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32 雲のあなたは

【律は溶けよ】


 足止めをせずに、一緒に逃げた。

 追いかけて来た舟から、舟に乗り移られて。義息子は刺殺されて湖に捨てられた。声は喉で凍り付き、呼吸もうまくできないまま。

 首を絞められて意識を朦朧とさせている自分に、厭な笑みを浮かべて伸し掛かろうとしてくる男の映像()!

 ()()()()()()()()、切り替わる。


【律は解けよ、】


 義母上、と呼びながら走り寄ってきた。

 目を見開いて湖面の下に消えた顔は、無事に合流できた安堵の笑みに塗りつぶされて消えた。

 舟で逃げ切り、義息子と合流できた。

 盗賊団の大半は始末できたが、非常時とはいえ過剰防衛をならされて追及を受けるのは避けなければならない。屋敷には戻れず、別の町へと居を移した。

 リグリュンを含む支援者たちが徴兵等で戦に駆り出され、少しずつ生活が傾いていく。

 そんな中で、娘を産んだ。

 嬉しくて幸せで、義息子と額を合わせて笑った。

 必ず侯爵に会わせようと誓った。

 のに、食糧事情が悪くなり、食べられない体は乳を出さない。青白い頬の娘の顔。

 家計の為、町で募る日雇いに出ていた義息子が、その帰り道で悪童たちにひどく殴られて、瀕死の状態で運ばれてきた。

 どちらも微かな息をする娘と息子を抱き締めて茫然と天井を見上げて----、


【律を繋げよ】


 はっとした。

 娘も義息子も、痩せて健康そうとは言えないが、生きている。()()、は王都に近い別の村だ。

 ----そうだ。移転(うつ)ってきたのだ。王都に近ければ、少しは治安が安定しているだろうと、危険は織り込み済みで。

 戦は終わる気配が、ない。

 『遠海』へと侵入した兵は追い出されたが、()()()()、停滞している。

 ----夫の消息は絶えたままだ。

 種まきの時季はとうに過ぎたというのに、殆どの農地が手つかずのまま。雑草を風に揺らしている。耕作したくとも人手も農耕馬(牛)も戦に連れていかれてしまった。

 荒廃は国を蝕んで、滅びにただ身を任せようというのか。この村に彼女たちを迎えてくれた領主は何とか暮らしを保たせようと努めている様子だが、そうでない場所も多い。そういうところから逃げ出してきた余所者が村はずれに住みついて、盗みを働こうとしたいや働いた、と村の自警団と揉め、その急づくりの掘っ立て小屋が燃やされて、追い出されたのが先日。穏やかだった村は、外を攻撃することで目の前の不安を押しやりたいということに気づかず、浮ついた威勢を纏っている。義息子も自警団に登録されて、毎日見回りに駆り出され、今日は浮浪者を叩きのめしたと正義感で()()()()()で報告してくる。

 国は民を虐げ、民が民を虐げ、蟻地獄のように決して這い上がれない、底へと雪崩落ちていくしかない()()が続く。その顎にかみ砕かれるのが、遅いか早いかだけだ。終わるしかないのに、王都---王城はもう随分と何も発していない。

 むずかる赤子をあやしながら、王都がある空を見遣った。

 未来が、見えない。この子の、息子の。

 何もできない今日がまた過ぎていくのが悔しくて、唇に力をいれたその時、空へと一直線に昇っていく光の航跡を見た。

 何、と身を乗り出して。


 ()()()()が、空を地を、全てを、呑み込み----()いた。

 あとには、(くう)、あるのみ。


【律を調えよ】


 夫が見えた。

 知っている夫よりも少し年を取って、艶のない灰色と白の髪をして、とても疲れているようだった。礎石を残すだけの場所に腰をかけて、何かを待っているようだった。

 けれど、あたりには誰も居ない。遠くに視線を巡らしても、人の気配は感じられない。しんと静まり返った、墓場のような----いや、墓場よりももっと生気がなく、草も木も枯れ果てて、乾ききった空気が砂埃を緩く動かす。

 誰が来るというのか。

 彼は俯いていた顔を上げる。その視線を追って、マシェリカはぎょっと目を瞠る。

 空が()()()()

 見回した地面が、あやふや、だった。

 鍋に入れて火にかけたバターのように、どろりと形が崩れて混ざり合っていく。石も土も木も大気も、彼も。

 バターがやがて透明になるように、すべてが融けて、空となる----これが、・・・。

 融界。その言葉が過ぎる。

 ()が、消えて、しまう!!

  目の前が、軋んだ。雑巾を絞り上げるような、紙を握りつぶす寸前のような。

 熱で溶けたような歪んだ硝子を二枚重ねたような、朧な視界だ。

 そして。

 天を仰ぐ姿勢で固まっている男の名を呼んで、彼女は必死に硝子を叩いていた。

 向こうが()()()()()()()()()()()()

 このまま終わるのか、とぎりと唇を噛んだ。その傍らを、後ろからきた()()が通った感触はあった。懐かしい気配というのか、()()()()

 ----エアルヴィーン。

 振り返る暇はなかった。

 力がぶつかった所に蜘蛛の巣のように罅が走り、砕けた。窓の外に身を乗り出すようにして、男に手を差し伸べる。

 彫像から人に戻った、しっかりと彼女を瞳に映した男が戸惑いつつもこちらへと手を差し出す。指先が触れ、絡み合うように指先を結んで----、。

 

【新たな律と在れ】

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