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33 春にやあるらむ

「・・アダルヘルム・・?」

 記憶が、還って、きた。

 あちらで、無くしていた分も、こちらで、無くしていた分も。

 すべてが一気に自分の中に納まったから、マシェリカは少し呼吸を乱した。

 数か月前に別れた夫は、数年分(恐らく六年ほど)年を取った姿をして、呆然と彼女を見下ろしている。

「うん、出来過ぎだな。」

 暴漢に襲われたところに割って入った人が、生き別れの夫であった! なんて。

 でも。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「・・まぼろしか?」

 信じられないものを見る(思考停止した)目で、震えながら上がってきた手を、がし、とマシェリカは掴んだ。びくりとして振り払おう(逃げよう)としたが、逃さないと力を込めて、むしろ引き寄せた。

「幻でも他人の空似でもない。」

「ウィアトル・・?」

 逆の手に握っていた杖が滑り落ち、からからと石畳に転がった。空になった手が頬にそえられる。

 懐かしい温もりと大きな手の感触に、彼女は心地よさそうに目を細めて頬を摺り寄せた。

「うん、侯爵。」

「---火事で、骨も残らぬほどに焼けたと?」

「うわ、やり過ぎた。古い家だったし、空気も乾燥してたからか! 思ったより回っちゃったか。」

 顰めた眉に、瞼に、目じりに、頬を辿って唇に、瞬きを忘れた視線を注ぎながら、かさついた指が辿ってく。

「どうして、今まで、どこに、なにが、とういうことなんだ」

 問いただすというより、混乱を言葉にしているに過ぎない。

「あの夜は、()()()()()()()つい一月ちょっと前のことなんだけど、侯爵にとっては()()()()()()?」

 変な台詞だと思うが、大事な確認だ。

「----六年だ。まだ戦の最中で、わたしは兵役先でお前のことを()いて、そのまま軍を()けた。」

「うわ、無茶したね。」

「燃え落ちた屋敷を見て、どうしてもっと早くそうしなかったのかと思った。」

「----ごめん、」

 謝っても取り返しはつかない。男がどれほど傷ついたのか----悲しんで()()のか、翳った瞳から伝わってくる。

「ぼくは、その六年前から、ひと月前へと戻ってきたんだ。そして、ぼくは五か月前から、あなたたちの九年前に迷い込んでいたんだ。」

「・・なんだって?」

 ()()()理解しろ、というのは、鳥の囀りを人語にしろというのに等しいかも知れない。

 自分(当人)だって、引き金と原因は(エヴィのせいと)推定しているが、仕組みについてはさっぱりなのだ。

「ぼくはきっと、この子をちゃんと産んで幸せにしてあげられる分岐(未来)を探して、()()()()()()()()のだと思う。」

 男の目が、彼女の大きなお腹に下りる。

「・・六年前だぞ?」

「一月前だと言った。」

 泣きたい気もしたけれど、笑う形に唇の端を上げた。

「でも、信じられないのが普通だと思うし、それでいいよ。」

「ウィア、」

「侯爵がちゃんと生きていてくれて、こうして会えて・・嬉しい。」

「・・ウィア、」

「ルフェードは? あの子も勿論無事だよね!?」

「ああ、王都駐留の騎士団に見習いとして入っている。」

「レイドリックのところってこと!? いつから? 知ってたら、もっと前に会いに----いやだめか、戻ってきたぼくじゃないと、分からない訳だから・・ああ、もうややこしい!」

 おどけた風に肩を竦めてみせた。

「ウィア、」

「暫く、暁で世話になる予定だから、生まれたら報せてもいいかな。顔を見てくれたら嬉しいけど。だめ・・かな?」

 握っていた手を放して、彼女は体を引いた。二人の間に空気が入って、寒くもないのにぞくりと体に震えが走った。

再会の興奮が過ぎれば、現実が見えてくる。

 当たり前に月日を積み重ねてきた彼に、自分はどう見えているだろう。

 そう。

 六年ぶりに再会した妻が、大きなお腹をしていて、()()()自分の子だと信じられる人間がいるだろうか。

「図々しかったかな。侯爵の奥様に悪い・・よね。うん、・・会えて良かった。ぼくはこんな風に元気だから、えーと、心配かけていたと思うけど、それはごめんなさいで、」

 もっと、はっきり喋れる人間だったはずなのに、出てくる言葉が支離滅裂だ。

 六年も行方を絶って、他の男の子を身ごもって現れた軽薄な女だと軽蔑しているに違いない、と思うと、身が竦んでしまう。

 証明はできない。見えているものがすべてだ。

 遠巻きにしている観衆(ギャラリー)に目を流せば、エディラと目が合った。困惑を浮かべつつも、彼女は二人のもとに近づいてきて、男に向かって膝を曲げて礼を取った。

「御無沙汰しております。ヴァルティスさま。夫がいつもお世話になっております。」

「リセリオンの御内室、このような災難に巻き込まれて不運だった。お怪我は?」

「ございません。・・シカさま、大丈夫ですか? 肝が冷えましたわ。体調は?」

「特に。」

「馬車を呼びに行かせますから、今日はもう戻りましょう。」

 駆け付けて来たエディラの侍女が、石畳に転がっていた杖を拾い、男に差し出したが、彼は大きく目を見開いたまま、ふたりを等分に見比べていた。

「エディラ夫人、あなたは今日、確か、」

「はい。夫の頼みで、こちらの方のお買い物にお付き合いしておりましたの。公爵様さまの大事な方だから粗相がないようにと申し付かっておりましたのに、こんな騒動に遇わせてしまって、」

「いやいや、エディラのせいじゃないよ?」

「でも、カフェに参りたいと申したのはわたしですから、」

「ぼくもここでいいと言ったから、おあいこだ。」

 まあ、とエディラは笑って、

「機会を改めて、またぜひ。」

「うん、」

 女同士は、ほのぼのとしたやりとりを交わしていたのだが、男は大きく息を吐いて、食い入るように彼女を見つめた。

「、閣下の客・・つまり、」

「エディラ、馬車で待っていてくれる? ぼくは、彼ともう少し話をする。」

「----承知いたしましたわ。」

 聞かせられないことがある、と察した夫人は、所在なげに杖を持ったままの侍女とともに一礼して再び離れて行った。

「ぼくの名前はマシェリカ。『白舞』のシハク伯の長女。」

「・・四英雄の、白き御手、」

「ライヴァートの誕生の宴に招かれて王都(セテグ)に向かう途中、立ち寄ったテュレで薬草採取中に行方を絶った。」

「聞き知っている。」

「おおよそ四か月後に、この(状態)でテュレで倒れているところを発見された。行方を絶っていた間のことは()()()()()()()()、」

「・・ああ、」

「『白舞』に戻ることはできないのなら、「暁」で過ごすと良いとエヴィが言ってくれて、」

「・・いずれ愛妾に迎える女性のために、屋敷を準備して(環境を整えて)くれと閣下からは申し付かっていた。」

 平坦な声で、男が言った。

「うん。恙なく離婚を進めるために、どうせ偽名だし貸してもいいかとは思って。借りは返したいし。しかも、目くらましにもなるし? ほら、マシェリカはいまライヴァートの婚約者候補をやっている()()()()()?」

「知っている」

「すごいな、侯爵。かなりの機密事項だろうに。リセリオンより上っぽいし、あ、『凪原』の出で重用されている人がいると風の噂で聞いていたけど。」

「閣下に拾っていただいた。」

「うん、エヴィの見る目は確かだよ。」

 褒めるというか、事実を述べたに過ぎないし、どちらかといえば彼を褒めたのだがが、男の目が暗く光った。

「今は、全部思いだしたのか?」

「すっきり、だよ。いやあ、あっちに行って忘れ、こっちに来て忘れ、我がことながら、老いたあとが心配だ。」

 あえて軽く言ってみたが、じりじりとした視線が痛い。

 マシェリカとして、過去に行っていたらどうなったのだろうか。戦争は止められたのか? 

 −−−−侯爵邸には長居をしなかったに違いない。つまり、彼をよく知ることはなく、恋うこともなく、この子を授かることもなかった。

 彼女は腹に手をあてて、目を閉じた。

「…座りなさい。」

 エスコートしてくれる手が、やはり優しい。

 ここ(いま)にこの子と戻らねばならなかった。だが、そのために彼と息子を悲しませ苦しませたのは本意ではないにしろ、責任は取らなくてはならない。

 側にいたいなと、たった数ヶ月の空白の自分が願うのは、烏滸がましい話だ。

 だから、この手は諦めよう、と思った。

「ぼくはあなたに会えて嬉しいしルフェにも会いたいけど、目障りと言うなら、甘んじて受ける。すぐは難しいけど、エヴィはどこか別の場所を用意してくれるだろうし、」

 強く、けれどお腹に負担がかからないように抱き寄せられて、マシェリカは瞠目した。

「・・・だめだ、」

「えーと、侯爵?」

 据わりきった目で、男は笑った。

「おまえは、わたしの妻なのだからわたしの側に居なくてはならない。」

 


 




 




 

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