28 月や昔の月ならぬ
予想に反して国王の反応は薄かった。
公爵からの書状を平静に読み終え、「御苦労だった」と「暁」の一行を労った。
書状は横に置かれ、建都の現状や人口(移動)の推移、治安問題などの実務的な応酬が、国王と「暁」の政務官を前にして、王都と「暁」の文官同士が報告と議論が行われた。
半日がかりの折衝が終わり、「暁」方の事務方と共に辞そうとしたとき、国王から声がかかった。
「ヴァルティス、これからの予定は?」
「息子と夕食を取るだけですが、」
「それは邪魔できぬな。では、午後の茶に付き合わぬか?」
茶の時間にしては少し遅いが、休憩なしでやってきたから不自然ではない。
「・・・ご相伴いたします。」
正式な登用だが、実質的には公爵の陪臣のような立場だ。国王の誘いに否を言えるはずはなく、給料の内、と諦めのように承ったが、ふと周りを見れば、まずは驚愕の視線だ。
「行こうか」
と、国王は気楽に誘ってくるが、驚きを一過すると、背にぶつかってくるのは、敗戦国の平民が公爵に次いで国王にも取り入るかという、蔑視を含んだ嫉視だ。
「お供いたします。」
面白いとばかりに、にこりと笑った。
それで凹むような神経はもとから持ち合わせていない。微笑みを浮かべて、国王の後に続いていく姿は、この城内のだれよりも貴族然としていて、残された王都文官一同は訝しく、呆気に取られて見送った。
旧『凪原』で、(撫民のために)朱玄公が採用し、首席の政務官として重用している平民・・のはず。朱玄公爵の供としては何度か王都に来ていたが、随行の事務方として静かに控えているだけの印象であったのに・・・この存在感はなんだろう。
と、違和感が警戒感にすり替わるのに、資料を片付けていたリューンは誇らしさ混じりの危惧を覚える。
国王に対するのに相応しい振舞いを、と律儀に行動するから、地が出ている。
ざわざわした空気が、こちらに飛び火せぬうちに退散することにした。
目の前に設えたワゴンの上で、侍女がティーカップに、同じティーポットからお茶を分け入れた。左を、と国王が指示した。侍女が目顔をヴァルティスに向けるのに心得て、自分の前に置かれた茶碗を持ち上げて、一口二口飲み、ソーサーに戻した。厨房での毒見が済んでいる焼き菓子を取り分け、ヴァルティスに異変がないことを視認したのち、侍女たちは退室していった。
「陛下は政務室の方々とお茶の時間を楽しまれたりはされないのですか?」
国王付という最高峰の侍女の振舞いは洗練されていたが、物見高さは消せていなかった。
「男と差し向かいで茶を飲んでも全く癒されない。」
いま同席している相手への嫌味とも取れたが、
「それは貴重なお時間をありがとうこざいます。」
恐縮せず、さらりと返した「暁」の政務官に、国王は目を瞠った。
カップを持ち上げる手も、口元に運ぶ角度も、受け皿に戻して声を出すタイミングも----手本にしたい流麗さだ。
国王も含め、この王城のだれもが敵わない振舞いでいることを、果たして男は分かっているのだろうか
『凪原』の王都から連れてきた、と公爵は言った。戦時中に抵抗組織を率いていたことは知られていないが、こうやって取り出してみれは、明らかな異質さ。
「それで・・ご懸念は何でしょうか?」
「懸念?」
国王は首を傾げ、ああ、と破顔した。
「おれがエヴィの妾に対して、質問攻めしたうえに難癖をつけるたがっていると。」
「ええ・・ご心配かと。」
「大事な皇太子の夫の不品行な行いは気にするところだが、」
執務室から懐に入れて持ってきた手紙を、二人の間のテーブルに置いた。
「貴卿も知っての通り、皇太子と朱玄公爵の婚姻は政治的なものだ。王家としては借りがあるばかりだ。このくらいの醜聞を咎めたてることはとてもできない。」
その通りなのだが----皆が案じている問題はもっと個人的なところだ、と目を伏せて、椀の取っ手を指でなぞりながら、ヴァルティスは言葉を探しあぐねていた。
(妾を迎える公爵が)どんな様子なのかとか、|どんな準備をし《待ち兼ね》ているのか、とか詮索しないではいられないだろう、と踏んでいたから、あまりに表面的な反応に、これは予備動作かと、まだ身構えている。
茶を再び口に運んだ。先ほどは味を感じるどころではなかったが、ゆっくり喉を通したヴァルティスは首を傾げた。
「『白舞』が輸出している香茶だ。マシェリカ姫に故郷の味が必要だろうと納めさせている。」
「お優しさに感じ入ります。」
「香りもだが、味が合わぬという者は珍しくない。わたしも漸く慣れて来たところだ。もしそうなら遠慮なく言ってくれ。」
「いいえ、・・・懐かしい味です。」
香りにさらわれて、言葉がポロリとこぼれ出てしまった。
「妻が淹れていたお茶を思い出します。」
「貴卿は、奥方とは、」
「陛下、わたしをそうお呼びになるのはお止めください。どうぞお呼び捨てください。このように、陛下と差向うことも本来許されない地下人でこざいます。」
と、苦言を入れてから、
「あの戦役の最中に、留守宅を盗賊に襲われて死にました。」
「それは・・お悔やみを申し上げる。」
「勿体無いお言葉でございます。」
深く頭を下げた。
「・・その妻が野草を煎じて、身体にいいからと茶を入れてくれました。もちろんこのような洗練された味や香りではございませんが、とても懐かしく思い出しました。」
「薬草に詳しいとは博学な奥方だったのだな。」
「はい。身重の時にはさすがに自分で採取や調合ができず、わたしや息子が代わりをいたしましたので、わたしも少しは詳しくなりました。」
男のひとり息子が、王都駐留の騎士団に預けられていることは聞いている。その時の子がどうなったかは推して知るべしだ。
「・・・この書状は、」
国王は話を戻した。
「報告ではない。どうするか、と国王の決断を問うものだ。」
「さて、わたしがお聞きしても良いことでしょうか?」
「次第によってはあなたには世話にならねばならぬから、エアルヴィーンはあなたを遣わしたのだ。」
「では、わたしが必要だという判断を下されてから改めて下命を頂戴いたします。」
面倒ごとには浅く、と退こうとしたのだが。
「なに、エアルヴィーンが妾を入れると知っている時点で、あなたは既に関係者だ。」
耐えきれず顔を顰めた瞬間、扉の外から衛兵の声がかかった。
「マシェリカ姫がお越しになりました。」
「姫のお好きなお茶をいただいていた。」
「まあ、それは嬉しいです。ぜひご相伴させてくださいませ。」
国王はベールを被った『白舞』の姫君を、二人掛けのソファの、己の隣へとエスコートした。
付き従ってきた侍女が彼らが飲んでいたものと同じ茶を淹れて、彼女の前に置いた。
ベールは被ったまま、口元だけを少しつまんんで露わにした彼女は香茶を口元に運ぶ。その様子を見ながら国王は侍女に退出するように手を振った。
扉が閉まる音を聞いた彼女の口元がはっきりと歪んだ。
「・・・無理、」
「『白舞』の姫は自国の茶を好むと印象づけるために、一日一回薬だと思って飲む取り決めだ。」
説明のような物言いは、聞かせるためかとヴァルティスは察した。
「薬だと思ってって、薬でしょう!?」
姫はカップを国王の方へ押しやった。仕方ない、と肩を竦めて、代わりに口をつける国王とのやりとりは、微笑ましい恋人のようだったが、入室時の歩行もソファに座る姿勢も所作も、丁寧ではあるが、ぎこちなく見えた。
「・・あれ?」
彼女は国王から下座のヴァルティスに目を移した。目を瞠ったような気配が感じられた。
「公爵じゃ、ない?」
国王が茶の席に公爵以外を招いていることを訝る声だ。
「エアルヴィーンの遣いだ。」
「そうなの?」
緊張をはらんだのは、公爵だと思い込んで内幕を見せたためか。
「マシェリカ姫、ベールを外してもよいぞ?」
と、国王が言い出して、ほっと息を吐いた。
「いいんだ?」
「ああ、顔見知りではないか?」
「陛下、わたしはマシェリカ姫とは面識はございま、」
「---第一執務室の偉い方?」
「は?」
カチューシャに挟む形で垂らしているベールを後ろに上げる形で取り除けて、姫君は素顔を晒した。
濃茶の髪の、二十歳を越えたくらいの娘。東の花陸に所縁があると通知されていたが、ヴァルティスはもちろん事実を知っている。
「・・セリィ、----そうだったな?」
こくり、と彼女は頷いた。
界人であるが、《古聖語》を非常に巧みに操る異能を持つということで、「暁」で侍女として働きつつ行儀作法やこの世「界」について学んでいた。王都の図書館を移転させるにあたっての、《古聖語》文書の目録作りに派遣されていった----のが、国王の誕生祝賀会の少し前のこと。
「----なるほど、」
かちかち、とからくりの寄木箱を開いていくように、見えてくる。
「わたしにお伝えになったということは、陛下の婚約は破棄されるということでしょうか?」
その娘がマシェリカ姫だ、ということは、すべてが虚偽ということか。
「----協議の上だ。」
二国で手を取り合った。そのココロは。
「マシェリカ様が見つかった、ということですか?」
セリが忙しない瞬きをしながら言った。どこか安堵している風だった。彼女がどう説得されたのかは分からないが、数カ月にわたる苦労を感じた。
その彼女の様子に、少し眉を上げた王は、その視線を机の上の、エアルヴィーンからの書状に向けた。
答えであった。
毒見の作法は、よく知りません。




