17 よくある婚約破棄騒動 その13
鬱展開が続いてます。
荷物はあるか、と聞かれた息子は首を横に振った。持ち出すものがないのなら、すぐにこの町を出ようと、手を引いた。
所詮は平民の子どもの喧嘩だ。怯えて逃げて隠れているくらいに取って、そのまま出てこなかった子どもがいたな、とぼんやり思って終わりになる。そんなものだ。
調べてあった古い廃扉に向かった。蔦の中に隠れていたそれは軽く揺すってやると、あっけなく口を開け、彼らを通してくれた。
夕闇から夜に時は移った。いま、町に向かって街道を歩く者がいたら、計画なしの称号が押されるだろう。誰ともすれ違うことなく街道を進み、道から離れた。何かの目印があるのかすいすいと木の間を縫って、やがてぽっかり空いた窪地に出た。小さな焚火を熾して、リグリュンが待っていた。
「こ・・アルム様、ルド様、」
無事に合流できたと、ほっと息をついたのもつかの間、火に照らされたボロボロのルフェードの様子に真っ青になった。
「も、申し訳ございませぬ!!」
彼を置いていったからだと察して、地面に頭を擦り付けるように身を折った。
「顔を上げて。リグリュンは父さまを探しにいってくれたんだから。」
だから、父に会えたのだ。
「・・父さまは、休暇をもらったの?」
徴兵された者に休暇があるとは誰も言っていなかった、けれど。それとも、徴兵が解かれた、のだろうか。
「脱走した。」
座るように促した後、父はごく短く告げた。
「・・・そう、なんだ。」
焚火の赫が、互いの横顔に踊る。半面は夜闇に落ちて。
ルフェードが俯いた。そのまま縋りついてきたのを父は抱きしめる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、」
「・・いいんだ、」
「よくない!」
ぎゅっとマントを握りしめて、ぼろぼろととめどない涙で頬を濡らしながら、ルフェードは血を吐くように言う。
「守れなかった! 僕のために、殺されてしまった! ごめんなさい! ごめんなさい!」
それは。
穏やかな夜の中であった。
「起きて。」
ひそめた、だが強い緊張をはらんだ声で揺すり起され、寝間着から着替えるように告げられた。
厚い旅用のマント、長靴、中身の詰まった背負い袋。そして決して落とさぬようにと、首からかけさせた小さな革袋は服の下へ。
「母さま、」
追っ手?と囁けば、
「そうであって、偽装しているのかも知れないし、そうではない、ただの無頼かも知れない。」
夜に慣れてきた目は、義母も旅支度であることに安堵した。
「何にせよ、うちを狙っている。三方を取り囲まれた。」
中庭に続く扉を開けた。春も深まってきたとはいえ、夜風はまだひんやりとしている。
「母さまは、寒くない?」
体を気遣ってくる息子の頭を撫ぜ、大きなお腹だから少し窮屈そうに身を屈め、その顔を覗き込んだ。
「先に行け。」
言葉は端的だった。
「!?」
「舟に乗って湖に出るんだ。この風向きならば、少し棹を使えば支流に入れる。」
「なんで、僕だけ!?」
「二人乗りだと重くなる。ぼくもこの腹ではオールで漕ぐのは無理だ。」
「じゃあ、僕が漕ぐ!」
「ルフェ、」
父親と乗った時に、その腕の中で少しだけ漕いだことがあるだけだ。聞き分けがない、と義母は首を振った。
「やつらの中に達者なやつがいたら、あっという間に捕捉される。投降も家の明け渡しも考えはしたが、見えるヤツ見えるヤツ、人相が悪すぎて、期待できない。」
軽く笑って、
「足止めする。どっちにしろ、目立ちたくないはずだ。町の者たちが気づいてくれるように、何とかするさ。」
「僕も手伝う!」
「だめだ。」
「どうして!?」
「・・・ぼくはかなり悪いことをする。ルフェには見られたくない。」
子どもだからとか心配だからと言われれば、反論のしようもあったのに、飄々と思いがけない台詞を言われて、言葉に詰まった。
「教育に悪いからな。」
とん、と背を押した。言葉を封じられて、もどかしく首を振ったルフェードは漸く声を絞り出した。
「・・・僕に、」
「うん?」
「赤ちゃんみせてくれるんだよね!?」
「当たり前だろう!」
約束を求める義息子に、驚いたように目を瞠ってみせたのだ。
「心細いだろうが。お兄ちゃんだから、できるな?」
と、それが最期の会話となった。
義母が読んだとおり、風は小さな舟を対岸へと押しやり、指示の通りに棹をさせば支流にするりと入った。連日好天が続いていたから、水量も流れも穏やかに、川はゆるゆると少年を運んでいった。
夜明けの光を待って、ルフェードはやや苦労しながらも舟を岸につけることに成功した。夜露に濡れた草で何度も足を滑らせながら土手を這いあがった。太陽の光と川の流れで、戻る方向を確定し駆けだした。
舟に乗っていたのは数時間だったが、水はルフェードをずっと遠いところに運んでいた。子どもの足、体力で休憩を入れつつ、ようやく帰り着いたのは、夕日があたり総てを真っ赤に染め上げつつ、少しずつ黒ずんでいくそんな頃合いだった。
赤黒い光の中、形を失った家はまだほのかに煙を漂わせていた。
消火と片付け、検分に集まった町の人々が忙しなく行き来していたが、ルフェードがこの家の子どもだと気づいて声をかけてくる者はいなかった。
「ようやく火は落ち着いたな。」
「飛び火しなくて幸いだったな。山火事は勘弁だ。」
玄関があったあたり。布に包まれて並べられた、それは人? 十以上はありそうだ。
「野盗の仲間割れか何かかね。なんで火なんか放ったのやら。」
「逃げ出したのもいるんだろう? 怖いねぇ。戻ってきたりしないだろうね?」
「兵隊が追っていったよ。捕まえてもらいたいよ。」
ルフェードは見物人の中から抜け出して、地面に並んだものの側に寄った。ぐいと布を引く。半ば煤け、苦悶の顔の見知らぬ男。次。喉をかきむしっている途中で息絶えた様子の、髭の男。次、
「坊や、坊やはこの家の!?」
慌てて、町の男が飛んできて少年の行動を制した。
ルフェードの硝子のような、感情が抜け落ちた瞳に息を飲む。
「母さま、は? 母さまは無事なの?」
「君の母親は、」
ごくりと唾を飲んで、
「ここにはいない。」
と、慎重な口調で告げた。
「どこ? 無事だよね? 片付けに参加してるとか?」
「----内だ。」
目を瞠って、走りだそうとした手をすんでで捕まえた。
「だめだ、危ない。」
「危ないなら、助けないと。」
「----もう、亡くなっている。」
びし、と少年は硬直した。
「奥の、落ちた梁の下にいるのが、恐らく。」
「・・した・・?」
「顔は、・・確認できる状態じゃなかったが、身重の女性で。これを、」
と、別の町人が慌てて持ってきたものをルフェードに提示した。
「何とかこれだけ外せた。母親のものか?」
ルフェードは奪い取るようにそれを取ったが、とがめだてられなかった。痛々しく見守っている。ぎゅっとそれを握って、家の中に走っていこうとするのを再び阻む。
「行かせて!」
「だめだ。中はまだ燃えている。」
「だったら早くだしてあげないと、母さま・・・!!」
「聞くんだ! 」
パニックになっている子どもを強く揺すぶった。酷だが、受け止めてもらわねばならなかった。
「体の上に落ちた、大きな梁は燃えづけている。近づけないから、どちらも避かすことは難しい。だから----遺体はそのまま、燃え尽きることになるだろう。」
煙になって、天へ還る。




