55 よくある転生少女の転落 その18
4度めは、運命。
「やあ、お嬢さん。」
いつかのように、けれど少しだけ困ったように金の髪の男が呼びかけてきた。彼女は王妃の座に座ったまま、背筋を伸ばして口を開いた。
平坦に言葉を紡ぐ。
「ようこそ、我らの城へ。『遠海』の皆さま。」
『凪原』の白氷妃と並ぶ、花陸の時の時の人である四人の旅の仲間と『遠海』の精鋭を睥睨した。
レーヴェン王は空を見つめて、瞬きもしない。
彼の役割はあと一つだけ。そのために王座に座らされている。
異世界から世界を救う力を秘めて転生してきた主人公----彼女の物語に、この国が舞台として選定され、メインヒーローとして設定されただけで・・・可哀そうに、王子は全部無くした。
王子に責任が全くなかったのか、といえばそうではないだろう。
非の打ち所がない婚約者がありながら他の娘に揺らいだこと、母であるより執政者であった偉大な王太后へのねじれたコンプレックス、将来への漠然とした不安・・。彼の立場は一般的な若者より重いものでは
あったが、その悩みは古今東西の若者がどこかで(形を変えて抱えるものであり、取り返しのつかないものではなかったはずだ。
平凡な、だからこそ堅実な治世を敷いて、歴史書に一行、名が残るくらいの国王として歩み果てられたはずの男は、祖国の終わりの王としてここに在る。
「先年は我らが『遠海』の城にお邪魔し、此の度は『凪原』の城にお越しいただいて、相互訪問なんて友好的なことですわ。」
騎士たちは気色ばんだが、前の四人の顔色は変わらなかった。こんな安い挑発にひっかかっていたら、劣勢を覆すことは叶わなかったろう。
「降伏を。」
定番のまま、男が言った。
彼女は笑う、哄笑だ。
「否、」
彼女も、国王も、男も、仲間たちも。
所詮はおもちゃ箱の中から気紛れに取り出されて引きまわされているに過ぎないから。
彼らも彼女も、己が領分を果たすいまだ。・・なのに。
「なぜ、自分を痛めつけるような選択をする!? きみの夫である国王の願いか!?」
困惑した声が胸に・・痛い。
「界落者であるきみを、国王が利用したのか!?」
そうだ、と言いたい気が、した。
「----わたしが、利用したの。」
微笑う。
冷気を帯びて白く濁っていく空気は彼女の絶望を纏っている。涙は零れる先から凍り付いて、床に落ちて、彼女にしか聞こえない硬い、微かな音を立てている。
もっと話がしたい気がした。けれど、振り上げた掌から鋭い氷片が生み出されて、男の喉元めがけて飛んだ。
盾とも讃えられる二つ名のごとき動きで、叩き落したのは男の背後から進み出た青年。
金の髪に、紅の房を散らした華やかな青年は、朱色に輝く剣を携えていた。これが、朱剣。ならば、青年が朱公爵だ。
軍師ヴォルゼ・ハークと名乗っていた傭兵の素性が四公爵家の、しかも朱にして玄の剣の継承者だった仰天話は籠城していた『凪原』王都をも席巻した。
それをどうして隠していたのか、とか、どうして傭兵と称していたのか、とか、そんな事情は(気にならない訳ではないが)もうどうでもいいことだった。
----この青年がシンラなる男が語った「隠し玉」、本当の、世界の特別。
手慰みに転がしていた狩鈴を取り上げた。青年に向けた瞬間に白濁した。細かな罅が走ったのだ。
大きく目を瞠った彼女は、役立たずになった狩鈴を玉座の後ろへ放り投げて、嬉しそうに青年に微笑んだ。薄気味悪そうに青年は顔を歪めたが、それもどうでも良かった。
記憶にある、キのゲージ。足りないと兄が言った、不足を埋める亖剣の二がそこにある。
「我に捧げよ。」
彼女は彼女の物語を、無心に進めればいい。
「・・お隣さん、たち。」
行き場もなく、城に残っている同胞に呼び掛けた。兵士に偽装していた人型の者は武器を構え、壁に天井に床から、擬態していた者たちが一縷の望みの為に、起き上がる。
「雑魚を足止めしてくれる?」
軍師は双短槍の遣い手と聞いていたから、朱・玄の双剣を遣えばいいのに、青年は朱剣を斜に構えてこちらを睨んでいた。玉座からの短い階段を下りる寸前、肩越しにふと夫を見遣った。視線は合わない。
甘やかに、慕わしく思ったことが、・・・もう、とても遠い。恋することは目的であったけれど、彼がいいと思った心に嘘はなかった。
一歩踏み出すごとに、階段が凍り、大気は白く濁っていく。
バリバリッと青年へ、さざ波から一気に大波となった氷の波が襲い掛かる。炎の盾がそれを砕くが、蒸気は瞬時に凝って鋭い氷柱と形を変えて、また迫る。熱を上げた剣がそれを払い落とし、今度は瞬時に蒸発させた。
力を使うたび、白粉が剥がれるように、あの鱗が戻ってくる。陸に上げられた魚のエラのようにばくばくと開閉するそれは、魚と同じ、何とか呼吸ようとの足掻きだ。
かたちこそ、まだ人の様子を保っているが、内側はもうすっかり別のものに変じた----いや、もうずっと、本当ははじめから、違っていた。
彼女と青年が異能でせめぎ合う背後では、お隣さんと三人の旅の仲間、『遠海』の騎士たちが乱戦模様だ。やはり力強く剣を振るうのだな----幅広の大剣を苦も無く扱う男にそっと目を細めた。男は何とか前に出ようとしているが、お隣さんたちがそうはさせじと次々に纏わりついて足止めをする。
互に瀬戸際の攻防を繰り広げているのに、・・目が、合った。
「もう、終わりでいいだろう!?」
よく通る、王の声だ。
「なぜ、自分を痛めつけるような真似をする!?」
穏やかで、いつも面白そうな顔で、小首を傾げるようにして微笑んでいた男が激昂している。
「----カエリタイ、ノ、」
もう人の口ではないのだろう、零れた言葉は歪な響きであった。
「カエ、ル!!」
他に、どんな願いがあるというのだろう。
「・・白鳥ノカナシカラズヤ空ノ青海ノあをニモ染マズタダよふ・・」
学校の授業で習った短歌が口をついていた。この異世界へ7、突然に自分の界から突き落とされた我々の生きざまに、これほどピンとくるうたはない。
何を、と目を瞠った男の視線が、彼女のうしろへ動いた。玉座。恐らく、だれの目にも留まっていなかった国王が動いたのだ。肩越しに振り返れば、お使いを果たした子どものようにそれを抱えて座り込み、どこか安堵したような表情で頷いた。
ロケットの打ち上げの軌跡のように、キが打ち上がる。
天井が内から外に向かって飛び散った。そして、ロケットの白煙のようには目視できないが、昼の明るい青空が、硝子に細かな罅が入ったように白く変じていく。
界罅。
集めたキではこれが精いっぱいだが。
彼女は、さすがにぎょっと天を仰いだ青年に再び冷気を放つ。苦無のようなかたちに変じた無数のそれを朱の剣が一閃して消滅させる。
彼女には剣術も体術のスキルもない。いまは、様子見で防戦しているだけの青年が攻めに転じれば、あっという間に詰むだけだ。
つまり----潮時だ。
再び、できうる限り、青年の朱を絡めとり、閉じ込める。
これが、彼女のもう一つの異能。
彼女自身が、大きな狩鈴----狩鈴が彼女を模したものといえる----だから、キを貯めて使う、のだ。
彼女は首を前に折る。何度となく繰り返してきた祈りの姿勢だ。
自分が大きくなっていく・・そんな気がした。
青年が----男が、見えなくなる。体が軽くなったと思ったのは一瞬で、あっという間に重くなった。何故かは分からない。罅割れて濁った青が近くなる。宇宙はここにもあるのだろうか、とふと思った。
向かうのは大気圏のあちらではなく、界の向こう。
船であれば界をすり抜ける機能が備わっているそうだが、彼女には見も知らぬものだ。ただ、ぶつかっていくしかない。
ガラス戸を突き破れば、破片が飛び散り二度とは元に戻らぬように、その破片で傷つく人も出るだろうが、もう・・・。
カエリタイ。
彼女を動かすのを、点火させるのはただそれだけで。彼女はぐんぐんと速度を増して、空に触れようとしていた。
これも、あくまで一つの視点です。




