50 よくある転生少女の転落 その13
瓦解するとは、まさしく坂道を転がり落ちるごとしと思い知る。
王妃の兄----アデル子爵は唐突に行方を絶った。
目の前から彼が連れ去られた、と王妃は半狂乱で訴えたが、侵入者の形跡は誰にも確認されず、一緒にいた国王の証言はあやふやだった。サクレが落ちた時あんなに怯えていた子爵だから、お隣さん(『凪原』では親しみを込めて、いつからかそう呼んでいる)の手を借りた自作自演で逃げ出しのではないかという憶測も飛んだ。しかし、彼らと最も親しく交わっていた子爵の失踪にお隣さんたちにも動揺が広がっており、まるで神隠しのようだと不可解さに慄く雰囲気が立ち込めた。
たかが子爵、たかが一部将である。去就が大勢に影響を与えることはないはずであったが、何もかもがうまくいかなくなった。
偶然?
----いや。
必然、というなら、どういうことなのか。
進軍してくる天旋を迎え撃つ策を献じて国王が裁可する----まず、それが難航した。これまでは、何が効果的なのか、たちどころに共有できて意見をピタリと一致させてきたのに、今回はどうしてか、皆自分の意見に拘泥し、国王は強い口調に押されがちになって、かなりの時間を要して漸く折衷案のような裁可が下された。
先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す、とシンラの古書が遺した言葉のごとく、今まで『凪原』は先手を取ってきたが、それを失った。
占領地の施策も動かなくなり、斥候の精度は恐ろしく下がった。
お隣さんが多く投入されていた部分だが、彼らの多くが動かなく----動けなくなっていった。
ひとと違うところがあるが、ひとに危害を加えることはなく、よきお隣さんである『凪原』に協力を申し出た。代わりに彼らの悪しきお隣さんであるキを狩る。
仲間だと、界魔とは蔑称で、誤解の産物、のはずなのに、お隣さんは突然恐ろしい異形と化して、ひとの血肉を求めて狂乱するようになった。
『遠海』が悪い呪いでをかけたのかもしれないが、その発作はいつ起きるとも知れず、起きれば凡そひとを食い殺して後にしか正気に返らない。
お隣さんが軍の中に居ることへの恐怖が広がり、「友愛を裏切れば」と昔話が言うように、お隣さんたちは姿を消していった。かくして、『凪原』軍を超常のものに押し上げた強力な武器は消えた。
----かくして。
膨れ上がる寄せ手に策もなく、『凪原』軍は王都を捨てて蒼都へ----サクレの橋が失われた今となっては、ただ一つの自国への路である西ラジェの渡し場へ移動した。『遠海』の占領を総て放棄するつもりはなく、命綱として渡し場を確保しておく狙いであったが、天旋の動きが早かった。
王都に入る部隊と蒼都方面の追撃に出る部隊は既に別働していた。
両者の身分の差はあれど、兵から同等と認められる指揮官が二人いるということの強みだ。
蒼都の郊外でぶつかった両軍だが、戦意の差は明らかだった。かつ、情報戦でも天旋が二枚も三枚も上手だった。
後々、数多の書に記されるが、ここでの(も)軍師ヴォルゼの采配はまさしく神眼と呼ばれて異論なきものだ。
西ラジェが取られれば袋の鼠という恐慌に陥らせたのも。
指揮系統を寸断された『凪原』の各部隊が、各個戦線を離脱していったのも。
西ラジェ以外に逃げ込むことのない、ルート設定も。
西ラジェで、限りある船に殺到し同士討ちが起きたこと、また辛うじて出港できても、とても戦えるような積載でなかったこと。
同盟国の建前、彼らを護るために出てきた東ラジェの傭兵団「冷泉」と「紅の鳥」も巻き込み、イドリア湾会戦で、『遠海』援護を表明した紫苑海の「海皇」船団(東方諸国派遣の船を含む)とぶつかり、撃沈されていった。
推進装置がある訳でもないのに、幾つもの帆を組み合わせてた小型の船々は、巧みに風と潮を読んで、まるで猟犬のように縦横無尽に湾内を動き回る。操船を請け負っているのは、中央花花陸の内海、紫苑海で(悪)名を轟かせる「海皇」の熟練ばかりである。彼らの乗船は蒼苑海を渡るに相応の外洋型の大型船舶だから、湾内の戦闘には向かない。この喫水の浅い中型船は、軍師と彼らの姫頭領が協議の上、急遽借り上げ(買い上げ)、彼らができる限りにカスタマイズした。が、そんなことは、『凪原』側の知るところではない。
「国王の船を探せ!」
『凪原』側の船は、積載を超えた人員を乗せて、傾きながら湾を進んでいる。応戦したくとも、浮かんで漂うのが精いっぱいという有様の船が殆どで、いい的になっている。『夏野』と契約した傭兵団の船が何とか護衛しようとしているが、コントロールできる状態とはいえず、各個撃破のような様相だ。
浴びせられた火矢が、とある船に届く寸前、ゴオッと船上から巻き起こった吹雪によって巻き上げられ、海上に散っていった。追いすがろうとした船の帆と、舵が重たくなったと見れば、凍り付いている。
「白氷妃がいる!」
いつしか、恐怖の代名詞となっているその名が叫ばれた。
火矢を凍らせ、サクレに巨大な橋をかけ、天鏡砦を氷漬けにし、王都に時ならぬ氷嵐を起こしたのは、強大な異能を持つ界魔----神魔と呼ばれるレベルのそれが、『凪原』王妃だと今は皆が知っている。
冬季ではあるがこの辺りの海が凍ることはあり得ないのに、追いすがろうとする船を留めるように、氷の波が立ち、舳先にぶつかってバリバリと音をたてた。
「あの、船!」
いつもはふんわりと巻いた髪を、いまは高く結い上げ、細身の曲刀を携えた娘が凍り付いた波の向こうを行く船の甲板に、ベールを被り祈るような姿勢で佇む女の姿を見つけた。
「あそこにいる! 寄れない!?」
「この氷波のせいで、速度が削がれちまってます!」
「何とかして!」
「いや姫頭領、この彼女とまだ付き合いが浅いものですから!」
「すぐに深めなさい!」
「分かってます!!」
頭領の娘に付き従う船乗りたちは、軽口を叩きつつも、彼女の望みを叶えるべく動いている。僚船と合図を出し合い、戦闘をかいくぐり、あちらの旗艦との距離を詰めていったのだが。
「あいつら、正気か!?」
水先案内の男が、ぎょっとしたように叫んで振り返った。
「転進、いや即時停止、衝撃に備えろ!」
『凪原』の旗艦は桟橋に向けて突っ込んでいった。着岸しようという意志は微塵も感じられなかった。船は桟橋と、自分の前方をぼろぼろにしながら岸壁にぶつかって大きく船体を揺らした。その衝撃の波がこちらに向かってきて、船体を大きく揺すぶった。喫水が浅いから容赦なく水を被ったものの、何とか転覆を免れた。
「振り落とされたヤツはいるか!?」
「確認してます!」
余波で大きく上下に揺れる甲板に、すっくと立った姫頭領は大破した船を見遣って、可哀そうにと呟いた。
「ひどい扱いをしてくれる。」
「船乗りの風上にも置けませんや。」
「着岸させても、あれでは降船もままならないだろうに・・む!?」
潰れた前方が白くなった、と目を凝らせば、そこに氷の滑り台が出来上がっていた。
よく見れば、ぶつかる瞬間に氷の盾と周囲を固め制動したらしい。周囲の数隻も旗艦にならって桟橋にぶつかって停船する。
非常識な、と目を瞠りはしたが。
姫頭領は拳を固めて、唇を噛んだ。
----取り逃がした。
この御座船等、『遠海』に居た『凪原』の総兵からすると、本当に少数が何とか東ラジェに上陸した。岸に上がったはいいが、重傷を負って行を共にできない者はその場に捨て置き、彼らは東ラジェを抜けて、国元へと『夏野』国内を北上して行った。
街道を使うことは『凪原』と『夏野』の同盟国としての取り決めであり、『遠海』は東ラジェに上陸して『夏野』内を追撃することはできない。
『凪原』と『遠海』は国境を接しているが、非常識な手段なくしては決して攻め込むことのできない地勢関係だ。
『遠海』が『凪原』を攻めるためには、『夏野』をどうにかしなくてはならない。
宣戦か懐柔か。
どちらにせよ、まず交渉あってのこと。相当な時がかかると思われた。
この時には。




