27 思いも寄らない訪問者再び
本邸の敷地内だそうだが、最も外縁にあり独立した門構えの屋敷だ。
王都の朱公邸もそうだったが、高位貴族は様々な用途を念頭に、別館や棟を置き、維持管理する。食客を置いたり、愛人を囲ったり、気に入らない妻(夫)を追いやったり、気ままに過ごしたい子どもが移動したり、身内で使うことも多いが、国賓の宿舎としての要請も念頭に、スタイルの違う館を調えておくのが面子というものだ。
まだまだ建設途上といった「暁」だが、責任者であり常駐している朱玄公の邸宅は(権威的にも実務的にも)優先して作られているのだろう。
さて。
「ようこそおいでくださいました。奥様。」
馬車から降りた彼女を、使用人らは恭しく迎えた。
「世話になる。」
彼らにはなんと説明してあるのだろう。
「公爵様におかれては、急な他出で十日ほど留守になると聞いております。出迎えられなくて申し訳ない、身体を大切に寛がれるように、との申し伝えでこざいます。」
「ありがとう。その旨の文はもらっているよ。」
さすがに根回しが足りなかったらしい。妾(仮)を出迎えたいからと言って断ってもいいか、と聞いてきたが、勿論、却下だ。
テュレは早く離れた方が安心だった。『白舞』からは不定期に人が来るという。心配してくれているということで有難い話だが、今はとても困る。身重の女の行き倒れあったといって、それが直ぐマシェリカと結びつく直感は働かないと思うが、顔を合わせればさすがにバレる。公爵が戻るのを待って、再度予定を組むのでは臨月を迎えそうだから、出発は動かさなかった。
----設定は。
「公爵様が昔たいへん親しくしていたご友人が亡くなった。亡くなってから、身ごもっていることが分かったその奥様が、一人ではとても産めないと心細く思い、公爵様に相談をされた、と。もともと、奥様のことはお気になさっていたけれど、身分違いでとても幸せにはできないと公爵様は身を引かれて、奥様はご友人とご結婚されて幸せに暮らしていたのてすが、不慮の事故・・落馬にしましょうか? でご友人は亡くなられてしまったのです。」
監修はフォガサ夫人が名乗りを上げた。
「マシェリカ様は大切な旦那様を亡くして悲しんでいる、まだ喪も明けない女性です。公爵様は昔の愛しい気持ちを思い出しながらも、マシェリカ様の哀しみを思いやり己の気持ちには蓋をして、あくまで亡き友人のため、その妻を支えようと手を差し伸べる、というところがポイントです。」
役柄を振られた二人は、咀嚼できない何かを滲ませつつ目を合わせた。
「特に公爵様、財と権力をいいことに、喪も明けぬうちに言い寄って、寄る辺なき女性を囲おうとしていると思われませんように振舞いにはお気をつけください。」
「・・妾はだめか?」
友人では財政は動かせない。心づけていどの支援しかできないが、と公爵は首を傾けた。
「いずれはそうなるのではないか、くらいのさじ加減でまいりせんと。」
「いずれならいいのか?」
マシェリカも首を傾ける。
「公爵様とマシェリカ様の間には、それはもうさっぱりそのようなお気持ちがなく、公爵さまはマシェリカ様と生まれてくるお子様が恙なく過ごせる環境を与えたいだけ、ということはあたくしはよく分かっております。そして、・・・恐らくは、この狂言で、姫様を自由にする布石を打とうとされているのでしょう?」
さすが伏魔殿生活が長かった女性だけのことはある。お見通しだ。
「本当に律儀でいらっしゃいますこと。」
残念そうに、夫人は言った。数年前の、不本意と大きく表情に書いてあった時からすると、彼の株は急騰しているらしい。
「契約だからな。」
「そう四角四面でなくとも、と思いますけどねぇ、」
「反故にした日には、父君がきっと俺の首を取りに来るだろう。」
予言のような応えに、マシェリカは同意の顔だが、正体は知らない夫人は、
「亡きデューンさまも、姫様の幸せを願われていると思いますけどねぇ、」
と、納得のいかない風で首を振ったが、それから気持ちを切り替えるように背筋を伸ばした。
「心細い寡婦を権力に物を言わせて我がものにしようとしている、横恋慕の挙句、邪魔な夫を事故死に見せかけて始末した、という物語になってしまうと、姫様にお聞かせするには少し、いえ、かなり刺激が強すぎますから、おやめいただきたく。」
「なるほど、そこが匙加減、」
「はい。大事にしたい相手だという明言ははあってしかるべきですが、一歩引いて、使用人にしっかり世話をするように申し付け、ちょっとした贈り物をもってご機嫌伺をするところを、まず見せましょう。お子が生まれて、その子を可愛がる閣下に、奥方は少しずつ癒され心惹かれて、閣下が次にいらっしゃるのはいつかしら、と呟くのを使用人に訊かれて真っ赤になるくらいの路線で!」
「・・ちょっと待って、」
マシェリカが頬を引きつらせている。
「そんな頭が弱そうな女性をぼくにやれって?」
「頭は弱くありませんよ、ごく一般的な女性の心の有様です。嫁いだ女が、夫を亡くし一人残されるのはそれは心細い、恐ろしい気持ちなのですよ。」
うーん、と唸りながら、
「そんな心情を表現できる気がしない。愛妾ではなく、いっそドライに妾奉公の方はどうだろう?」
「それだと、年季の間は子どもは手元には置けませんわ。また、そのような大人の事情すぎるお相手は姫様には教育上よくありません。」
閨の相手や子息の教育係として雇われている女性は公然の秘密だ。
「愛妾より、奥方とのトラブルは少ないとかいうじゃないか?」
あくまで使用人だから。
「いけません! 跡継ぎを設けて互いの生活に干渉しあわなくなったような間柄に落ち着いた夫婦ならともかく、」
どんな間柄だ、と思うが、黙って拝聴する。
「姫様に夫を満足させられない妻というレッテルを貼るつもりですか!?」
ちょうど喉を潤していた公爵がむせた。
「夫人、それでは俺が犯罪者だ。」
「世間とはそういうものですわ」
「でも、愛妾は良いのか?」
「政略結婚ですから、そんな相手が現れるのは当たり前のこと。愛妾----身分足らずの女性とお家のための正妻と、バランスを取ってこそ、一人前の男性というものです。」
夫人はにっこりと笑ったものだ。
「しかし姫様と公爵さまは、世の方々とは逆の取り合わせ。愛人を持った妻を夫は離縁するではありませんか。決定権は、王女殿下に。」
「その通り。」
公爵は膝を叩いた。
「普通の御夫婦ならば打擲の一つもあって泥沼の言い争いは避けられますまいが、姫様と貴方様は結婚されていてもご夫婦ではございませぬ。他人の子どもごとでも側に置きたい妾を持った夫を、姫様は思い切りやすくなりますでしょう。また世の中も姫様の決断を支持するでしょう。」
共犯者の頷き。
物語の終わりに向けての----帳尻合わせ。
あとは上演者の覚悟だが、夫人のメロドラマは周囲への共感力はありそうだが、当人にはむず痒すぎた。
そこで、状況で理解ってもらえことにしたのだ。
まず喪服。そこで身重なら、夫を亡くしたのだと周囲は認識する。彼についてはなじみ深い相手のように喋り、気安い間柄だと知らしめる。
----さて。
伸るか反るか。
「御不自由は絶対にさせるなと申しつかってございます。何なりとおっしゃってください。」
「ありがとう。」
暫く人には会わず引き籠っている予定で、いた(はず)。
庭、植えられる状態の庭、と騒いでいたから、あの古い友人はちゃんと聞き届けてくれて、庭園の一角が菜園スペースに調えられていた。
突然やってきた腹の大きな女が、赤ん坊の靴下を編むのではなく、土を触りだしたものだから、何なりととは言ったものの、侍女たちは忙しく瞬きと、互いにアイコンタクトをしている。
「うーん、少し粘り気が足りない。庭師はいるの?」
「常駐はしておりませんが、・・お申し付けがあれば呼びますけれど、」
「うん。呼んで。肥料入れて、畝作ってほしい。」
「は、はい。」
「あとは何植えようかな。」
うきうきとしていると、腹の中で動く気配がしてそっと手を当てた。
「お前が生まれたら一緒にやろうね。」
自分が行方不明になっていたのは四か月ほど。漸く結べる長さの髪は肩甲骨の下に達し、八カ月の身重になっていた。
時ならぬ何かが起きたことは明らかだが、不幸ではない。
思い出せないことは不甲斐ないが、腹の子がこれほどに愛しいのは大事な相手の子だからに決まっている。
そこは絶対に間違えていないと確信している。
「----は!?」
その声の主としてはあり得ないほどの素っ頓狂な響きであった。
「マシェリカさま!?」
数少ない面識ある人物と、まさかこんなに直ぐに顔を合わせるとは思わなかった。
「おう、ナーグ伯か。一別以来だな。」
彼が要らぬ招待状を手にシハク伯領にやってきてまだ一年にもならないが、なんと自分は変わったことか。
「王都から、いつどうしてこちらに!?----え?」
身代わりと混同し、加えて大きく膨らんだ腹を認識して固まってしまった文官に、頓着しない笑みをもってマシェリカは持ち掛けた。
「薬草の種が欲しいんだ。町に種苗を扱っている店があったら紹介してくれ。」




