24 まなかひにもとなかかりて
少しだけセンシティブな表現あり、かもです。
「驚きの早さだ。」
昨夜の今朝である。また非常識な何かを用いたのかと思ったが、
「サクレにいた。」
と、明かされた。昨夜こちらを発った使いが夜中について、折り返して来たのなら妥当な到着時間だ。
「そりゃあお疲れ様だ。」
「まったくだ。」
じっと見てくるのに、何となく居心地が悪くなって、へら、と笑うと溜息をつかれた。
「----どういうことだ?」
「なにが?」
「なにもかもだ。」
寝台脇の椅子にどさりと腰を下ろした。
マシェリカは朝食を終えて、食後のハ―ヴ茶でゆったりとしていたところだった。寝台から手が届く位置に置かれたポットはまだ温かいから、もう一煎を入れて、予備のカップで差し出した。
「これ、五、六煎は風味替わりでいけるから。」
案の定、喉が乾いていたらしい青年は一気に(やや湯が冷めていた)飲み干し、茶請けのドライフルーツを遠慮なく口に放り込んだ。そして二杯目を自分で淹れて、それも飲み干した。
「----で、」
「うん」
「あんたが王都に向かう途中、ここで寄り道したのが四カ月前だ。」
「そうらしいね。もう夏になっていて、びっくりだよ。」
窓の向こう、気温の上がりそうな青にちらりと視線を流した。
「で、その間の記憶はない、と?」
こんなに頭痛を堪えているような渋面は見たことがない、と思いつつ、
「うん。」
と迷いなく頷いた。
「まったくか?」
「うん、さっぱり。朝になったら思い出しているかなあとおもったけど、いやぜんぜん。」
朗らかに言ったが、眉間の皺が深くなった。
「いい苔がありそうだな、と壊れた柵から、旧鉱に入ったところまでは思い出せるんだけど。」
採取に適当な、動きやすくて裂けたり染みたりしない革の上下を着て、野宿に重宝するマントと、小刀を数本、干し肉と豆を入れ籠を背負っていたことも覚えている。
客人の背後、壁に掛けられているのは発見された時に来ていた、ゆったりとした上着とズボン。毛が織り込まれていて、冬の終わりかまだ肌寒い春に着用するのが相応の衣類だ。その上に、旅用の分厚いマントを付けて、しっかりした長靴を履いていた。斜めがけにしていた小さな革袋には薬草----ただし、覚えがない----だけが入っていた。
「どこで着替えたんだろうね?」
「・・・そうじゃないだろ。」
部屋に入る前に、カーラ夫人も医師も、かなり繊細な状態だから、くれぐれも言葉に気を付けてと念を押されたのだが、まるで何事も起きていないような素振りに、つい言葉に力が入ってしまう。
「ああ。・・この腹のこと?」
ヘッドボードに上半身を預けているマシェリカは、まろく盛り上がった腹をゆっくりと撫でた。
「びっくりだよ? さすがにね。」
産婆の見立てでは、八カ月から九カ月に入ったあたりだろうとのこと。
「----心当たりは?」
行方知れずになっていた期間は四カ月。その間の子では計算が合わないから、記憶を失う前----『白舞』にいた頃の、はずだ。
「ないんだよねぇ。」
恐ろしく、他人事だ。
「だって、ぼく、『白舞』にいた時は、ちゃんと処女だったし。」
「あのな、」
あけすけすぎて、頭を抱えそうになったが、踏みとどまった。
「そんなことは聞いていない。」
「え、大事なことじゃない? それを聞いているんだよね?」
「少しは恥じらいというものをもて!」
「だってさあ、この腹ってことはもう処女じゃない訳だし。」
だから、と睨んでくる昔馴染みに、
「あんたのほうが乙女みたいな反応だよね。」
と言い放って絶句させた。
「----覚えていないんだけどさ。厭な感じは全然しないんだ。ちゃんと自分の一部だと思っている。」
それから肩をすくめて、またゆっくりと腹を撫ぜる。
「強姦とかそんなことはないと思うよ。この子はぼくの大事な大事な子だと、それは分かっているんだ。」
一つに縛れるくらいだった髪が、いま三つ編みにして背の中ほどまである。鏡の中の顔もたしかに自分の顔だが、なんとなくおさまりが悪い。
単純に四カ月の行方不明ではない。
最低でも、このお腹の子の命の分の八カ月、どこかで自分の時間は流れたと確信している。
「・・・で、あんたに心当たりは?」
「行方不明になったのは自分だろ? 俺は知らん。」
「そうだけど! こんな奇妙なことは、あんたが絡まなければ絶対に起きないと思うんだよねぇ」
思わせぶりに笑ってやると、青年は渋面のまま黙り込んだ。身に覚えがないわけは、ない。なにせ、生ける伝説で、逸話更新中である。彼女たちがその中に登場してきたのは、畢竟、青年のせいである。勿論、付き合うと決めたのは自身の決断だから、責めているわけではない。
「手、貸してくれるよね? ----この子の、幸せな未来のために。」




