25 やすいしなさぬ
説明編な感じです。
ここはフォガサ夫人の家である。
マシェリカを見つけたという養い子は登校した後だったので、顔を合わせていない。
テラスに出した椅子でレース編みをしていた夫人が、階段を降りて来た青年に気づいて立ち上がろうとしたが、そのままと手で制した。
「----暫く置いてもらうことは可能か?」
手近な椅子を引っ張って、はす向かいに位置どった。
「それは勿論、」
「サクレに移動も考えたが、もう少し様子をみてもいいだろう。」
「はい。安定期ではありますけれど、状況がよく分かりませんし、移動は待った方がよろしいかと。」
安定期。馴染みのない言葉を口の中で転がした。
「彼女がマシェリカだとは気づかれていない、で大丈夫か?」
「はい。医院では、シカと名乗られました。わたくしは、陛下から聞いておりましたので、シェリダンから聞いて駆け付けて、我が家に移るように手配をしました。」
「ありがとう、夫人。」
「いいえ。ですけれど、お気の毒に。」
「すぐに戻ることもあれば、一生戻らないこともある、か。マシェリカとしての記憶ははっきりしているらしいから、『白舞』に戻るのは問題ない----わけはないな。」
「『白舞』のご家族に連絡は? 本人も何も言われないので、ちょうどサクレにご滞在中と聞き及んでいましたあなたさまにだけお知らせしましたが。」
「あの姿で、マシェリカが家族と会うのは難しい。」
「未婚の娘が、大きなお腹をして突然現れれば、どの家でもびっくり仰天はいたしましょう。ですが、どんなに案じられているかと思うと・・、」
「案じてはいるが・・・、」
朝食がまだだという青年のために、厨房からパンとチーズ、ハムと果物が運ばれてきた。昼食はちゃんと準備させていますから、とあり合わせのものを並べたことに詫びた。
「毒見を、」
「俺が誰だか知れていないところで、何を盛るというのだ。」
さっさとパンを取り上げ、チーズとハムを挟んでかぶりついた。
「そういう問題ではございませんでしょう。」
と、夫人は苦言を述べたが、
「うまいバンだな。昼食も楽しみだ。もういい匂いがしている。」
かつてのように笑うから、夫人もふと懐かしい気持ちになって微笑んでいた。
「田舎料理で恐縮ですが。・・マシェリカ様も食欲は旺盛のようで、腹にたまるものがいいとおっしゃるので、煮込みを用意させています。----医者は、ごく普通にお暮しだったようだと言っておりました。」
毎日きちんと食事をとって暮らしていた、ところから、突然記憶を失って、昨日、町はずれに倒れていた。
「いったい、どこに、だれといたのだろうな。」
「飄々とされていますけれど、不安でないはずはございませんわ。マシェリカさまのご気性を思えば、軽率に男女の関係を持てれるとは思われませんもの。」
「気性もあるが、夫人は『白舞』についてはどこまでご存じか?」
「薬師の御国でございましょう。かの国の薬師の腕は、他と比肩するものではなく、薬の効能も高こうございます。ですけれど、薬師を招くのはとても難しいと聞いています。クロムダート様が、カノンシェル様の祖母君、つまりご自身の奥方様が病を得ました時、当時の国王陛下にご相談の上、外交ルートを通じてお招きになりました。見立てより、二年ほど永らえて苦しまずに逝かれました。」
「研究に身を捧げるのを至上としているからな。」
「はい。ですから、陛下のもとに『白舞』の薬師がいて下さることになって、とても心強く思ったのですが。」
当時は暗黙の了解になっていたが、夫人は切り出した。
「マシェリカ様を『白舞』の薬師とお呼びしていいものかとは思っておりました。」
「マシェリカの腕は本物だが、おっしゃるように『白舞』に女の薬師はいない。」
夫人が頷く。薬師が男の仕事というわけではない。『白舞』の事情だ。
男装し、一人称はぼく。旅券は四つ上の兄のものだった。
「薬師が創った薬で治療行為にあたることはあっても、決して薬を作らない----のが、『白舞』の女性だと聞いている。他の八家に嫁ぐと決まっている、八家に生まれた娘は、実家のわざを流出しないように無縁で育つのだそうだ。」
「----女としては何ともいえぬお話ですわ。」
「つまり。シハク伯令嬢である以上、本来、彼女には薬草の知識はないはずなのだが。」
ないはずが、ない。
「俺たちが最初に会った時、彼女はその兄だった。ルドゥシカは体が弱くて、今でこそ何とか結婚できるほどにまで一般的な暮らしができるようになったというが、成人の儀を行える状態ではなかったそうだ。」
「成人の儀とは、特別なものでございますか?」
「十八になった『白舞」の薬師は、他国を二年以上巡回し経験を積み、そうして帰国して初めて一人前と認められる。九伯家では、巡礼を経ずしては家督を継ぐことは許されない。繰り延べも許されない。必ず十八で、自分の知識を頼りに他国で二年を過ごして証明するのは、頭脳とそれを支える(健康な)肉体を備えているか。二人兄妹だそうだよ。兄が継げなければ、傍流に継承権は譲るしかなかったそうだ。マシェリカが言うには、薬師としてのセンスがほとんどない、父の従弟だとか。」
「お話が見えて参りました。」
家と兄のための身代わりで、と気の毒そうに呟いた声に、
「ぼくには渡りに船だったよ?」
と、当人の声が重なった。
「マシェリカ様、起きていらっしゃるなんて!」
「病気じゃないし。ぼくとしては、一晩よく寝てすっきり起きたくらいの感覚なんだけど。」
夜着のままだが厚めのガウンを羽織っている。
「フォガサ夫人、手間かけて悪いんだけど、ぼくが着れそうな服を調達してもらっていいかな? できたら体格のいい男の人が着る感じの。」
あくまで女物を拒否してくるところが、らしい。
「・・よろしゅうございますわ。こちらの方が日があたって、風の通りもございますから、どうぞこちらにおかけください。」
夫人は自分の場所を譲って、おそらく召使に指示を出しに部屋を出て行った。
「ある日さ、ぼくが兄の古い服を着て父の研究室に行ったら、父はぼくに薬学を説き始めたんだ。兄は本当に寝込んでばかりで年より小さくて、ぼくは少し大柄でさ。母が死んでから、父は研究室と畑ばかりで、息子には手ほどきしなくてはと思ってたけど、いつも坊ちゃまは今日も体調が悪く、と召使に言われるわけだ。」
「・・兄とあんたを取り違えたということか?」
「思い込んだ、が正しいかなあ?」
夫人が置いて行ったレース編みには触らぬように、頬杖をついた。
「娘が息子の服を着るなんて思いもよらなかった、というか、たぶん娘の顔なんてちゃんと見たことがなかったのかもね? 男の子なら息子!みたいな。」
「まさか、ずっとバレなかったわけではないよな?」
「さすがにね。でも、ぼくには明らかに才があって、乳鉢で薬草を擦っただけで死ぬほどに咳き込んだ末に熱を発する兄に無理強いもできない。だから、ぼくが提案したんだよ。」
秘密だよ、と声を落とした。
「ぼくは、魔女になりますって。」
「魔女!?」
「箒に乗って飛ばないし饗宴を開いたりもしない。シンラの神話に因んだ呼称だろうけど。」
レオニーナには話したことがある、と言った。
「魔女は結婚しないし子も持たない。その代わりに、家の知識技術を身に付けて、それを次代に渡すんだ。兄はいまだいぶ丈夫になって勉強も始めたけれど、父はもう高齢で、ぜんぶ引き継げるとは限らない。もし、欠けた知識が出ても、魔女がいるから本当に欠くことはない。緊急時の倉庫みたいなものかな。ちなみに、子を持たないと決まっているのも、むかし、魔女が自分の子にも知識を伝えてしまって、その子はよその国でその秘術を使って、だからトハクは衰退して無くなったという伝承があるから、だよ?」
「トハク?」
「いまはヤハクだけど、むかしむかしはトまであったんだってさ。クが無くなったのは魔女のせいじゃないよ。」
「実はなかなか因習深い御国だったのだな?」
感心したような言われたが、苦笑いで返す。
「小さな、森ばっかりの国で興味を持ってもらえなかっただけじゃないかな? 」
薬以外には目立つ特産品はなく、地政学的にも、わざわざ侵略して支配下に置きたい要地をかすりもしない。
「で、ぼくの話に戻るけど、そういう訳で魔女になれた。更に幸運だったのは、兄が生き続けてくれたこと。ぼくが代わりに成人の儀を済ませれば、兄は跡継ぎとして認められる。ぼくは『白舞』の外に出て、腕を磨ける。」
マシェリカはそっと瞼を落とした。
「ぼくは、自分がとても幸運だと・・・そう思っていたよ。」
自嘲った。それから。
「----国には帰れない。いや、帰らない。」
夏の朝の光の中に負けないほどに、強い光をもって青年を見据えた。
「さっき、あんたに何とかしてくれと言ったけど、あんただって知らなかったら何ともできないなと思って。このまま国に帰ったら、最低でもこの子はどこかに里子に出される。里子に出した、といってどこかに打ち棄てられても驚かない。」
「ぼくは、いまどういう扱いになっているわけ?」
夫人に頼まれたのだろう、新しいお茶を召使が運んできた。マシェリカには温かいもので、青年には冷たいものだ。
家に招き入れてくれた夫人に、マシェリカであることを隠したいという感じが透けてみえるから、とりあえ黙っていたけれど。
「マシェリカ姫は、現在、王都に滞在中だ。・・国王陛下の婚約者候補として。」
「はあ!?」
返答内容は想像の外側だ。暫く絶句していた。
「なんで・・そんなバカげた設定、」
「ヤハク伯----『白舞』の国代の許可はもらってあるぞ?」
「脅しただろ!?」
代替わりしたばかりの彼が、彼らに敵うはすがない。
「人聞きが悪い。取引を持ち掛けただけだ。因みに、主導は俺でなくライな。」
内密にしたい点では一致した。
『遠海』は。国王の誕生日の招待を受けた『白舞』の令嬢(しかも四英雄の一人)が、国内で行方不明では威信に関わる。
『白舞』は。正式な使節が他国の領内を勝手に動き回った末に行方不明とは間諜行為を問われても然るべきで、国王じきじきの招待をそんな理由で欠席では、面子を潰された「遠海」との関係悪化が懸念される。
「身代わりを婚約者候補に仕立てたい、とはライが言いだした、あいつは、もともと盾替わりをあんたに頼みたかったんだろうな?」
「何となく、それは感じていた。ぼくもちょっと国の外に出たかったから乗ったわけだけど! ?」
「あんたの顔をちゃんと認識しているのなんてひと握りだし、『白舞』の風習ですとベール被せて。」
「・・それで、」
「誕生会は大成功で、今も何とかなっている。まあ、いまは入れ替えは難しいな。」
「いまじゃなくても、絶対むりだから。」
子どもと離れる気はない。
「・・そういや、国代どのが、それは本人が戻った暁には入れ替えるということでございますか、とやたら悲壮感を漂わせるから、あんたに気があるかと思ってたよ。」
「ないね。」
「うん、内情聞いて腑に落ちた。」
「そんなことは知らなかったから、あくまで候補で、名前を貸してもらえれば援助はこのまま、というところでまとまった。」
大戦以来、「遠海」からの輸入品の関税は低くなったから、国代としては御の字だろう。しかし、
「人で勝手に取引するのはどうだろう?」
「いないヤツに口を挟む権利があると?」
推定元凶がなぜかドヤ顔をしている。
「その候補をあんたとして迎えたいなら、あんたであると同じに『白舞』が後援いたしますと言うから、よほどビビらせたかと思ったが、何のことはない。あんたじゃない方が都合が良いわけだ。出資額は零で売り上げは満額受け取れるという、あんたが心配してやる必要はない、なかなかしたたかな国代どのだ。」
愉快そうに笑う彼に認められてしまったヤハク伯の先行きは少し心配だが、もう自分は『白舞』について物申す立場にはない、と彼女は腹をきっちり決めてしまっている。
「本当に、あんたはあんたに戻らなくていいのか?」
「そう言っている。」
「なら----提案だ。」
見慣れた悪巧みする顔だったが、
「俺の妾になってみないか?」
お茶を顔面に見舞わなかったことを褒めてほしい。
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