39 よくある転生少女の転落 その2
王太子レーヴェンには婚約者がいる。
彼と同学年に在籍するフルーク侯爵令嬢エルーシアは、まさしく「悪役令嬢」枠に相応しい容姿の主で、幼い頃に女帝(王大后)が定めた相手だ。
昨今の悪役令嬢の属性は、執着系から無関心系に傾いているようだが、彼女は後者寄りに見えた。王太子に情がないわけではないが、未来の王と王妃として、いかに立つべきかという意識が強いようだ。その期待を王太子は、少し重荷に感じている。だから、王太子ルートは、その真面目な彼女ならしないことをして、彼の心を占めていけばいい。
「こんなギリギリに覚えるのはちょっと。」
と、言ってのけた自分に、むっとして、そして彼は興味を覚えた。
このルートのオティリエは、コケティッシュで、庶民的な雰囲気の少女だ。上層のしきたりを飛び越えて、彼のこころ近くに着地する。
フラグを次々にこなして。初めて抱き締められた時、熱く震える体を受け止めつつ、しら、と冷めていく自分が居た。
本当のオティリエなら、知識を生かして彼を得たことに喜ぶところだろうけれど、そのオティリエをさらに上から覆っているから。
ゲーム内なら休日の、三回の自由行動になる時間、街を巡って、協力者を探す。
なんにん、見つけて、なんにん、取り込めたか、それが二部の成否を分ける。ゲームのオティリエは、集めないと悪いことが起こるからくらいの認識だが、自分はゲームエンドに必要だと分かっている。
彼らは、一人では何の影響も及ぼさないが、複数集まることで特殊な効果を有つ。出来るだけ早く集めれば、有利に進められる。
だから。
王太子も、その側近になる貴族子息たちも、思うままに味方になった。
卒業パーティで婚約破棄を告げられて、断罪を受けようというのに強張った頬をみせたものの、けれど、やんちゃをした弟を見るような目をしていたエルーシアに、苛立ちが募る。
彼女も転生者かと思うほどに、動かなかった。彼女が黒幕の虐めや嫌がらせは起こらず、協力者たちが仕組んでくれて、つじつまは合った。
「王太子レーヴェン殿下の王妃となられるオティリエ様を無頼に襲わせ、拉致しようとした罪で、エルーシア侯爵令嬢を拘束する!」
と、声を発したのは、第一騎士団長を父親に持つ王太子の側近候補だ。
エルーシアは動かない。眉を僅かに顰めただけだ。
「悪女は罪を認めておるぞ!」
法務大臣の子息が叫んだ。彼と騎士団長の息子、それから王子の乳兄弟である伯爵家の子息が取り囲もうとする。ちなみに全員が攻略対象者になる。
「ルシア、しゃがめ!」
声が投げ込まれた。そして、少し離れた位置に立っていたオティリエからは、煙のようにも見える細かい粉がまき散らされた。
咳き込んだりむせこんだりする三人の間から、エルーシアが引っ張り出された。
王子の背から思わず身を乗り出した。艶やかな濃茶の髪をした若者はスカーフで顔の下半分を覆っている。
「撤収するぞ。」
軍人のような口調で言う。
「ですけれどっ、」
エルーシアに抵抗はない。知己のようだが、こんな人物は出てきただろうかと、驚きに目を瞠った顔をしたまま、記憶を漁っていた。
「阿呆が言うことが分かるのは阿呆だけだ。」
無駄だ、と言い捨て、エルーシアの手を取ってホールの外へと向かう。
「み、見たか!?」
涙を滂沱のごとく流し、鼻水を啜り上げながら、側近(内定)たちは糾弾の声を上げる。
「あのように男と手に手を取って!」
「淫婦め!」
「間男め!」
ああ、辻褄を合わせるためかと納得した。
姦通という切り札なら、ゲーム通りに彼女を始末できる。むしろ最強だ。
彼女は、拘束されて投獄された後に、追放されて行方知れずになる。
「----レーヴェ様、行かせては駄目です。捕まえてください、もう怖いのは嫌なのです!!」
涙目で訴えてみたものの、騒ぎを聞きつけた騎士団の介入もあって、取り逃がした。
でも、ここで彼女が退場しないことには、オティリエはレーヴェン殿下の妃になれない。側妃エンドはバッドだ。
ならば、と侯爵邸から彼女を連れ出すように命じたというのに、それも叶わず。
「王国の朝陽たる方と王国の守護たる御方にご挨拶を申し上げます。」
王太子と王太后に、フルーク侯爵は一礼を施した。妹と容疑者を連れて来るように命じられていたはずだが、侯爵の傍らで膝を折っているのは、妹でもその男でもない、女性だ。
女性にしては背が高く、長身の侯爵と並ぶとなかなかに押し出しがいい。
「よく来た。」
王太后は薄っすらと微笑んだ。
侯爵は侍従に預けていた杖を受け取り、姿勢を正す。
蒼みを帯びているような銀の髪は、年の離れた妹と同じ。亡き妻との間に息子がいたが、この時期ならばもう亡くなって一年になるだろう。彼の攻略ルートは、その喪失を埋めてあげることなのだから。
人気の高いキャラクターだった。年上の色気があって、辛い過去持ちという属性! 一周目で攻略できるのなら選びたかったくらい。
王太子と側近候補三人のだれかを攻略したデータで、二周目から攻略できる。入学式の朝、図書室でエルーシアと会話をし、彼女と顔見知りになることで、ルートがオープンされる。このルートのエルーシアは、ひどいブラコンで、兄に近づく女たちを片端から阻止しており、オティリエにも嫌がらせの限りを尽くす。それを乗り越えて、オティリエは傷ついた侯爵の心を癒すのだ。このルートのエルーシアも断罪される。彼の息子を見殺しにしたことが、明るみになって。そう、この彼女は病弱だった彼の息子が発作で苦しんでいるのを放置して死なせたのだ。
「御心をお騒がせして申し訳ありませぬ。」
王太后は応えなかった。
王太子が、ずい、と進み出た。
「エルーシアは!?」
「体調を崩しており、とても外出できる状態ではございませぬ。」
動じない応えが返る。
「----悪行がバレたからか!」
「悪行とは?」
王太子を見据えて、唇の端を上げた。
「婚約者を捨ておいて、別の令嬢をエスコートして夜会に出ることでしょうか?」
「、!? ・・な、!?」
王太子は言葉に詰まって、それから目じりをつりあげた。
「婚約者がありながら、他の男を屋敷に引き入れて、寝室をともにするような女だからだ!」
「___誤解があるようですな、」
低く、男は言った。
「妹を御理解いただけなく、残念です。」
そして、連れの女性の手を取って、王太后へと向き直った。
「陛下、本日まかり越しましたのは、我が妻の御目通りを願うためでございます。」
女性は伏せていた顔を上げた。榛の瞳が、ゆるりと巡らされ、騎士団長の息子の上で止まった。に、と麗しく化粧した顔には不似合いな太い笑みが浮かんだから、訝し気に若者は見返し、そしてようようと血の気を引かせていった。
「おまえ、エルーシア様の間男か!?」
「いやだなあ、その言い方。」
「そんな女装で、尊き方の前に上がるなど不敬きわまる!」
「尊き方の前だから、身なりを調えてきたのだけれど。男装の方が身に馴染んでいるんだけどねぇ。」
肩、胸、背中を露わにし、美しい曲線を描く腰を強調したドレスは、性別を明らか過ぎるほどに示している。
「女友だちとして、よく一緒に出掛けたし、互いの部屋でお茶をしたり、一緒の寝台でたわいもない話をすることもあったよ。年の近い女同士、よくあることじゃないか?」
「・・そ、その方は、平民だろう!? フルーク侯爵が平民の奥方を迎えるなど、」
「養子縁組の書類は受理されている。」
王太子への返答は、王太后からされた。
「母上、いきなり特例を通すなど、」
「誰のせいだと思っておる!」
母は息子をはっきりと睨んだ。
息子の背に庇われるようにして立つオティリエは、見たくもないというように視線はすぐに外された。
本当なら、フルーク侯爵の管理不行き届きを糾弾し、拘束されているエルーシアの赦免を願う侯爵をすげなく追い返して、オティリエに優しい眼差しを向けるところ、なのに!?
「妻の看病あって、息子の体調もよくなって参りました。更に体を丈夫にするには田舎の空気が良いと妻は申しております。」
----息子も、生きて、いる?
「わたしは再婚ですし、式は身内だけで領地で挙げ、そのまま領地に留まりとうございます。」
「許す、」
当主か、その跡取りと見なされる者は、どちらかが王都に在住することが不文律だ。
虚弱だということで、息子が領地に退くなら、跡取りは妹ということになるのだろうか。婚約がなくなったから、女侯爵もありだが。
「王太后陛下がお命じになるのなら、彼女は侯爵妹として王太子殿下の即位式に立ち合うでしょう。」
「義娘になるはずであった令嬢を、見世物にするような情けなしと、国内外に知らしめよと?」
言葉面は侯爵へのあてこすりのようであったが、ひどく疲れ果てたような響きであった。
「此度の、王太子レーヴェンとフルーク侯爵令嬢エルーシアの婚約の破棄は、王家の都合である。」
「母上!?」
声を上げた息子を、また一睨みで黙らせた。
「エルーシアには一切の瑕疵がない旨、公文書を発する。」
侯爵は深く頭を垂れた。
「…娘と呼ぶのを楽しみにしていたのだけれど、」
小さく独り言ちた女帝が、オティリエに目を向けることは、きっとずっとない、と判った。
ルフェードの死亡フラグはたくさんあるようです。




