15 とある夕刻の幕間
休日前の執務終わり。
殺気立つ雰囲気がもはや名物の、「暁」第一執務室でも、さすがに空気が緩んだ。終業を告げる鐘と共にお先に失礼します! と元気に挨拶をして、若い官吏が退室していった。
「軽やかだねぇ、」
微笑ましそうに目を細める。
「デートかな?」
「独身者の食事会だそうですよ、女官と合同の。」
「ほぉ。」
面白そうに瞬いた。
今日は「ノー残務デー」である。トップ自らも退室しないと示しがつかない。その後、場所を変えて仕事をしていたとしても、とりあえずは。
他の面子も挨拶を残して、足早に去っていくのに「良い休日を!」と返しつつ、二人も机の上をまとめて立ち上がった。
「----あなたは行かないのか?」
かちり、と鍵の音に重なるように、朱玄公爵が言った。
「どこにです?」
同じように鍵を回していたヴァルティスが訝し気に上司を見返した。
「食事会」
本気なのか冗談なのか、と首を捻りつつ、
「お呼びではないでしょう。」
「だがヴァルティスも独り身だろう?」
「やもめですよ。」
苦笑いしかないが、妙に食い下がってきた。
「だが、女官たちには優良案件じゃないか? 悪い遊びの噂も全くなく、真面目な仕事ぶりで上司の信任厚く、同僚の信頼と部下の敬愛も勝ち取っている。あなたと結婚すれば、「暁」の副総督夫人で一気に人生アガリだ。」
「わたしはあなたが王都に戻っている時の留守居は引き受けましたが、副総督なるものになった覚えはありません。」
と、まず釘を刺す。
「実質、総督の留守居を務めるんだから副総督でいいじゃないか。いつでも辞令は書くと言っているだろう?」
「だめです。」
ぴしり、と言い放った。
「わたしにそこまで許す必要は認めません。」
降参というように、公爵は両手を上げた。
「・・結婚などで、わたしを縛ろうとなさらなくても、わたしの夢と希望をあなたにお預けしている限り、何処に行く気もありません。」
固まった空気を解すように、肩を竦めて見せた。
「だいたい、上司が食事会に混じったら纏まる子たちも纏まらないでしょう。折角の機会だと意気込んでいるのに可哀そうですよ。」
机上に残したファイルを小脇に抱えた。休日中に読んでしまいたい報告書だ。
「わたしには自分の相手より、孫が生まれるのを楽しみに、息子の相手を探す方がずっと現実的です。----わたしは、もう妻を取る気はない。二度、死に別れればもう十分だ。」
「・・その、済まなかった。」
しゅん、と謝ってきた。殆ど誰よりも偉いというのに。
「無神経だった。」
「宜しいですよ。気を使ってくださった、ということは分かっている。」
が、この際、言っておこうと続けた。
「まず自分の家庭を充実させることをお勧めする。わたしも遅い方だったが、あなたの年のころには息子は生まれていましたよ。」
「一応、既婚者なんだが。」
「陛下の御婚約も決まりそうなのでしょう? あなたも一年後のことを考えて、そろそろ動く必要があるのではないのですか?」
「・・ああ、」
「陛下が婚約されると聞いて、我々は胸を撫でおろしましたよ。まったくの女っ気なしで、あなたをやたら構う様子を見させられたあちこちから、心配の声が上がっていましたから。」
「----だから、」
反論するのもうんざり、というように公爵は顔を顰めた。
「あなたも、既婚者というかたちを盾に、どこにも泊まり歩かないのに、陛下の部屋にだけはお泊りになるし?」
酒盛りだよと力なく呟いたが、突然据わった目で言い出した。
「・・あのな、休み明けに報告しようと思っていたんだが。そうまで言われたら、言っておく。」
「なんです?」
「妾を迎えたいと思っている。」
たっぷり数秒、上司の顔を見つめ返した。幻聴かな、と首を傾げた。
「・・・は? しょう、とは。」
「妻以外に迎える女性。めかけ。」
「は!? あなたはどうしてそんな大事なことを、突然、前触れもなく報告するんだ!?」
検討すべきことが、脳裡をざっと十個は流れて、さらに追加されていく。
「まず、どこのどなたです? 「暁」にいるのか? それとも王都か!? あなたの立場なら、妾でなく側妃が置けるだろうに、なんで妾。確かに、あなたは王太子の夫だが、王太子がまだ未成年ということを考えれば、側妃を置いても問題はないと、ずっと。いや、なんで突然、決めてきた!?」
「----落ち着け、」
お前でこれだと、後の連中はもっと酷いだろうなと天井を仰いだ。
「いまはテュレにいるが、」
「サクレではなく?」
皇太子領であるサクレを代理統治している公爵は年に何回かその地を訪問する。サクレで出会ったのなら不自然ではないが。
「・・それは、うん。できる限り急いで、こちらに移ってもらうつもりでいる。」
「公爵邸に部屋を?」
「いや、別宅を用意する。」
「妥当でしょうな。皇太子殿下----正妃もまだ入ったことのない公爵邸に先に側妃を入れる訳にはまいりませんから。」
「・・側妃ではなく、妾。」
「身分の問題でしょうか。平民でも、身元が明らかならば誰かの養女に迎えれば、」
「子どもがいるんだ。」
公爵は更なる衝撃を追加した。
「まだ生まれてないが。聞くところによると、後二月くらいで産まれるとか? 」
「いつの間に!?」
声が迸ったが、即座に冷静になった。
「----あなたの御子か?」
「もちろん、違う。」
また、面倒なことを、はっきりと言ってくれた。
「子どもごと引き取って、妾に迎えたいと思っている。・・・とても大事に思っている人なんだ。」
青天の霹靂、かくのごとし。
彼らの言葉遣いが、互いに半敬語なのは、いろいろあるからです。それは、おいおい。
ヴァルティス氏は「王城編」以来の登場です。1年ぶり。1年でここまで来たかとも思います。覚えてもらえていたら、ありがたい限り。
次回から「よくある〜」のタイトル更新に戻ります。
そして。
そろそろ原稿用紙換算で1000枚になります。
評価とかいいね、いただけたらとても嬉しいです。




