prologue
新春。
『遠海』国王ライヴァートは遷都の詔を発した。
王都の修復は最低限に、「暁」の建設に復興予算を潤沢につぎ込むあからさまな状態であったが、やはりと腑に落ちながらも、王城内外共に、ひどく浮ついたあるいは落ち込んだ空気がせめぎ合うことになった。
新都「暁(仮称)」での待遇について、総責任者である四方公爵に掛け合いたいところだろうが、詔の場にこそ臨席したが多忙を理由に早々に帰途である。
「暁、か。」
「良い名よね。」
聖古語を能く理解する国王の婚約者(暫定)が、薄めた薬湯を眉を顰めて飲みながら合いの手を入れた。
「夜明けの意味だったか。」
その折、古聖語から引っ張り出してきたのは公爵だ。
「うん。」
「『遠海』は遠い海だったな。確かに我が国にとって海は遠いものだった。」
「陛下は海が好き?」
「嫌いではないぞ? 船旅も別に苦痛ではなかった。」
話が飛んだから、少し首を傾げた『白舞』の姫(という設定)は記憶を少し探って、正しい応えを口にした。
「陛下は、蒼苑海を越えてシャイデに帰ってきたんだった。」
よくできました、と言う代わりに国王は目を細めた。
「マシェリカ姫の親しい友であり、マシェリカ姫と同等に我が国のとってかけがえのない恩人である「海皇」のレオニーナ嬢の船に乗って。」
ここは国王の私的空間の棟にある居間だが、いまは人払いをしている訳ではない。誰に聞かれても困らない話し方を心掛けるべきであるが、
「なら楽しみだよね? 「暁」の総督館から街中に向かう時に坂を下りながら海がとても綺麗で、」
と、「暁」を訪れたことのないマシェリカならば語りようもないことをつい口に乗せた彼女に、国王は唇すれすれに指を立てて制した。婚約間近な間柄のスキンシップ、と見えなくもないように。
「・・ごめん。」
小さく頭を下げて、彼女は薬湯を飲み干して表情を取り繕った。
「と、朱玄公し・・えーと、エアルヴィーンが話していたね。」
「「暁」の・・新しい名を決めてくれとエヴィは言い残して言ったが。」
引いた指で己の顎を叩きながら国王は考え込んだ。
国の都の名は即ち国の名前である。王朝が改まる、といって宣言でもあったのだ。
実のところ、『遠海』はとうに『遠海』ではなくなっている。
直系と名乗れる王族は僅か二人、国の柱たる四方公爵はたった一人が総てを兼ねている。古い枠に合わせようとするほど不自然なひずみが生じる。
何とか帳尻を合わせていくことも考えたが、王都大規模界落が報らされたことで、と二人は話し合い、腹を括った。
王都は遷る。そこを同じ名で呼ぶ意味はあるのか。
どうせ苦労は果てしなく山積みなのだから、自分達が始めた新しい国のかたちに合わせた国ならば、せめて甲斐はあるのではないか。
壁際に控えている侍女に国王は目配せを送った。室内から使用人を下がらせてから、国王は彼女が王都な派遣された本来の役割を求めた。
「何か良い言葉はないかな? 暁がつく、聖古語で。」
『凪原』の侵略時に起きた火災では城内の図書館も被害を受けた。職員が決死で運び出した一部の蔵書と焼け跡から発掘された損傷の軽微なものは、当時の司書の一人が『凪原』と渡り合って王宮の一室に置くことを許されたと聞いている。戦後、司書の一人からの分類も何もなくなった本の山を、もう一度整頓し図書館を再建したいという申し出は最もであるとは思ったが、聖古語に堪能なものはおおよそ政務にも長けているから、司書もやむなく別部署で勤務中だ。蔵書を守った報奨として司書長も下さるのなら、と人手不足の現状で仕事を自ら引き受けてくれるのはありがたいが、実際手はほとんど回らないから、その部下として招聘したはずだったが----いろいろ計算違いが起きている。
「たくさんあるよ。」
と、テーブルの端から紙とペンを引き寄せた。
「暁月、暁天、暁星、払暁、暁風、暁霞、暁紅、暁明・・・、」
「ほぉ。」
あまり得意ではないという国王は暁の文字とともに綴られる文字に興味津々だ。
その反応に嬉しそうに笑っていた彼女が、
「暁闇、」
ペンを止めて、言葉を足した。
「ぎょうあん、あかときやみともいうわ。」
「意味は?」
「暁と闇、夜から夜明けに移る時間のこと。わたしはこの言葉が好き。」
「どうしてだ?」
「夜が明ける前の闇が一番深くて、でも必ず夜は明けるから、その闇は光をたくさん抱えて、燃え盛るパワーを秘めている----そんな力を感じられる時間だと思う。」
己の界から突然引き離されてここにいる娘はうっすらと笑う。
「わたしもあの時、なんて深い闇なのだろうと絶望したけれど。それでも、わたしの夜は明けたから。」
----あなたが、来たから。
彼女については「落人き譚」の章をお読みください。




