22 よくある婚約破棄騒動 その18
白梟は最後の仕事をした。
その名を明らかにして、かの国に協力することを周知した。王都に残された民に、複雑な目で見られながら、旅団を編成し、王都民を指定された地へと送り出していった。
あの宵以来、青年は顔を見せなかった。
硬そうな、いかにも騎士という男と傭兵だろうなという耳に残るアクセントで喋る男が、白梟の後ろ盾とにもなり、王都の後始末を進めた。
立入禁止。生命の危険あり。
都を取り囲むあちらこちらに立て看板を立て、完全に王都は遺棄された。
この後すぐか、あるいは一年後か、それは分からないが、王都一帯は消え失せるのだ、そうだ。
男は西門で、仲間と別れた。どうしても付いてくる、と頑なな者もいたが、一人で静かに過ごしたい、息子を頼むと言って、暫くの一人行動を許してもらった。
白梟で、そのまま仕官が望んだものは1/3ほど。後は一度家族と会ってから決めたいと言い、紹介状を受け取った。男にも用意されていて、固辞しても引かないから、とりあえず預かって懐に仕舞った。
男は一人、ぶらぶらと街道を西へ、それから南に進んだ。ある日は夕方遅くまで歩き、ある日は正午で止め、昼に宿を発つこともあった。
気ままに、気の向くままに、街道を歩いて。
ふた月の後、王都----いや、廃都に戻ってきた。
また秋の気配が濃くなっていた。暫くは、見回りを置くと言っていたが、もう誰もいなかった。それは、時が近いということだ。
廃都に近づくにつれ、空は濁り風は奇妙なリズムで巻き上がり吹きおろし、地面は小刻みに震えて、何かが起きるだろうということを如実に語っていた。
国家すら放棄した地をおいしいと無法者が目指したとしても、どんな目端の利かない者でも、まずいと引き返すレベルの、違和感が空気に満ちていた。
城門あった場所を塞ぐように置かれた瓦礫を乗り越えて、都内に入った。
人が住まなくなるのを察して植物は繁茂するものだが、夏を越えたというのに、都内に生き物の気配はない。
変わらない、生き物の領域ではないと語っているような大路を進み、城の東側に向かった。
何もかも、跡形はない。
彼女を最初に迎えた小館も、長い時間を過ごしていた中庭も。僅かな礎石を残して、ただ土埃が舞うだけだ。
恐らく、中庭にでる扉があったあたりに、男は腰を下ろした。
領館でも逃亡先の家でも、事足りて日々を送っていた妻、だったけれど。
王太子を輩出する名門に迎えられた、というのに。
流行のドレスも夜会も、生まれてくる子のための部屋も、一緒にしたいことはたくさんあった。
「疲れた、よ。」
ぼんやりとしたまま言葉を溢した。
----息子は。
鳩尾からぐいと押されたような苦しさがある。
リグリュンが何とかしてくれるだろう、と手紙とありったけの資金を送った。
愛おしい。
そして。
恋しい。
答えが見つかっていたのなら、ここへ戻っては来なかった。
ふと見上げた空が近かった。
見回した地面が、あやふや、だった。
----時が、きた。
自分を迎えに。
自分が戻ってくるのを待っていた、ように。
融界。
この期に及んで初めて聞いた言葉だった。
王都(周辺)は融けて、すべてなくなる、のだ、と。
終わり。
笑みの形を、唇が作った。
王座。
自分が、王座の間を見ていることに気づいた。
爵位を継承して後、王妃の席だけが埋まっていることが見慣れた様子であったが、これは王と王妃が並んで座っている。
王は虚ろだ。金の髪。よく手入れされて、撫でつけられ、艶を湛えているのに、くすんでいる。
王妃の座から、女が立ち上がった。女は----王妃と相対したのは四人の年若い、男女。そのやや後ろには、騎士の一隊が控えている。
声は聞こえない。やって来た四人の、先頭に立つ男が糾弾する勢いで言葉を紡いでいる。それに対して王妃は艶やかに笑む。
----オティリエ。
そうだ。あの男爵令嬢だ。ではあの玉座の男はレーヴェン殿下か。妹と同年だったからまだ二十代前半のはずなのに、ずっと年を重ねてみえた。
オティリエ妃。記憶は深くない。件の婚約破棄騒動始末の折、数度短時間、王太子の後ろに立つ姿を見ただけ。細い声で、「はい」「いいえ」とだけ応えて、王子を頼り切った目を見上げていた。
風にも耐えない風情の娘。
次期王妃として頼られる存在でなくてはと、自立し冷静な振舞いを求められた妹と、対極にあるような娘がいいと言うのか、と忌々しく思ったものだ・・・。
いまの妃に、そんな弱弱しさは微塵もなかった。
女は変わると俗にも言うが。
プラチナブロンドの髪と蒼氷の瞳。姿すら変化している----いや、変化か。
何故なら。
これが我が国の王城の王座だというのなら。
妃が階段を下る。その足元から白い煙のようなものが立ち昇る。
冷気だ。妃を中心にして、広間は蒼い冷気に満たされ、床も壁も空気も凍り付いていく。
服に霜が付き、髪が凍り、眉や睫毛が白くなる。人すら凍り付こうという中、四人の二番手の位置にいた青年が先頭に進み出た。
青年の掌から朱く輝く剣が滑り出し、氷の浸食は止まった。
朱の剣は炎を纏い、妃の指先が操る氷雪とせめぎ合う。
神話のような。
物語の、魔王と戦う勇者のような。
----まさしく、彼らこそが勇者だ。
花陸を滅ぼそうとした界魔を打倒した----打倒す前の、その場面。
妃の白い面には、汗の代わりに霜が張る。じりじりと青年の炎の領域が増えているようだ。青年以外の三人と騎士団は、そこかしこに湧いてくる界魔を綺力(または綺石)で打ち払っている。
混戦の中、王が立ち上がったことに誰も気づかなかった。王は、王座と王妃の座の間にあった、彼の膝ほどの像を引き抜いた。
誰も見ていなかったから、それは唐突に訪れたようであった。
界震のように空間が大きく震えた。
天井が、内から外に向かって飛び散る。空は、硝子に細かな罅が入ったように白く変じていた。
界罅。
妃は祈るように首を前に折る。婚礼の衣装のように長く引いた裾が、船の形を作った。妃は舳先の船首像のさまで、蟲が集まるように重なり合い、へし合いながら舟にまとわりつく界魔たちのさまはグロテスクだった。しかし、それは本当に瞬き五つもしない間の動きで、はっとした時には歪んだボールのような舟は氷の上を滑って、浮いて、遠ざかろうとしていた。
外に詰めていた部隊から弓矢が放たれたが、ほぼ届かないまま落ちて行った。
ソラマメくらいの大きさになった、その時。
空間がまた激しく揺らいだ。まずは光。それから光を飲み込む闇。叩き潰そうとするほど、地面をこそげ取ろうとするほど、風が入り乱れ、肉体を内側から破壊しそうな、轟音が響く。
巨大な鉈が振り回されて、何もかもを粉々に砕いていく、そんな破壊のとき。
朱と玄、二色の光が天に伸びて、縦に、横に、傘を開くように広がった。
音と音。光と光。力と力。
衝突し、凪となった。
----白氷妃(鬼)の最期と言われる、その場面。我が『凪原』の終焉の日。
視界が戻ると、黒焦げといっていい様子で倒れ伏した青年のもとに仲間たちが走り寄るところだった。
シンラの恩寵なるもので青年が助かったことは知られているが、息があると思えぬほどの酷い有様だった。
青年のこの献身があってこそ、花陸は崩れ落ちなかった、と喧伝されている。
『凪原』の王都も即日1/3を消失しつつも、融界まで保ったからこそ、多くの人命が救われた。
荷物をひっくり返して、必死に呼びかけつつ手当てをする少年に目が止まった。
----喪った妻によく似た顔が、別の男のための悲しみで歪んでいるのに、不快感を覚えた。死の瀬戸際の場面というのに、己の執着心はこんなに強かったと改めて溜息をついた。きっと、あれが息子が出会った少年なのだろう。息子の願いの通り、生きていてくれたようだ。
英雄たちの場面が薄れていき、二重写しに現実の景色が戻ってきた。
鍋に入れて火にかけたバターのように、どろりと形が崩れて混ざり合っていく。石も土も木も大気も、・・・人も。
何もかもが一つに融けるから、都に焼き付いた記憶の中が、自分に溶けてきたのだ。いや、自分が溶けて混ざっていっているのか?
バターがやがて透明になるように、すべてが融けて、空となる。
夢に落ちるように引き込まれていく、感覚。瞼を落とし切る寸前で、はっと見開いた。最期にもう一度、彼女に似た顔を見たいと突き動かされた。
----目が、合ったのは。
そのときの少年ではなく-----別れた時より少しふっくらとして、もうじき生まれそうなお腹をして。必死の形相でこちらへと手を差し伸べている妻だった。
【律は溶けよ、律は解けよ、律を繋げよ、律を調えよ、新たな律と在れ】
不思議な古聖語を聞いたような気がするが、曖昧だ。
結局、溶け去ることは叶わなかった。
どういうわけか、融界した縁ギリギリに倒れていたところを見回りの騎士団に拾われた。人事不省であったが、捨てずにしまっていた『紹介状』から気が付いた時には「暁」に運ばれていた。
「明日も生きることができると信じて生きていける」場所を作る、と、絶望から明日を取り戻した青年の願いに、希望を重ねることを決めて、----生きている。
いわば過去編であった「よくある婚約破棄騒動」のナンバリングはこの章で終わります。
『凪原』の話はまたいずれ。
ちなみにこれはあくまで、ヴァルティスが見たものです。
第一回?の種明かし編です。次回からは、答え合わせ編?です。どうぞ、続けてよろしくお願いします。




