49 よくある転生少女の転落 その12
一度なら、偶然。
二度なら、兆し。
蒼都を落とし、西ラジェを抑えたことで、東ラジェに通じる経路を確保した。東ラジェから傭兵の確保がよりたやすくなり、婚姻を重ねてきた隣国『夏野』は参戦はやんわりと断ってきたが、東ラジェから『凪原』まで道を使うことは黙認した。
次いで朱都を落とし、『白き林檎の花の都』を事実上の支配下に置いた。
最後は西に向かい全土掌握するつもりであったが、その前に北で反攻の狼煙が上がったのだ。
天鏡砦が解放され、ダユウ、テュレと奪還された。本国と繋がるサクレを渡すわけにはいかないから、戦力の増強を計ったが、潜んでいた『遠海』勢力も集いはじめ、敗戦の報が届いた。
旗印は、現国王(既に鬼籍)の七番目だか九番目だかの、王子。十年近く前に出奔していて、当初話題に上った時は果たして本物かという、疑いの声もあった。
しかし、その王子の下に勝利が積み重ねられ、人が集ってくるのなら、もはや騙りだと貶めたところで意味はない。そして、天旋----『凪原』から『遠海』を取り戻すという----義勇軍の核はもう一つ。王子が剣であるのなら盾と称され、的確な用兵から神眼という二つ名で口の端に上る、ヴォルゼ・ハークという傭兵だ。
こちらについてはどうやら東ラジェの傭兵らしい、という本当に曖昧な情報しか得られていない。
東ラジェの傭兵たちに尋ねても、そんな名は聞いたこともないと口を揃える。全くの駆け出しの才能が開花したのか、引退した老傭兵なのか。
双短槍を能く使う、という情報は確からしいとなったが、髪の色も年齢も未確定だ。
だが、『凪原』という暴風に荒らされ散らされ、萎れてこのまま枯れるしかないと昏い天の下にいた『遠海』の民にとって、王子と軍師が率いる天旋は厚い雲間に漸く見え始めた光であり、サクレが奪還の報には、雲を追いやる風を頬に感じて、こうべを上げ始めた。
対比して、『凪原』の上層部はずっと覚えることなくきた、祖国を遠く離れた異国に侵入しているのだと、ひやりとうすら寒さを背筋に感じた。
その空気を圧したのは、
「橋は・・橋はどうなった!?」
王妃の兄だ。献身が認められて、一妃から位を昇ったのだ。
彼も男爵から陞爵し子爵と為り(御子が生まれれば伯爵もあるだろうと噂される)が、国王夫妻の相談役として重用されているとはいえ、公の場、国王の御前であるというのを全く頓着しない大音声で、急使を問いただした。
「橋は、」
サクレからの使者に問う橋は一つしかない。あの奇蹟の橋だ。
「橋は破壊された、と思われます。」
「どうやってだ!?」
兄は妹を睨んだ。あの橋を創ったのは確かに彼女の祈りだが、運用維持には全く関わっていない。いきなりメンテナンスの責任を問われても困る。
「分かりかねます。」
使者は首を横に振った。
「明け方に突然崩壊した模様です。両岸ともに騒然といたしていましたが、遠眼鏡ではさすがに詳細は掴めません。」
本国からもそれを伝える使者が発ったろうが、かなりの大回りを余儀なくされる。
「だれか侵入させなかったのか!?」
「向こうには綺主が多いようで、悉く狩られているようです。」
これまでとは、逆に。
ち、と兄は舌を鳴らした。
ぶるぶると全身が震えて、汗をひどくかいていることに本人は気づいているのだろうか。
年齢にそぐわぬ泰然とした振舞いしか見たことのない彼の、余りの動揺ぶりに不審な眼差しが行き交う。
「・・あちらにおかしな動きはないか!?」
「おかしな、とは?」
血走った目で睨まれて、使者は困惑するよりない。
「周辺の掃討が厳しく、我らはかなり南へ撤退するよりなく、」
「そうではない、何か・・いや、いい。」
兄は漸く王座を振り向いた。具合が悪いことだけを訴えて、蹌踉とした足取りでその場から出て行った。
サクレ陥落から一月。天旋軍がいよいよ王都の奪還に向けて動き始めたという物見の報告が届いた。
心ここにあらずと伺候もせず会議にも顔を出さず、子飼いの界人部隊と何か動いていたようだった兄が漸く亖剣の間への呼び出しに応じた。
動揺は収まったようで、顔色も態度も、見覚えのある兄だった。
亖剣の間は、武骨で殺風景で、遺跡を見学している気持ちにさせられる場所だ。
王都も、王城も、『遠海』国土のいずれも破壊していいが、唯一、決して手をつけてはいけない場所だった。
----そういう、設定だから。
兄がいれば、どこでもステータス画面をみることができる。だが、それは簡易版だ。
亖剣の間と兄が揃ってこそ、詳細なパラメーター管理ができるようになった。
兄妹とはいえ、王妃たるものが男女二人きりで人気のない場所で会うことは許されないから、このステータスルームには必ず国王と共に入る。
現実的な律儀さだが、国王は彼女の運命の人であるから、扉の鍵みたいなものかも、と彼女は納得している。
だから、国王は亖剣の間では硬そうな石の王座にぼんやりと座って、この時間について何を語ることもない。
外では兄の前に浮かぶ画面だが、亖剣の間では天井から下がっているような巨大なスクリーンとして現れる。
まず映し出されたのは、シャイデ全図だ。『遠海』の『凪原』の色に変わっていた部分が明らかに減った。また、中立あるいは『凪原』寄りの色だった周辺国から、『凪原』の色が薄れあるいは『遠海』寄りの色へと、色が揺らぎだしている。
「・・失敗・・?」
陣地取りゲームでこうなったら、セーブ地点に戻る決断をする。
だが、ここはゲームの中ではあるけれど、仮想ではないから・・。
眉をきつく寄せながら、別の画面を呼び出す。
これこそ亖剣の間でしか見れないパラメータで、丸底フラスコのような入れ物の中に注がれて在る液体のようにみえるモノ----キ、だ。
王都を占領した時には底の方に僅かだったものが、今は半ばを越えた。しかし、
「まだ足りぬ。」
と、今回の兄の台詞も前回と同じだ。
実際、狩鈴の集まりは伸び悩んでいる。『白き林檎の花の都』でも予想より回収できず東ラジェは自治都市とはいえ同盟国内だから目立ったことはできない。
「これでは十分な推進力が得られぬ。」
「推進力・・・」
何の話だったろう、とぼんやりと繰り返した。キ、綺、鬼・・・言葉が頭の中を巡った。
「帰還するならば、」
亖剣の間の兄は、攻略の助言をくれる。
「エンディングのこと?」
「そうとも。」
重々しく兄が言う。
「『凪原』が花陸の覇者となるエンディングが目的ではなかったろう? お前が目指していたのは。お前が選んだ男は、お前のために力を尽くして、お前の願いを叶えてくれる。」
兄は王座に不敬にも手をかけ、人形のように身じろぎもせず中空を見ている王を薄ら笑いに見下ろした。
それから妹を振り向き、言を継いだ。
「『遠海』最後の王子と王女が必要だ。継承者の可能性がある。」
「・・継承者?」
新しい用語だ。
「亖剣・・・『遠海』の四公家がそれぞれに伝えている剣が一本でも得られれば、あっという間にゲージは埋まっていた。当主も、直系たちも、まさか誰も所持していないとは。」
情報を伝えているにしては、やけに忌々し気に兄は言った。
「王家には入らぬように制御されてきたようだが、この状況ならば例外が発生する余地は高い。」
その、とき。
前触れもなく、亖剣の間は蒼白く光った。稲妻のようであり、雲間から溢れた月光のようでもあった。
兄ははっと辺りを見渡し、その不思議な発光に喜色を浮かべたが、瞬き幾つかで、床も壁も天井も当たり前の石の色に戻ってしまった。兄はもう一度それが起きないかとばかりに、玉座廻りをペタペタと触っていたが、何の変化も起きなかった。
「・・・くそっ、」
口汚い罵りに、カツリ、とわざとたてた(と判る)靴音が被さった。
ここに入って来れるものなどいないのに、と兄と妹は怪訝に扉を振り向いたが、扉が開閉した様子はなかった。
----なのに。
ごく近い位置に、男が一人立っていた。
剣も下げず軽鎧もつけていない。来客に何とかそのまま会える程度の平服といい、戦時下の、王城には不釣り合いな身なりである。
年齢は三十代半ばくらい、艶やかな朱金の髪が目を惹いた。
「・・お兄様?」
不審と警戒で顔を強張らせて数歩後ずさった彼女は、兄の異変に気付いた。
兄は、橋の崩落を聞いた時以上に青ざめていた。全身を強張らせ、細かく痙攣していた。
「お兄様? それが道化の役名か?」
侵入者が声を発した。
明らかに嘲りの響きであるのに、聞き惚れずにはいられない声だった。
「!」
兄が跳び上がった。そして硬直する。
「し・・主宰、わ、わたしは・・っ」
「そう呼ぶのか? わたしにあんな真似をしておいて。」
役者が違う、と一見でも分かる存在感だ。
「しかもお隣さん? 我らの紐帯を、随分と軽くあしらってくれる。」
「滅相も・・ッ。勿論、あなた方が人類史における転換点を担われたことには深い敬意を・・ッ。そのため、ついよく似た言葉が浮かんで・・ッ。」
滝のような汗に塗れながら、兄が言い訳をしている。
「すべて、あなたがっ、船を独り占めにして、わたしたちをこんなところに閉じ込めてッ」
「人聞きの悪い。わたしは何も強要してない。良いかと尋ね、肯と口を揃えた。」
洞窟の中のように響く声に、はっとした。
いつの間にか古式ゆかしい石造りの広間ではなく、銀色の床と壁に、青と白の光の線が走る空間に立っていた。
「・・・SF??」
彼女は茫然とそう呟くしかなかったが、兄は恐慌した状態で辺りを見渡した。
「ここへ来たかったんだろう? これからはずっと居られる。願いが叶った。」
祝福の言葉面で、ぞっとする声だった。
「あ、あなたとて、好きに振舞っていらっしゃったじゃないか!?」
捨て台詞のように叫んだそれが、彼女が最期に聞き取れた言葉だった。
喚き散らす彼の言葉は、彼女には理解できない言語になっていた。いや、分かる気もするが、如何せん外国語は不得手だった。
男はしばらく薄っすらと笑いながら兄の物言いを聞いていたが、ぐしゃぐしゃの泣き顔にうんざりした表情になり、小さく指を動かした。
兄の姿は掻き消え、そして場所はまたいつの間にか亖剣の間に戻っていた。
次は自分か、と肩に力を入れる彼女を、男は睥睨した。しかし。
「----不運なことだ。」
憐れみがあった。
突然のそれに、え、と彼女は瞬き、その一瞬にして男はどこにも見えなくなった。
矛盾だらけ?と思われた方、正しいです。




