「白き雌狼」亭 2
青年が形容したとおり、街はすぐ、だった。
晩鐘の最後の響きは静かに大気に溶け、彼らの背後で街門が重々しく閉じられていく。間一髪というところだ。街の規模の大小を問わず、扉は翌朝まで開かれないと物心ついたばかりの子どもでもわきまえている。時間以外で門を開かせるものは、よほどの権力か異常事態である。
街壁の上で、巡回する警備兵が提げたカンテラの灯りが揺れている。
恐らく、先に掛け合っていたのだろう。門衛は青年を認めて頷いて、それからガイツを検分するように眺めた。
「こっちが連れかい? 」
「そうだ。古傷のいたみが漸く薄らいで、何とかここまで歩けた。」
「今日は午後から妙に冷えてきやがったからな。まだ秋の終わりで、寒さが来るには早すぎる時節だろうに、まるで雪でも舞いそうな冷え込みだ。」
制服も当然冬仕様ではないから、肩をすくめるようにしながら年かさの門衛は愚痴る。
「まさか雪は降らんだろう?」
「まあな! いくら寒いったって、さすがに早すぎるさ。」
そんなやりとりをしつつ、青年は渡された書類にサインをし中金貨を一枚付けて返却した。
「はい、確かに。こっちが入市証な。分かっているとは思うが、失くすと金はまるまる没収になっちまうからな。ちゃんと返せば、税分を引いて小金貨八枚の返却だ。」
「ああ、了解している。」
「しかし、物入りになっちまったな。雇い主は経費してくれそうかね?」
入市税は旅券があれば、銀貨数枚が相場だ。
「ん----どうかなあ、護衛から脱落ちまったわけだしな。そっちの賠償と相殺かもな。」
ふたりは《《当然》》旅券を所持していない。どう説明したかのか見えてきて、自分の設えを傭兵にしたかった理由に得心する。
昔よくやったような商団の護衛。旅券はまとめて預けていた。すぐ追いつけると思っていたが、思いのほか自分の具合が悪くて今日はとても合流できそうもない。
荷物がないのも、とても自然だ。
「そりゃ気の毒に。」
「ま、こういうこともあるさ。もう少し暖かければ、野宿もありだが、こう冷えてる中、調子を崩しているおやじに無理はさせられねえよ。剣も辛いっていうくらいだ。」
手に持ったままだった自分の剣を振って示す。
「持ち込みの武器は、各自剣一振りずつだったな。」
青年の剣帯にはなにもない----はずなのに、いま、そこにはたしかに剣が一振りあるように見えた。
「あと、俺は短剣も一振りだ。」
門衛の一人が申請書を再度確認し、頷く。
「----腰はなあ、突然くるからなあ。」
腰を悪くしたことはない。不自由なのは脚だ。
「そうらしいな。おやじも、足をやる前は、熊と相撲取っても勝つだろうと万人が断言する頑健さだったんだが。」
無駄に良いガタイのガイツと杖にしている枝を等分に見比べて、門衛は気の毒そうに頷いた。
「一つ悪くすると、雪崩みたいな具合にあちこち痛くなるもんさ。あんちゃんも、そのうち分かる。」
「分かるかなあ。」
若さがずっと続くと疑わない、よくいる若者の口調だ。
「労わってやれよ!」
「妹か弟が、今度できるしな! 遊んでやれないのはかわいそうだ。」
「おお、あんちゃんと随分離れてるな。」
「母親が違うからな。」
正確には父親も違う。
「お、若い嫁さんか?」
「俺のいっこ上----だよな?」
「やるな、あんた!」
生暖かさと羨ましさが入り混じったような視線が飛んできて、ガイツは口元を引きつらせた。
目的は分かるが、この会話はいったいどこまで行くのだろう。
「あんちゃんも、親父に負けてる場合じゃないだろ。」
「俺も、・・・だけど」
青年は左手をひらつかせた。
見間違いではなかった。いまはもう遠い昔に思ったように感じるが。
「まあ、先はこされたな。」
目を見開いたガイツに、きっちり目を据えて圧を寄越し、
「そんなわけで、いろいろ物入りになりそうだから、うまい飯が食えて、おやじがゆっくり寝れそうな寝台がある宿を紹介してほしいんだけど。」
「ゆっくりな!」
という、友好的このうえない声に送られて、二人は内壁の中に歩き出す。
勿論すぐに街並は見えない。内壁に沿って歩きながら、おおよその街の様子を予測する。
メインの大通りと、その左右に並行するサブの通り。間を多くの小路がつなぐ典型的な城塞都市だ。広場はおそらく三つ。大門から内門に抜ける位置に噴水広場、中央付近に市場、最奥に庁舎や聖堂がある大広場。
果たして噴水を中央にした広場に出る。
どっと、夕暮れ時特有の喧騒が押し寄せてきた。
「----達者になったもんだ。」
駆け出しにから抜け出したばかりの、まだまだ擦れていない若い傭兵が、不慮の事態で駆け込んできたと、一つの違和感も抱かなかったに違いない。
「そうかな?」
ゆったり微笑んだ青年の剣帯には、いま、何も下がってはいなかった。
青年は薬草店の脇から右手の小路に入っていった.大きな籠を運ぶ女、工具箱を抱えた男、甲高い笑い声と共に走り回る子ども、夕暮れ時らしい忙しさと結構な密度で小路を人は行き交う。一つ二つと角を慎重に数えて歩を進めている。
門衛が教えてくれた宿を目指すらしい。
わずかな間にまた気温がぐっと下がり、息はすっかり白い。
「賑やかだが、落ち着いた雰囲気の街だな。」
街道同様整備が行き届いた石畳、行き交う民の身なりは清潔で、穏やかな表情だ。現役時代あまたの街を訪れたが、活気を持ちながらも、こんなに和らいだ街をとっさに挙げられないほどだ。
「あんたは、凪原や夏野、砂鈴方面が専門だったから、ここには来たことないか。」
「…お前は知ってる街なのか?」
街道でも彼はほとんど話さなかった。閉門に間に合うようにと、自由の利かない足で精一杯に急いで来たからガイツにも余裕はなかったが、今に至っても街の名は彼の口からは零れない。
「ここは----俺の知らない場所だ。」
じっとガイツの顔を見た青年は、続けられる言葉を塞ぐように彼らの頭上で小さく揺れる看板を指した。
「ここだ。」
オオカミの形に造形されたそれを一瞥し黒光りする古い木目をひと撫でして、青年は扉を押した。カランと鈴が鳴る。ガイツの店の三倍もある広い店内は丁度食事時に入っており、二人はようやく大テーブルの端に席を見つけた。
「宿を申し込みながら、見繕ってくる。」
並べられた大皿の料理から、欲しい分量だけ料理を小皿へ取分けた後、カウンターの左端に立つ店員の処で精算する方式のようだ。ただし大盆に酒杯やスープ皿を載せて運ぶ店員がテーブルの間を巡っているのを見ると、液体系は別に届けられるらしい。
青年が選んできたのは炙った鶏肉と数種類の木の実を蕃茄ペーストで軽く煮込んだもの、魚と乾し貝、根菜のバター炒め、大蒜の香り漂うかりかりに焼いたパン、取皿と箸を並べているうちには卵を落としたスープも届いた。
「食えるときは食う。あんたの教えだろ? これはとにかく現実で――いざという時に動くためにも。」
働き盛りということなのか、自分の店でも結構な量を平らげていた青年だが、ここでもせっせと箸を動かしはじめた。
ガイツも仕込みの時に少しつまんだだけで、また賄いをとる時間ではなかったから、口をつければ空腹であったことに気づいて、何となく口を付けたスープをあっという間に飲み干していた。
「なんの香草だろ・・・少し癖が強いが、蕃茄に合うな」
「ああ、テゼだな。春に新芽を積んで干して使う。このあたりでは定番のハ―ヴだ。」
「----よく知っているな、そんなローカルな代物。」
影が差したのと同時に声がかかった。
「東ラジェの傭兵と聞いたが、実はこのあたりに縁があったのかな?」
失礼するよ、と返事も待たずに、自分の対面、青年の横に座った朱金の髪の男はにっこりと笑っていた。
「こんばんは。良い宵をお過ごしかな?」
整っているが、すこぶる美男という訳ではない。鍛えているが、圧倒的な体躯ではない。
優以上だが、極上ではない----それでも、圧倒的な存在感を放つ、そんな男だった。




