37 悪役令嬢だったかも知れない、ある夫人のこと
さすが『遠海』国王の初めての誕生祝賀会ということか。中広間前の中庭も会場の一部として調えられた。
中庭に通されたは功ある騎士階級や商人、あとは国内の低~中層の地方貴族である。明明と灯りが灯され、料理と飲み物に、中との区別はない。
国王がそろそろ結婚を考えているらしい、とそれとなく広報されたためか、未婚の娘を加えた参加者がことのほか多い。広間の内の、上層の姫君方は王妃も夢見たりするのだろうが、遠目に見えたら幸運くらいの中庭で、そんな夢見がちだったらなり危険な人物である。
なので、ほとんどは身の丈に合った相手を探すべく、あちらこちらで引き合わせが行われている。
「華やかですわね。」
その様子を参観しながら、取り分けて来た料理をお手本にできるような優雅な手つきで口に運んでいる女性がいた。既婚で、子どもたちはまだ幼児の部類であるから、まったく気楽なものだった。
「広間にも入ろうと思えば、伝手はあったのだけれど?」
仕事相手に挨拶して戻ってきた夫は、グラスを揺らしながら言った。
「不相応ですわ。高貴な方々の間に交じるなんて、畏れ多くて。ゆっくりおいしいものをいただいて、華やかな様子を眺めているだけで楽しいですわ。」
「もう少ししたら、前の方へ行ってみないか? うまくすれば、朱玄公爵を遠くにでも拝見できるかも知れないよ。」
舞台や吟遊歌で有名すぎる、伝説の人物を一目でも見たいと願うのは人情というものだ。そのため、広間との境には人が集まって、集まりすぎると警備の騎士に散らされる、ということが繰り返されていた。
「そうですわねぇ。」
興味はあるが、人ごみは億劫だとばかりに、女性はそちらを見遣った。
「トゥータもミナシェも土産話を楽しみに待っているだろうから、」
『遠海』の英雄たちの物語に夢中な長男とお姫様の童話が大好きな長女の顔を思い浮かべて、女性は頷いた。
す、と夫に手を取られて動き出す。商家の若夫人である女性が身に纏うドレスは、王宮の宴に相応の上質なものだが、とびっきり、というわけではない。広間のご令嬢方の勝負服に比べたら、家用くらいな差がある。
にもかかわらず、華やかな裾が見えるような美しい所作だった。
国王と『白舞』のマシェリカ姫、英雄同士のダンスが終わり、入れ替えとばかりに中庭からの観客は散らされたところだったから、最前に陣取ることができた。夫は上機嫌で囁いた。
「ついているね。」
ダンスの2番手は朱玄公爵である。王太子である妻と踊るべきだが、未成年であるカノンシェル王女は宴に参加していない。
国王の婚約者探しという宴の(隠し)趣旨からすると、上層の姫君たちと彼が踊ってしまえば、推しているようなってしまうだろう。お年を召されたどなたか、と予想したが、公爵が引っ張り出したのは、どう見ても下級地方貴族の娘だった。
酷なことを、と女性は微かに眉を顰めた。
「どなたかご存知?」
夫に問うたが、商売柄顔の広い彼も知らないようだったが、周囲に声をかけ、あっという間に情報を収集してのけた。
「リール子爵家の令嬢ユーディラ様だそうだ。」
成人したばかりくらいの年若い娘は、明らかに緊張で顔を引きつらせながらも、堂々たる踊りっぷりだ。公爵のリードが良いにしろ、なかなか肝が据わっていると見た。
「お知り合いなのかしら?」
「いや、」
周囲とにこやかに会話を続けながら、夫は女性のほしい答えをくれる。
「いま先ほど、偶然ぶつかった後、申し込まれたらしい。」
物語のようと、広間でも下座に分布する(ユーディラ嬢と同じ層の)令嬢たちがうっとりしているが、身分をかさにきた横暴ではないかと女性は冷ややかな目をしたものだ。
「・・怖いよ?」
夫に揶揄うように言われて、女性はあら、と頬に手を当てて微笑みを作った。
そうしているうちに、くるりと綺麗にターンが決まってダンスが終わった。音楽が止まって、シンとなる広間。拍手が鳴って、周囲に向けて一礼し、下がる。一つの流れだ。
----あれは、学園創立祭の舞踏会だったか。
ファーストダンスの時には、妙に間延びしてから薄い拍手があって、その後、彼女と踊った後は拍手をする場合でもないのに、突然盛大に拍手が鳴らされた。
朱玄公爵が連れ出した地方貴族令嬢は見事に踊り切ったが、賞賛することが公爵の意図に合うのかと見極めようとしている、間。
つ、と女性は顎を上げた。思い切り手を打ち鳴らす。夫は一瞬ぎょっとしたが、直ぐに続いてくれた。
「あんなところで、よく頑張りましたもの。」
ねぇ、皆様と周囲に屈託なさそうに微笑めば、そうだというように拍手の波は下座から上座に向けて渡っていく。
その波の中を、公爵にエスコートされて、令嬢はこちらへと戻ってきた。恐らく両親だろう男女のそばに迎え入れられるのを、広間との境から今度は追い立てられる番になった女性は肩越しに見遣って微笑んだ。
ここからは誰もが自由に踊れる時間だ。広間の方の伴奏と音が混じらない位置に、中庭の楽団席が設置されていて、早速演奏が始まった。
「久しぶりに踊るかい?」
「ええ、」
夫と続けて二曲を踊ったところで、彼はまた商売仲間に手招きされていた。彼女も同行しようと思ったのだが、横合いから宜しければ奥方と一曲、と夫に申し出がかかった。君さえよければと彼は言い、高揚した気分だった彼女はその手を取ることにした。
ステップを踏み始めて気づいたが、黒と朱糸を混ぜて織った生地の上着は、金の縁取りもされた豪奢なものだ。栗色の髪をした、同年代だろう青年は中庭の客とはとても思えなかった。
摘まみ喰いでもしにきたのか、と胡乱を浮かべてしまった目は、咄嗟に伏せて隠した----が、隠しきれなかったようだった。
くすくす、と青年が頭上で笑い溢した。
「悪い遊びにお誘いしたりはしないよ。ちょっと、一曲踊ってみたくなっただけだ。」
「・・・光栄ですわ。」
「今日はどちらからお越しくださったのかな?」
「夫は『果南』で商いをしております。」
東方諸国と括られる小国群の一つだ。意外そうな空気を感じとって、そっと上を見た。不思議な目の色だと思った。琥珀石の中が揺らめくように、光の加減で朱く見えたり青く見えたりするのだ。
「・・北の方の出身かと思ったよ。」
落ちて来た言葉に、どきりとした。
「髪と瞳のせいですわね。よく言われます。」
慎重に表情を動かす。
「わたしの知人は北の国の出で、いまはかなりくすんだ色だが、若い頃はきっと夫人と似た髪の色だったろうと思った。目の色も近い。」
「わたしの出を言うなら、五侯国ですの。『白き林檎の花の都』で夫と出会って嫁ぎましたわ。」
「そうか。」
青年はあっさり頷いた。曲は終わりに近づいている。婚約者か夫婦でなければ、続けて踊ることはあり得ない。
終わりの一礼。それではと、彼女は夫の方へ踊りの輪を抜けようとした。
「勇敢な御夫人、お名前をうかがっても?」
許可の口調だが、明らかに命令の響きだった。
「・・・クルーフェ・セィロ、夫はローガン・セィロですわ。」
----青年は名乗らなかった。
名を変えて、国を出ることになった時、十八になったばかりだった。
古い侯爵家の二女に生まれ、王太子の婚約者と為り、王妃として夫を助け血を繋ぐ役割を果たす。自分の人生はとても単純であったはずだ。
兄の伝手でたどり着いたのは、『白き林檎の花の都』の「宿り木」学院。憧れの学び舎での生活は、故国で一度学園生活を送っていたのに、それとは全く違う、楽しさで毎日が輝くようだった。
学問のレベルが高いことも充実の一つであったが、ただの一女学生には、何の制約もないのだ。侯爵令嬢として王太子の婚約者として次期王妃として、十重二十重の枷に戒められていたことに気づかされた。
順風満帆な学校生活は、その祖国が他国へ戦争を仕掛け、その戦禍が一気に花陸を覆いつくす中、二年足らずで終わりを告げた。
所縁がなければ、遠い、北の国の一貴族の消息を知る術もない。二年の間、故国で---実家で何が起きたのか、そこに至って漸く知ることができた。
有り難くない偶然による。昔馴染みと、ばったりとアヴァロンの道で出くわしたのだ。後から知ったのだが、『遠海』出身者を引き渡せと、アヴァロンの根幹を揺るがす使者として軍を率いての来島であった。
騎士団長ラルキエ・プレゼート。いずれは父の後を継いでその地位を得たいと夢見ていた彼は、二十年近くも早く夢を叶えたというのに、ひどく顔色が悪く、同い年であるというのに十も老けて見えた。
他人の空似では、と空々しい一点張りに、それならそれでいいと投げやりに応じて、独り言として、似ている女性の家族について語って聞かせた。
時ならぬ火事で当主と妻と息子が死んだというというおぞましい話に、目を血走らせて拳を握って硬直している彼女から目を反らしたラルキエは、ややして懐から拳大の丸い何かを取り出した。
「指先でいいから。」
触れろということらしい。ガラスでできているのだろうか、つるりと指が滑る。
「鳴らない、か。」
ほっとしたように笑った顔は、少しだけ学生時代を思い起こさせた。
「直ぐにここを離れた方がいい。これが鳴らないなら連れて行くことはならないが、もし、あなたがここにいると知れたら・・妃殿下の反応が分からない。」
玉をしまって、代わりに取り出した手帳の一枚を千切って「通行証」を書いた。
「・・どうして、」
敵、だったはずだ。あの男爵令嬢に肩入れして、王太子の正統な婚約者を悪女と罵った。
----これは、罠か?
「さあ。」
侯爵邸に乗り込んできた時の、ぎらぎらと感じられるほどだった生気はもはやない。
ましてや戦時下、その最前線にある将軍とは思えないほどの枯れ方に、首を捻るよりなかった。
会話はそれで終わり、他人を貫いたままの挨拶をして、その横をすり抜けた。
「----どこで、違えたのか・・」
乾いた呟きが、耳の底に残っている。
彼の通行証は結局使うことなく、『果南』出身の同級生が、ちょうど帰省するために借り出していた船に紛れ込ませてもらって出島した。島を取り囲まんと、『凪原』の旗を掲げた軍船とすれ違う。止められることはなかったが、首の後ろの毛が逆立つような、奇妙な感覚は船団が見えなくなっても暫く続いた。
海のない国であった『凪原』はどうやってあんなに軍船を、この短期間で揃えたのだろう。
----知らない、国だ。もう。
そして。
かの国の王妃になるはずだったエルーシア・フルークも、もう本当にいない。
船に乗せてくれた『果南』の同級生こそが、夫だ。戦時中、息子と娘を一人ずつ産んで今日に至る。
手紙が届いたのは年も押し迫った頃だ。今年もあちこち駆けまわっていた夫も、年の暮れは家に腰を落ち着けて、家族で穏やかな年の瀬を迎えようとしていた。
「『暁』から、花見の宴へのお招きだよ。」
なんでまた、とソファに仲良く並んで腰をかけた夫婦は手紙をふたりで覗き込んで、訝し気に目を合わせた。
「勇敢な御夫人とその夫君って、お招きの主はきみだし!」
「勇敢なって、どういう形容なのかしら。」
女性に付けるもの?と不服そうに呟いて、ふと記憶に引っかかるものを覚えて、顎に手を当てた。
「----『遠海』の王都で、」
踊る機会を得た人から、確か、そう呼びかけられた・・・と思う。
「「暁」のお披露目、かも知れないなあ。」
「----応じるの?」
「君さえよければ。「暁」への出入りはまだ自由に、という訳ではないから。長旅にはなるから、子どもたちも連れて。」
「・・そう、ね。」
「暁」は旧『凪原』領内だ。
「春なら、気候もいいし。・・・少し寄り道もできるかしら。----花を手向けに。」
ためらいがちに言葉を紡ぐと、夫は微笑みながら頷いた。
漸くの、心の整理の果てだった----というのに。
泣き笑いの、怒濤の再会までのカウントダウンは始まった。




