43 よくある転生少女の転落 その6
卓の上に果物籠があれば、晩秋のいまなら林檎が入っているものだ。
けれど、この籠の中には、両の掌ですっぽり包み込めるくらいの、一見水晶玉のようなものが収められている。
オティリエは、その一つを指先で摘まんで持ち上げた。
球ではなく、底は平らで、上部には紐を通せるような穴の開いた突起が付いていて、内部には細長い棒のようなものがある。ああ、ガラスの製の風鈴かと、注意力が足りない者は素通りするかもしれない。
外見こそ風鈴のような半円だが、底は閉じている。また舌も固定されており、たとえ手にもって振っても音は鳴らない。
出来そこなった風鈴のようなこれを、狩鈴と称す。
持ち込んだのは、グスターフ・アデラ。父だ。
ご機嫌伺いにと、これまで幾度もあったように、オティリエの衣装や装身具は勿論、側仕えの者への品、王や側近たちに渡される品----王宮にたくさんの荷が運び込まれた。
重そうな衣装箱、きらびやかな小箱に詰められた宝飾品、決して割れないように厳重に梱包された異国の貴重な酒、ぎっしりと詰め込まれた話題の菓子や新鮮な果物の箱、次々に下ろされていった。
オティリエ自らが荷物整理をするわけではないから、応接間に迎えた父と、久しぶりに水入らずでお茶を飲んで、侍女や侍従の奮闘が終わるのを待つ。そこで、手ずから運んできた小さな小箱が取り出されたのだ。
「何ですの?」
四方は掌にのるほどの大きさだが、蓋に高さがある。大ぶりの石を使った装身具だろうか。
「----これは、」
出てきたのは硝子の風鈴のような半球体。
「これから必要なもの、じゃなかったのかい?」
足を組み、香茶が注がれた椀を口元に運びつつ、父が言った。
「・・これを? 必要・・?」
「君が僕に頼んできたのに?」
「え・・ええ、そうでしたわ!」
雲が晴れようだ。
「わたしがお父様にお願いしたものでしたわ。。」
「王太后陛下と王妹殿下の御不幸もあって、それは多忙だったろうから、ちょっとぼんやりしてしまったんだね。」
気にしていないよ、とばかりに男爵は微笑んだ。
そして椀を持っていない手を軽く上げると、中庭に面したガラス扉が外から開かれて、大きな衣装箱が運び込まれた。
「検品をしてくれ。」
衣装箱の中から取り出されたのは、若い男。猿轡と目隠しをされ、両手両足も縛られている。オティリエはぎょっと目を瞠る。
「安心してくれ、人身売買はうちの業務にはない。」
「そう、ですね----では?」
「労働で借金の返済をしたいという希望者だよ。」
それが人身売買でない、というなら、なにがそれだというのか。
城に持ち込まれる間箱の中に入れられていたのなら、相当な時間を密閉された空間で過ごしたことになる。ぐったりと動かないのは、衰弱しているのか薬か。
「----普通に、供としてお連れになれば良かったのでは?」
応えはなかった。父は微笑んでいる。
「----試して、ご覧?」
視線に誘導されるようにオティリエは、被験者を希望したという男の近くに立っていた。掌には硝子の半球体。
「----肌に。」
着崩れてはいるが、質の良い服だ。恐らくは貴族の出。商いか賭け事かは分からないが、首が回らなくなったのだろうか。
やや悩んで、腰を屈めると手首の隙間に球体の天頂にたる部分をあてた。
----何も。
起こらない。
困った顔で父を見たが、微笑むばかり。
待つのか退くのか、ともう一度球に目を戻した。、時に。
それが。
----鳴った。
あえかに。
微かに。
けれど。涼やかに。
半球体の中にある細い小さな棒のようなものが震えている。
震えて。
透明だったそこに、いろ、が見えて。
燃え始めのように、ちり、ちり、と。
そして。
瞬く間に燃え、上がる!
半球体の中を、蜜柑色が舐めるように広がる。熱を感じたわけではない。けれど、火を思わせるその色に思わず指から力を抜きそうになった。
「放すな。」
父の手がそれを阻んだ。手の甲を包むこむようにして、球の位置を保たせる。
鈴音を立てながら球の中の蜜柑色は夕焼け色になり、小さな棒の中に吸い込まれていった。舌だけが蜜柑色に染まって、音と変色は終わった。
「朱の係累とか威張っていたけれど・・思っていた以上に傍流ったな。」
頭の上の冷笑。
淡いオレンジの舌から、土気色の手首に、だふだぶの衣装と、
「・・・っっ!!」
悲鳴は、口に当てられた父の掌で、くぐもった息となった。
ぐったりとしていても、普通の、中肉中前の若い男だった、モノは------骨に皮がはりついたような、まるで砂漠で発掘された木乃伊にしか、見えなかった。
「キ、だろう、まさしく?」
後ろから抱きかかえられるような姿勢で、父を見上げた。
「キ。。。」
茫然と呟く。蜜柑色の揺らめきと、萎んだ肉体。
「キ・・鬼、ええ、」
ゆるりと頤を上げて父と目を合わせた。
納得。腑に落ちる。釈然。
胸にストンと。
「どうして許せるというのでしょう、その禍々しいモノたちを?」
決め台詞のような言葉が口をついていた。
「ああ、」
父である男の、とろりと、灰色に翠が煌めく瞳が光ったことを覚えていて、
「世『界』に蔓延るキをことごとく捕らえれば、きっと・・・、」
続いた言葉は、よく覚えていない。
----ほら。
集めていくと、背景の色が変わる演出があったりする・・・そんな感じで、きっと。
ベストエンドに入れると、目に見えれば安堵する・・。
「妃殿下、」
天幕の外から呼びかけられ、オティリエは現在に立ち返った。
「斥候が戻って参りました。」
そんな報せを聞く立場ではないのに、と首を傾げた。
「捕虜を取って来たとのことです。」
「・・分かったわ。」
マントを羽織り直し、籠を下げて天幕を出た。兵士が先導する。
やや進んだところで、アデラ男爵が現れ合流した。
「身分がありそうな男を生け捕ったらしい。」
一般披露の機会になると踏んだらしい。嬉々とした表情は、その捕虜男の姿を目に入れた瞬間に、無になり、その場に根が生えたように棒立ちとなった。
いつか男爵が連れて来た者を彷彿とさせる、目隠し猿轡手足拘束の姿で地面に転がされている。朱金の髪と上等な騎士服は、戦闘の名残で泥と血に汚れていたが、大きな傷はないようだった。
「サクレ守備隊の騎士です。」
引き千切った紋章を雪の上に投げ捨てて、哨戒部隊の騎士は言った。
こちら側で、確保されたという。つまり凍ってすぐの川を、ためらいなく渡ってきたということだ。
この者は以外は、数で押し包んで斃したが、仲間を総て殺されてもこの者は桁違いの強さで抵抗した。
特別な力を発揮するものたちが複数駆け付けて、なんとか昏倒させたが、相当の死傷者を出した。
「オティリエ、」
先に来ていた国王が、籠を下げた妃に気づいて、その品を求めた。
「それで取れないということはないんじゃないか?」
キの期待ができる、と。
オティリエは素直に取り出そうとしたのだが、その手首をがしりと横から掴まれた。
「----だめだ、」
「お父様?」
「っ、なりません。」
こんな、狼狽した顔を見たことがあっただろうか。
「----アデラ男爵?」
「この者はキではありませぬゆえ、」
どうして断言するのかと国王は不審そうに小首を傾げた。
「・・・知己か?」
「とんでもない!」
意識が失われていることを、目を大きく開いて確かめながら男爵は言った。そして、口元を歪めた。嘲笑に見えた、
一転、いつものにこやかさで振り向いた。
「どうぞ、皆様、」
灰色に翠が煌めく瞳が、一同を見渡した。
「ここはわたしとオティリエ妃で十分です。」
何が十分だというのか。この捕虜をどうするのか何も決まっていないし、アデラ男爵に権限が与えられているわけでもない。僭越な行為だ。
立ち昇った反発と不快感は、
「どうぞ、戦の準備を。・・・間もなく攻城機も調いましょう。時が来ます。」
ゆっくりと紡がれた続きの台詞が終わった時には、・・・霧散していた。
落丁した漫画のように。
目を離したドラマのように。
あるべき場面が、スキップした----としか思えなかったのに。
話は終わったと立ち去っていく背を、オティリエは茫然と見送った。
レーヴェンは攻略相手なのに、脇役みたいにあしらわれて----おかしい、と頭の奥がガンガンと鳴る。
す、と父の指先が優しく頬に触れた。両掌で包むようにして顔を上げさせられた・・・。
・・・スキップ。
あるいは、断絶。
忍び込んだ『遠海』の刺客によってアデラ男爵が刺殺され、その場に居合わせたオティリエ妃はショックで一時にして髪と瞳は、銀色に変じた、という。
弔い合戦とばかりに、『凪原』軍は果敢にサクレに攻め入った。
領主クロムダート大公を討ち取ったと、夜明け前に歓声が上がった。悲しみを堪えつつ、国王のために一晩祈っていたオティリエ妃が、感謝を込めて川辺に膝をつき手を合わせたところ、凍り付いた火矢川から彫り出されたように氷の橋が屹立した、という。
彼女が起こした最初の奇蹟、とされた。




