。
「はい?」
突然の告白に、炎砂は思わず集中をとぎらせて顔を上げた。
「婚約者のいる同級生にちょっかいをかけて、その婚約者に申し込まれた。よわっちいヤツが、窮鼠猫を噛むようなものだから、さくっと返り討ちにしてやるはずが、さくっと負けた。」
「・・はぁ、」
何の告白、と思ったが話はここからだった。
「----で、おれはヤなヤツでさ。家格をかさに着て、そいつにも大方の周囲にも相当ひどく当たってた。虐め、をしていた訳だ。」
最低、とは声に出さずとも眉の動きで伝わったらしい、少年は唇を歪めた。自嘲か?
「決闘におれが勝ったら、婚約者は妾にしてやる。おまえは一生おれに仕えて、常に這いつくばっていろ、と公言した。」
「相手はなんて?」
「自分が勝ったら二度と婚約者に近づかず、今までの非礼を彼女に詫びろと。」
「----人格者じゃないか、相手?」
「・・人望があったんだろうな。おれより。こてんぱんに伸されたおれを見て、そいつ以外のおれが適当に扱っていたやつらも、おれの所業を告発してきた。----おれは賠償金を支払うように命じられて、個人資産を処分しても足らずにここに送られた訳さ。」
淡々と語るのに、どう合いの手を入れていいか分からない。
「親はおれを助けることを拒否した。面汚しは見えないところで死んで結構ということだ。」
「---逢水に、あんたを頼むという依頼があったのだから、そこまでではないんじゃ・・ないかな?」
らしくもなく慰めるようなことが口をついた。
「甘ちゃんなおれがこんな地獄で生き延びられるとは予想もしてないだろうよ。・・って、あのなぁ、つまり、だ。」
炎砂があまりにふぅん、という感じなので冬魏は遠回しな物言いは止めることにしたようだった。
「おかしい、って言っているんだ!」
「おかしい?」
「あんたが、砂原にきた年齢の子どもが砂原送りになることはない。」
と、言われても、実際ここにいるのだが。
「幼い子どもが罪を犯したとして、責任を問われるのは保護者だ。教育と監督を怠ったのだから。そのうえで子どもには矯正教育が与えられて、成果が見極められる。ただ砂原に送り込む罰、なんで無責任な司法判断があるわけないんだ。」
「・・うん?」
正確には送り込まれたのではなく捨てられた、のだが、逢水に連れられて合流した冬魏が通常なのだとしたら、確かに・・違う。
「で、・・炎砂はなにをしたんだよ? 井戸に毒でも投げ込んだか、火遊びか?」
「人を重犯罪者にしないでくれる?」
重い罪を例にされて、カチンときた。
「・・僕は何もしてない。」
「何かしたからの腕輪だろ?」
翠色の、お揃い。
「----連座、」
「はい?」
「内通罪とか反逆罪とか横領罪とか・・親の、」
まじまじと彼女を見て、冬魏は首を傾けた。
「その親は?」
「処刑された。」
「・・・処刑?」
冬魏が心底驚いていることが伝わってきた。
「どこの街だって、百年以上そんな記録は・・、」
「だって、見たんだ! 僕はっ、」
小さな空気窓から、壁にしがみついて。中庭に引き出された両親と上の姉が、断頭台にかけられていくのを。
凄腕の狩人・炎砂ではなく、砂原に投げ捨てられた小さなこどもの声になっていた。
確かにあったことを、ないように言われるのは我慢がならない。
「----炎砂、いや・・名を聞いていいか?」
砂原で名乗るこの名は、御守りのようなものだ。
「おれは、トゥーギ・セゼンタという。」
「セゼンタ、」
幼い記憶にあるということは、名家の一つということだ。
「わたしは・・ジゼル・ユカンテ、」
「ユカンテ?」
すぐに冬魏が反応した。
「数年前に、娘一人を残して、貝毒で一家が死に絶えた・・はず。」
「貝、毒?」
あの日の昼餐がフラッシュバックした。貝のポタージュの白、けれど!
「ちがう! 兵士がたくさんやってきて、父さまと母さまと上の姉さまを馬車に押し込んで連れていった!」
ひっくり返った皿から零れたスープが滴っていく、その白が眼裏に点滅する。
「----ユカンテ家の悲劇を繰り返さないように、その貝は決して食べないように街では通達されて、禁制品だ。」
少年も混乱した目で言を継ぐ。
「その貝からは毒性が発見されたとかで、今は決して市場には出回らない。ユカンテ家の悲劇から、ユカンテの貝として認知されている。」
「そん、なの・・、」
言葉の先を探して、炎砂は、はっと頭を振り上げた。いまは、----狩りの場だ。気を散じている場合ではない、と掌に感じる振動に改めて集中し、藁竜の重々しい響きが変わらぬことにほっとしかけて、大きく目を瞠った。
「! 」
その下にもう一つ・・いや、もう下ではない!
炎砂と冬魏の間の地面が弾けた。反射的に炎砂は少年を突き飛ばし、自分は横に転がって、すかさず跳ね起きる。
せめて背中合わせになりたかったが、完全に分断されてしまった。尻もちをついた冬魏の前に、のそりといる丸いフォルム。
「なんだよ!?」
「 地蟲---丸鎧蟲だ!」
炎砂の左側からボコリと地面と共に跳ね上がる。炎砂の身長ほどの跳躍力で、体をひねるようにして短い尾を前に向け、体当たりで刺す。尾からは強い麻痺毒が分泌されて、動けなくした獲物は取り囲まれて喰われる。
炎砂は上体を仰け反らしながら小刀を抜刀した。丸鎧蟲の攻撃時間は、こちらにとっても最大の攻撃時間だ。その名の由来たる、硬い背中からは刃は通らない。喰うために蟲が腹を晒す瞬間だけが、人が生き延びられる技を発揮できるときだ。蟲の腹を縦一文字に切り裂いて、体液を浴びない位置へと跳び退る。体液は猛毒。万が一、目に入れば失明する。
「冬魏!」
彼との距離は更に離れてしまった。立ち上がっているのは上出来だ。剣を抜いたのも。たとえ、怯えで剣先が震えていても。
「落ち着け。」
落ち着けるはずもない。分かっている。
「飛び掛かってきたら腹を狙え! 焦るな、一体ずつ、よく見ろ!」
習性として、同時には動かない。時間差。それはヤツらの生存本能で、こちらも生存への路だ。
「え、炎砂・・、」
駆け付けてやりたいが、炎砂もすぐに動ける状況ではない。左右から、交互に蟲が跳躍して隙を突こうとしている。
ヤツらは個でありつつ群れだ。どれかが斃れてもどれかが斃せば、群れは残る。
・・人は違う。
炎砂は炎砂。冬魏は冬魏。代わりは、ない。なれない。
「還るんだろ!? あんた!?」
炎砂が二匹目の蟲の腹を裂いたとき。視界の端で、冬魏をめがけて蟲が、次々と跳ぶのを見た。
彼の剣は、いずれの腹にも届かず、避けることもかなわず。
彼に向かって、一匹、二匹・・・押し倒されて、砂の中へと引き込まれていく。
空に伸ばされた手が、痙攣し、落ちて・・・見えなくなった。
どうして、「隗よりはじめよ」か。
そのまま受け取ってください。




