21 よくある婚約破棄騒動 その17
灰を水に流したような、黒墨のような空を横に割るように、音のない稲妻のような閃光が走る。
本物の雷と違って落ちることはないが、空を横切る何本ものそれは、ただ不気味でおどろおどろしい。
この世の終わりのような----と空を見上げて思い、終わるのだったと諦めを今日も受け入れる。
道の先にあった壮麗な建物群(の廃墟)は、すっかり解体され僅かな土台を残すのみ。見晴らしのいいことこの上ない。その空を写したような、黒灰色あるいは濃褐色の衣服を纏った人々が同じ方向に向かって----今日の日雇い仕事を求めて辻ごとに少しずつ数を足しながら粛粛と歩く。
いつもの、朝だ。
生き延びて、逃げ出せるあてのある者たちは、もうとうに去った。
行く当てもない、その日の食べ物にすら事欠く、人びとが残された。親のいない子ども、年寄り、夫を失った女、戦で身体が不自由になった男。それらを複数抱えて、動きようのない家族。
すぐに来る死か緩慢なそれか。間近に迫った死をぼんやり眺めていた人々は、この日雇いが始まって、少し血の色を戻した----癪な話だが。
集合の場所は何度か変わってきたが、ここ数日は東門付近だ。今朝もまず炊き出しが行われている。これは都の数か所で行われていて、日雇いに参加しなくても、誰でも受け取ることができる。
日持ちする焼きしめたパンを、ジャガイモと人参、干し肉が入ったスープに浸して食べる。集まった全員の椀が空になったのを見計らって作業の集合がかけられた。敵国----いや、既にこの国は滅び、かの国の一部となった理由を付けつけられているようだ。戦の末期、上層の一部が狂騒の宴会を繰り広げた傍ら、封鎖された王都の民は物資の不足と高騰で、既に飢餓状態だった。
空になった椀は所定の場所に積み上げられて、これを洗うのが女性や子供の日雇い仕事だ。男が就くそれより安いが、幼い子供を連れていてもできるから、女たちは椀を次々に籠に入れて洗い場に運んでいく。椀洗いの後は、食材を切ったり洗ったりする仕事や、駐留軍の洗濯物を洗う仕事も続けてできるそうだ。
炊き出しにも出てこれない、日雇いも難しい老人や重い傷病者----最も弱い者たちには、駐留軍付の医療隊が巡回したり、これまた日雇いで食事を届ける仕事もある。
敗戦国をどう処分するかの協議もあって、連合軍は一度王都を空けた。その空白期間、犯罪が多発し治安は急激に悪化したが、今は駐留軍の統制あって、景色こそ廃墟だが、治安自体は戦争以前に近いほどに安定している。
----彼らの目的は、この都の完全な終焉ではあるけれど。
「おはよう。」
今日も朗らかな声がかけられた。小隊くらいの人数に分けられると指揮官になる兵隊がやってくる。日雇いに参加して半月になるが、始めて二三日の頃から、同じ兵隊が現れて、彼とその周辺の人員を必ずピックアップしていく。
近くにいたからといって同じ現場に割り当てられるわけでもないはずなのに、この兵隊は明らかに自分たちを選んで連れて行く。
用心した方がいいのでは、という声も上がったが、別に後ろ暗い企みをしているわけではないから、様子見をしようということになった。むしろ、何かあるというのなら、同じ場所にいた方がいざという時に対応しやすい。
「今日もよろしくな!」
日雇いの監督に出てくるくらいだから、そう地位は高くないのだろうが、編成を自由にできるくらいの立場ではある、と思われる青年は本日も気さくに笑いかけてくる。
「今日はあっちの隊と合同で動く。」
「大物を運ぶのか?」
石材や木材などのまだ使える建材を運び出すのが日雇いの仕事だ。
「東南部に、幾つかまあまあ形を残している邸宅がある。内部を改めて、一気に片付けようかと。」
この内部を改めるというのは、貴重品があるかではない。貴族の邸宅はほぼ略奪にあっていてだいたい伽藍洞だ。
「人が宿っているならキャンプに誘導して。病人とか荷物の移動なら人手も出していい。」
「わかった。」
「そこまでの道が塞がっていて手つかずだったから、まあ多分誰もいないとは思うが。班分けは、今日も任せた。」
こうやって自分に振って来る。
見抜かれているのだろう。自分たちが、寄り集まりではない、ということは。
夕方。
仕事を終えて戻ってくると、炊き出しが始まる。朝と同じパンとジャガイモ、豆のスープと、塩漬け肉の焼いたのが出たのだ。大歓声である。
「建材積んでいった荷駄が、食糧を積んで戻ってきたんだ。」
とは、何故か難民・日雇いに混じって、炊き出しを食べている兵士の青年である。監督の兵士は、炊き出し担当の兵士と交替して宿舎に戻って、彼らの夕食を食べるはずだが、何故か彼は毎夕居残って食べていく。
「宿舎で食べたらどうだ?」
炊き出しと同レベルの筈はないのだから、何を好き好んで粗食を選ぶのかと不審な顔に、
「ここのご飯の方が温かいまま食えるから。」
と、答えた。彼は一人ではなく、だいたいもう一人か二人彼に付き合って残る兵士がいるのだが、その時同席していた二人は苦笑いを浮かべていた。
「しかし、こんな大盤振る舞い、いいのか?」
「取っておいても荷物になるだけだから。」
固いパンを割って肉を挟み込む。少し待てば肉汁がしみ込んでいい具合になるだろう。
「----来週には人の移動を始める。」
始まるではなく、始める。
まるで責任者のような言い方に、微かな違和感を覚えた。
「都内の人数と居場所はおおよそ把握できたし、明日にも布告れようというところなんだが?」
「・・わたしに尋ねているのか?」
「そうだけど。」
「何故わたしに訊く?」
不思議に思って尋ねれば、不思議そうに見返された。
目の色は琥珀だろうか。ただ光の加減で、朱くみえたと思えば、青みを帯びたりする。
「訊いてはだめか?」
質問に質問で返すのは無礼だが、引き込まれるような感覚があって答えていた。
「・・・皆が今恐れているのは、ここに置いていかれることだ。」
来てすぐならば、誰も従わなかっただろうが、王都を解体しながら彼らへの信頼は育っている。
「好きで、廃墟に留まっている者などいない。他の場所へ移るために手を貸してくれるというのなら、付いていくだろう。」
「----旅費代わりに、移動した先で働いてもらうことになる。」
「搾取もしまい? 敗戦国の、廃都の、見捨てられた民に、まさかこんな手間をかけてくれるとは予想外だったよ。」
「たくさん死んだからな----お互いに。生きているのなら、明日も生きていてほしいじゃないか。」
にこり、と兵士は笑った。
兵士? いや、そんなものでは、ない。直感的に分かった。
「あなたも一緒に来てくれるかい?」
「わたしは・・心配してもらわなくていい。」
「そうだね。あなたたちは、自分の足でここに来て、自分の足で出て行ける。」
す、と周囲の空気が固くなった。
「雪原の上を飛ぶ、白い梟がどこから来てどこへ向かうのか、見定めることができないように。」
「よせ、」
と男が仲間を制したのと、青年が付き添いの兵士を抑えたのは同時だった。
「その節にはたいへん世話になった。」
沈黙に構わず、彼は微笑みつつ言を継いだ。
「我々に王都王宮への侵入経路案内をした以外は、白梟は戦の犠牲になっている自国民のために動いていた----きっと、廃都で会えると思ったよ。」
戦をはやく終結させるために、利敵行為を行った。
戦は思った以上に早く終結したが、都の被害は想定を遥かに越えた。彼らのせいでも、我らのせいでもない、と分かっていたが、そのまま終わりには出来なかった。
「何の用だ?」
「うちで働かないかと?」
「正気か?」
敵国の人間を取り込むことは定石だが。
「あなたたちの大半は、支配者層知識階層出身だろう? 人を動かす術を身に付けている。俺たちよりよほど年季があるとみた。」
「敵国の人間を、こんな直ぐに登用するものではないぞ。」
傷口も剝きだしだ。
白梟も、感謝されると同時に憎悪されている。
「知ったことか。時間こそ貴重だ。誰にも、何も言わせない。わたしが請け合う。」
見つめ合う、と睨み合うの中間くらいで向き合うこと暫し。目を反らしたのは男で、彼は自分と一緒にきた面々を振り向いた。
「----白梟は終いとする。」
「頭領!?」
ここに至っても、彼らはそう呼べと決めた呼び方を律義に守る。
「国はもうない。わたしへの忠義ももう十分受け取った。そなたらの力を生かすのはもはやわたしのもとでなくて良い。」
この廃都で、彼らは敗戦国の民を貶めなかった。一方的な施しではなく、対価という形で、尊厳を重んじてくれた。
いまも見捨てるなど思いも寄らない、付いてきてくれだろうかと思い悩むのから、信じられた。
「とはいえ、わたしが命じるものでもない。が、白梟が誰もに好まれたわけではないように・・・敵に与したと誰かには必ず憎まれる。自分だけではなく、家族も。だから、それぞれよく考えて、答えを出しなさい。」
「俺はあなたにも来てほしいのだが?」
話の流れから察したらしく、不満そうに青年は言った。同士たちが、ものすごい勢いで頷いているのは見なかったことにした。
「・・・あなたがたが、我らの後を引き継いでくれるというのなら、わたしは少し休みたい。田舎で畑を耕して、妻を弔いながら、・・・静かに。」
この廃都の光景と、そこでの出会いをずっと書きたかったのです。




