36 とある侯爵令息が語るだろう
「! !? 義母さま!?」
父から承った仕事を済ませて広場に駆け付けたフェルドが見たのは、父の腕にすっぽり収まっている、在りし日を写し取ったような、その姿だった。
茫然と立ち尽くした少年の気配に気づいて、彼女が振り返る。まだ、大きなお腹をしていて、男女というものが少し識った少年が青ざめた。
「ルフェ!?」
父の手を振り払って、彼女は少年の傍に走り寄ってきた。
「大きくなった!」
屈託なく、そう笑った彼女の本当の名は、マシェリカ。『遠海』---いや、シャイデの生きる伝説、天旋の発起人のひとり。
だから。理解できないことも、その身には起きるのだそうだ。
時間を遡り、ウィアトルとして過ごし、また本来の時間へ戻って、自分たちと再会した----生まれるはずだったきょうだいも、彼女の時間はここでは一月しか過ぎていないから、また生まれていない、という。
そんな馬鹿な、と思われることを、四方公爵が関わるのなら、ある、のだと情報を共有することになった「暁」の幹部たちは真顔で肯定した。
やはり英雄ともなると、そんな超常も当たり前なのかと、感動した目で義母を見たら、頭痛を堪えつつも、微笑ましいとばかりに抱き締められた。
「いいか、おかしいのはぼくではなく、あいつ・・朱玄公爵だけだからな!」
と、念押しされた。
マシェリカ嬢が、ウィアトル・シカなのは絶対の秘密だ。
偽物の、あるいは身代わりのマシェリカは国王陛下の婚約者候補として王都に居る。それが誰かは教えてくれなかったが、暮らしていた王都では、おふたりは大変睦まじく、新年にも正式に婚約が発表されて、成婚されるだろうと、上下問わずの噂話であった。
自分の名前を誰かが乗っ取っているわけで、そして普通に考えれば。
領地があるわけでもない、名ばかりの侯爵夫人より王妃の方が出世だ。しかも、国王陛下は父よりもずっと若くて、姿形も精悍で、旅の仲間だから気心も知れている。
「----いいんですか?」
「いいとは何ごとだ。ぼくには侯爵しかいないし、可愛い子どもたちを置いていくなぞお断りだ。」
のろけられた父は、生温かい目で見てくる同僚たちから目を反らして、けれどためらいなく、妻である彼女を抱き締めていた。
義母は、再会の一月ほど後に、ルフェードと同じ瞳の色の、彼女と同じ髪色の妹を産んでくれた。
笑みながらも、涙の止まらない父子に、呆れたようで照れくさそうな顔をしていた義母は、
「・・絶対、嫁に出すまで健やかに育てるからな。」
と、よく分からない決意を表明した。男二人の微妙な表情に、
「それくらい、ちゃんと成長させるという意味だ。」
傍らの小さな額に唇を寄せる姿は、女神のようだった。
「勿論、何においても愛おしむが、」
「健康で幸せに育つように、ぼくもすごく可愛がるけれど、」
もう、手元を離れる未来まで考えるのかと複雑に目を交わした父子に、
「----嫁に欲しいなら、おれを倒していけ、的なことになりそうじゃないか、ふたりとも!!」
からかうように義母は笑って----三人で、小さな命を囲んで笑って。
幸せな、空間があった。
永遠に失われたはずの。
「今度こそ、」
息子の頭を撫ぜ、娘の頬に触れ、後悔を込めて言う父に、安堵し、そして受け容れる。
終戦後旧王都に発った父は、リグリュンらとは一緒に戻って来なかった。きっと、還ってこない。そんな気がした。
しかし。
朱玄公爵の招聘に応じて「暁」の執政官となった父は、「白梟」時代の憎悪と復讐に駆られた激情はどこにもなく、穏やかに少年を見守り、遺漏なく職務をこなす冷静さを欠くことはなかったが、乾いた目をずっとしていた。
ぎりぎりに張りつめた水面は溢れて・・・空っぽになった。満たされるあてはなく、器はひび割れて砕けるのを待つ、ような。
----、怖かった。
でも。
いまは、ただ嬉しい。
父が喪われる予兆は掻き消え、失った義母がいて、得られなかったきょうだいを得て。腕の中に、夢と希望が抱えきれないほどだ。
「ルフェードもウィアも、この子も何としても守る。わたしが父であると胸を張って言ってもらえるように、お前たちに相応しく生き抜く。必ず。」
いま、総てが調ったこの幸福感が、四方公爵のせいだというのなら、感謝と尊崇を幾ら捧げても足りない。
いつか、その方のために命を捧げたとしても、決して釣り合わないほどに。
思いもよらず長くなった「暁」での休暇を終え、騎士団に戻った少年は名をルフェードに改めた。同時に、平民から貴族へ転籍した。年が明けて、十五になったら見習いから準騎士へ叙任されることも内定した。
貴族(または騎士)の家の子の昇格としては早くも遅くもない。平民身分ならばあと二年は後ろだが、(それは差別というより、入団前の下地が異なるための配慮である。)、例外は無論あり、恐らくファルドはその例外の範疇にいたので、結局はすべて予定内だ。
仲間たちの反応は気になるところだったが、お屋敷暮らしをしていたのは、七歳くらいまでだというのに、
「お坊ちゃんだろーなとは思っていたし、」
と、言われたのはちょっと納得いかないでいる。
「平民でも貴族でも、四方公爵閣下の最側近の一人の子息であることは同じだし、」
つまり。特に反発もなければ、驚きもされなかった。
ただ。
「いずれ広く知られるまで、特に団内で知らしめる必要はないだろう。」
という騎士団長の助言もあって、玄公の義妹の義息子になったことは黙っている。
出産祝いだ、そうだ。
「話は大きいほど、目くらましになる----んだとか、」
父は眉を寄せて思案を巡らし、義母は呆れたように目を瞠っていたが、即断であった。
「アダルヘルムは頼もしい夫だが、アダルヘルムとルフェと、この子を守るものは多い方がいい。・・あいつは計算高いが、情けなしでは決してない。また、うまくやれるさ。新しい付き合いでも。」
戦友同士の信頼に、父が拗らせて、義母にあやされるのを生温かく見守ったことの方が、その時の強い記憶だ。
この決断が、どんな未来を一家にもたらしたか、それを語るまではまだ時が要る。この時には、少年は家族からの手紙と休暇を心待ちにしながら鍛錬に励む、一人の見習い騎士だった。
番外かとも思いましたが、ルフェードの物語にもとりあえずの結末をあげたくて書きました。




