54 よくある転生少女の転落 その17
えすえふファンタジーな感じです。
「美しい姿だな」
と、その男は言った。
東ラジェから彼女を『凪原』王城に運んだ男が再び現れた。
すべてが凍り付いた極寒の部屋だと言うのに、内から鍵をかけて閉じこもった部屋だと言うのに、前触れもなく現れた男はシャツに薄い上着1枚で平然としている。
朱金の髪の、この男を初めて見たのは火矢のほとりだった。
「サクレの騎士、だったかしら?」
物語の中で、まず問うてみる。彼女は小さな円卓に向かって、瀟洒な椅子に腰かけていた。男は一人がけのソファを苦も無く持ち上げて、彼女と正対して座をしめた。
「正確には、サクレ大公クロムダートの娘婿で、『遠海』の王太子と見なされているカノンシェル公女の父だ。名はデューンと呼ばれている。」
「まあ、豪勢な肩書。」
感動もなく言う彼女に、どうも、と男は片眉を上げて見せた。
このモノを核として火矢に橋をかけるのです、とあの宵に父が言った。あなたは聖女ですから祈りなさい、と彼女の祈りを発動させた。
そして男は、一年に渡って氷の橋の中で眠っていたのに、いま平然と立っている。父は、火矢の岸辺で確かに息絶えて、埋葬されたのだ。そして同じ姿で兄が、やってきた。つまり、父がアデル男爵だったようなものだ。名にも肩書にも、意味はない。
「兄・・いえ、父は?」
無事とは思われなかったが、これはジョブだ。
「まだそう呼ぶのか?」
「他にどう呼べばいいというの?」
「ごもっとも、」
と、男は愉快そうに笑った。
「----あなたが、神様?」
この凍り付いた部屋で、ずっと考えていた。
彼らと己とこの世界について。
「神?」
男は心外だという顔をしたが、続けた。
「父が言ったわ、自分は神の下僕だと、自由になるために彼を取り除かねばならないと。」
彼女はそのための、傀儡になった。
「びー明日」なんてゲームは存在せず、乙女ゲームも、恋愛要素入りの戦略シュミレーションゲームも、彼女の行動を規定するための刷り込みだ。
物語の中に転生した事実はなく、彼女は転落してきたのだ、この現実へ。
「そんな前時代的な関係を結んだ覚えはない。我々は円卓についている。私の役割はその主宰にすぎない。」
男の言いようを鵜吞みにする気はさらさらなかったが、追及する気もなかった。そう、と彼女は頷いた。
「キャメロット城の円卓・・・あなたがアーサー王で、父は生けるモードレッドになりたかったのしら?」
男は目を瞠り、膝を叩いて爆笑した。
「・・わたし、そんな妙なことを言った?」
そういえば、あの男にも爆笑された。遠い記憶だ。
「すまん。いや、まさかこの界の底で長く過ごした末に、我らの父祖に纏わる古き伝説の一つについて語る者に巡り合うとは。今になって本当に・・興味深いことが多い。」
この界ではないところの伝説を共有するということは。
「つまり、あなたたちも界落者ということ?」
「それは違う。同じ界に在ったことがあったとしても、」
男は明確に否定した。
「我らはこの界のシンラに為った。」
「シンラ・・森羅万象、」
連想した言葉を呟けば、惜しいなとあの哀れみを込めた調子で呟き返された。
「だからこそ、あれは憐れな夢を見て----そう、あとほんの少しで上手くいくところであったが、君以上の隠し玉がまさかいまこの界に生まれていようとは、・・誰も知らなかった。」
男は、例えば、歴史好きが遺跡を見るような、数値を並べて実験結果を待つ科学者のような、目をしていた。
「----それで、」
立ち上がった。全身を覆っていたマントがするりと床に落ちた。首から上は人の肌だが、デコルテから下は白い鱗に覆われている。伏せ気味にしていた目をしっかり開けば、縦に長い瞳孔が見て取れる。
変化した身を露わにして、彼女は男と相対した。
「いったい、御用事は何? シンラさま?」
「美しい姿だな」
と、その男は言った。
「この界とうまく混じり合っている。」
うっとりとした瞳に映る、己の異形の目から目を反らした。
「----わたしはイヤ。どうして、わたしがこんな目に遭うの!」
この台詞を言う資格がないことは、判っている。
物語ではなかった。界の生命を奪い取る行動をした----いや、言葉を飾るのは止める。殺した。虐殺した。氷の異能で狩鈴で、王妃として。『遠海』も『凪原』も、たくさんの死者を出した。
これは、報い、にもきっとならない。
「わたしも、殺しに来たの?」
「まさか。」
そうだといい、と思ったのに、即座に否定されて、つい唇が尖った。
「なぜ?」
「それはわたしの役割ではないからだ。」
「わたしを唆した父は殺したのに?」
「彼はわたしとの契約を違えたから、取り決め通り、わたしは懲罰の権利を有する。」
「じゃあ、わたしはどうすればいいの!? この姿が知れたら、わたしは追われるわ! 世界のどこにも居場所もなくて、ひとりで、どうしたらいいというの!?」
この世「界」に落ちた初めからもがき苦しんでいた他の界落者達には何を今更で、殺した者たちは生きているくせに、と罵るだろう。
「そうだな・・君もただの界落者だった。」
また、あの哀れむような声だ。
「落下点が不運だった。普通に森の中にでも落ちていれば、すぐ殺されるか奴隷にされるかくらいの不幸で済んだろうに。」
見透かされたと思って、ぎくりとした。
いま、利用されたことへの恨み言もあるが、お隣さんと呼んでいた多くの界落者たちが辿っていた試練を、父の庇護で味わわなくて済んだことには、ほっとする気持ちが強い。
主人公だから、特別・・と確かに驕っていたと認める。
「こういうの、ざまあされる、というんだよね。」
悪役令嬢として追いやったフルーク侯爵家のことなど、思い出しもしなかったのに、にわかに胸にこみ上げた。----あの家もみんな死んだ。いや、殺した。
両腕を交差させて体を抱き締めた。
手の下で、ぴくぴくと口を開く鱗が我が物ながら気色が悪い。いっそ切り落としてしまいたい衝動に何度駆られていることか。
「----東ラジェで放っておいてくれれば良かったのに。あのままだったら、天旋の人たちがきっと殺してくれたでしょう?」
翠の瞳がふと思い出された。
結局、名乗りもせず、名を聞きもしなかった。
ぼんやりと虚空を見ていた彼女の前に本が現れた。光りながら、くるくると回る。見たことがある、と思った。
手を伸ばせば、その時のように彼女が選んだ本が手の中に落ちて来た・・と思ったら、光の粒になって消えた。その粒が彼女の体に纏わって、そうして鱗が消えていく。
両手を見つめ、両腕を撫ぜ、胸もとに触れ、テーブルの上の手鏡をひったくるように取り上げた。
人の顔をした女が、泣きそうな顔で写っていた。
「始めた物語は終わらせねばならぬ。あの男の物語はわたしの物語の一部であったが、君の物語は別の者たちの物語の一部でもある。君たちが、終わらせる物語だ。」
「まだ死ぬなということね?」
彼女は肩を聳やかせた。内心はびくびくしていた。怒らせて姿が戻されたらどうしようと。
「悪役らしく、勇者たちによって盛大に殺される物語が相応しい?」
バッドエンディングでも、エンドロールまでやりきれ、そういうことだと思った。
「それは、わたしの決めることではない。」
しかし、男の応えは淡白だった。
「だって、わたしが勝ったら駄目、でしょう?」
「わたしがわたしを生きるように、君は君を生きる。どうして、その結果にわたしが物を申せようか。」
何者かは知れないけれど、彼の所縁は『遠海』だ。あり得ないと軽んじているのか。
彼女は暫く黙って考え込み、やがて、できるだけ悪女のように小首を傾けた。
「わたしがみんな殺してしまうかも知れないけれど?」
これは新しい脚本だと、納得すれば・・・楽になれる。
父を失くして、右も左も分からない界での最期の助言に縋る。
姿を戻したのも初めから半妖の姿では、物語の盛り上がりにかけるからだ。第二形態とか第三形態とか、やはり定番だろう。
もはやつじつまから目を背けて、いや既に彼女の容量は超え過ぎていた。
「なれば、それが彼らの物語ということだ。」
唇の端がつり上がった。声には磁場があるように響いてきて、いっそ心地いい。これをカリスマというのだろう。
彼女は、ただ、うっとりと微笑む。
「思うように生きるといい。ここからは。」
「ええ、そういたします。」
奇妙に従順な、凪いだ声に男は訝し気に眉を寄せたが、それ以上は言葉を重ねることなく、扉を開けて部屋を出て行った。
「・・・お心のままに、」
彼女は扉に向かって、美しい礼を送った。
「わたしは・・妾はこの物語で正しく白氷妃になるのでしょう。」
アーサー王の物語に、もっとも色どりを添えるのはグィネヴィアではなく彼女だから。
タイトルの一応、回収・・・? もう、随分前から彼女は正気とは遠かった、と思います。




