26 旅にして
息子が応えに被せるようにして入室してきた。
「父上! あ…失礼しました!!」
団長がいたのは想定外だったろう。直立して敬礼した。
「気にするな。私が約束もなく押しかけていた。」
「暁」の第二団----王都玄邸跡地を本拠とする----の団長は微笑ましいとばかりに、一つ頷いた。
「とても落ち着いた御子だからな。年相応の顔もすると分かって安心したぞ。」
立ち上がって恐縮している見習い騎士の肩を叩き、苦笑いしているその父親を振り向いた。
「一席設けるからお付き合いいただけるか?」
「ああ、喜んで。」
「では後ほど連絡する。----ファルドは今日はもう上がっていいぞ。積もる話もあるだろう。部隊には伝達しておく。」
「は! ありがとうございます。」
パタン、と背後で扉がしまった。耳でそれを受け取って、ファルドは立ち上がった父親に飛びついた。
----父をたっぷり堪能して、我に返ったら、恥ずかしくなったらしい。暫く黙り込んで、
「急に来るなんて、どうしたの?」
と、少しぶっきらぼうに言うのも、可愛らしいと目を細めた。
「閣下から遣いを仰せつかった。」
そうなんだ、と息子は素直に頷いた。会える機会に得たことは喜ばしいが、「遣い」の内容を思うといささか気が重い父親は、ただそれは感じさせないように、くしゃりと髪を掻き回して、
「また背が伸びたな」
と、微笑んだ。
事の次第は、主である公爵の多忙にある。
「暁」総督である彼だが、その多種多様な肩書の為、いつでも「暁」に居るわけではない。
王都と皇太子領であるサクレは特別で、定期的に訪問しているが、ここひと月サクレ方面への他出が頻繁で、今までにないことだが政務に滞りが生じていた。
先の誕生式典へ出席したからと理由づけて、今回の王都行の代理にヴァルティスを任じたのだ。
「----わたしが行っても陛下は喜ばないと思いますが。」
「別にライを喜ばせに行っているんじゃない。報告と調整だ。」
そうだろうか、と居合わせた全員が思った。
「代理ならば、あなたかリセリオンだが、彼は先日戻って来たばかりだからな。」
という、彼も昨日テュレから戻ってきたばかりだ。
「暫く息子の顔を見ていないだろう、行ってこい。」
それはとてもありがたい配慮ではある。
「例の御方はもうすぐお越しになるのでしょう? 」
伝達事項の打ち合わせをするからと、人払いをして切り出した。
公爵邸の執事と諮って、屋敷の選定と使用人の手配は済ませた。が、その女性がいかなる謂れなのか、公爵の思いを伝えられているのは自分だけだったから、湧いて出てくる「?」をかわしたり収めたりしていたわけだが。
「あとはご自分で調整されるという認識で宜しいのですね?」
「・・、テュレからフォガサ夫人が同行して、出産まで滞在してくれる予定だから・・まあ。」
「フォガサ夫人とは・・また、随分な方を引っ張り出したものだ。王女殿下の乳母では?」
「王女の母の乳母だ。」
「・・・目くらましとしては最高ですな?」
探るような、見定めようとする眼差しを受けた公爵は、この件についてはそれ以上言及する気はないとばかりに片手を上げた。
「この件に関しての、別の調整を頼む。」
「----王都でですか?」
「あなたにしか頼めない。」
殺し文句のようなそれは、面倒ごとというルビが振られて聞こえた。
果たして公爵は、とても言いにくそうに告げたのだ。
「ライヴァート陛下に、わたしが愛妾を取ることを望んでいると伝えてほしい。」
馬車に揺られること半日。火矢の渡し場に着いた。騎馬ならもう少し時間短縮がかなうが、ヴァルティスには長時間の乗馬は難しい。
丁度、『遠海』側からの舟がついたところだった。荷の積み替えのため、人足や荷馬車がせわしく行き来し、また乗客を迎えに来た者たちで桟橋は混雑していた。
折り返しの舟に乗る予定の者たちは、馬車留めに付けた馬車の中や、川沿いの食堂で、一連の作業が終わって乗船開始の鐘が鳴るのを待っている。
次の舟に空きがあるかを聞きに行ったリューンが馬車に戻ってきた。「暁」の政務官だと告げれば優先的に席は用意されるが、切羽詰まった旅路でもない。
「全員乗れるとのことでございます。」
「分かった。」
書物に目を落としたまま応えたが、継がれた言葉に窓の外に視線を投げた。
「それから、例の方らしき一行を見かけました。」
公爵の《客人》を迎え入れる手配を、指示を受けて実際に取り仕切ったのは片腕であるリューンである。
臨月にほど近い妊婦の長距離移動であるから、旅程はゆったりと組まれて、早ければ昨日、体調次第では予定の倍くらいまで想定していた。
もし昨日「暁」に入っていたのなら、不都合がないか自ら確認できたが----。
「待機させておいた特別仕様の馬車が桟橋近くに寄せられておりました。カーテンが降りていましたので、件の女性は既に乗り込み済で、姿は確認できませんでした。」
報告を聞いているうちに、その馬車が彼らの馬車の横を走り抜けていった。
「呼び止めますか?」
「----いや、」
夫を亡くし一人で出産を迎えようという女性に対して憐憫の気持ちはあるが、自分がわざわざ呼び止めて言うべき内容は分からなかった。
「迎えにきたわけでもなし、訳知り顔で挨拶にしゃしゃり出ても仕方あるまい。」
移住に関する手配は、公爵の意向に従ったに過ぎない。公爵あって成り立つ、つながりだ。
「いずれ・・立場が確定した後にでも引き合わせていただけるだろう。」
仕事で関わる公爵のことは注視すべきだが、女性個人に思いをめぐらす必要はない。
何故か、言い訳のような言葉が胸の中でさざ波だって、遠ざかる馬車の音に、ふと気が急くような思いが突き上げてきたのは----ただの気のせい、あるいは旅の高揚だ。
カーン、と乗船を告げる鐘の音が鳴り響き、彼の乗った馬車は女性の馬車とは逆の方向へと動き出した。
「ご気分はいかがですか?」
乗り込んだ馬車で、ほっと息をついた。用意されていたという馬車は、座席も壁も緩衝材が入れられ、クッションもたくさん積み込まれた特別仕様で、気の回し方に少し吃驚した。
食堂でお湯をもらってきてくれた夫人から木椀を受け取った。柑橘でにおい付けされた湯を含むと、人心地が戻ってくる。
「だいぶいい。・・船は苦手だ。」
「まあ、」
「----レオニーナには内緒だ。」
「お元気でいらっしゃいますかしらね?」
「忙しいんじゃないかな。」
胸の内で改めて指を折った。友の願いの年を確認して、いまは、と小さく呟いた。
「あとは馬車で進むだけですわ。夕方前には着くかと。」
出しても?と目顔で尋ねられ頷くと、夫人が窓を少し開けて護衛の兵士に指示を出した。がたん、と普通よりはるかに小さい振動で馬車が動き出した。
「・・・あら、」
窓を閉めようとした夫人が目を止めた。
「「暁」の騎士たちですわね。誰かの護衛かしら。」
馬車はゆっくり遠ざかっていくが、夫人は気になるようで閉めようとした窓をまた開けて顔を少し覗かせた。
「・・・止めようか?」
「いいえ、ちょっと気になっただけですわ。すみません、風が気になりますか?」
「いや、心地よい。少し開けておいてくれ。」
体から力を抜いて目を閉じた。
何か、返答を間違えたような気がしながら。
気分は「君の名は」(古い朝ドラ。見たことはない)。




