14 狂騒誕生日の鎮静
新都への遷都を布告して後、王城の補修は最低限に抑えている。幸いにして、最も格式の高い亖剣の間がこ無傷であるから、外国からの正使対応、国家行事は、少々手狭なのを我慢すれば問題はない。しかし今回ばかりはそうもいかなかった。
即位して初の、国王の誕生を祝う国家行事である。戦禍からの復興と今後の国の威信もかかっている。格式も大事だが、こじんまりと済ませるわけにはいかない。できうる限り華やかに、盛大に。
発起人は朱玄公爵であった。経済と外交のきっかけに、国王の誕生会なんかはどうだろうと気軽に提案したものである。公爵の提言だから、余り抵抗せず是といった国王だが、動き出した企画はぎょっとする規模となっていた。話が違うのではと朱玄公爵を問いただしたところ、「暁」から行政官が派遣されて来て、諦めるに至った。
「自分の誕生会でやれよ」
と、それでも愚痴ったようだが、
「陛下の誕生祝をしたこともないのに公爵の誕生祝の会を行ったら、他国はエアルヴィーン様の増長著しいと取るでしょう。」
「陛下が、朱玄公爵の誕生日も同じように祝って差し上げたいのなら、まず陛下が範を示さねば。」
と、多勢に無勢であった。
さて。
誕生祝と掲げたものの、未だ王妃を持たず婚約者を定める気配もない国王である。見合い大会の様相を呈し始めるのは、まったく自然な流れであったが、これまた国王だけが、諸国使節名簿や国内招待者(希望者)名簿にずらずらと若い女性の名が並ぶのに愕然としていた。
しかし、婚約者候補の名乗りを上げてやってくるわけではないから、参加を断るわけにもいかない。
「わたしは成人する前に王城を離れた野育ちだぞ? 夜会で生粋の姫君と何を話していいか分からん。」
こればかりは、既婚者である朱玄公爵が肩代わりはできない。
「わたしに丸投げなぞしてくれるなよ? 国の威信が失墜するぞ?」
脅しなのか、泣き言なのか。
国王の成婚は悲願だから、この機会は逃したくないが、薬も過ぎれば毒となる。
「では、見知った方をお招きになって、パートナーになっていただくのはいかがでしょうか。」
側近の一人が、ポンと手を打って、進言した。
「旅のお仲間の、『白舞』の姫君にお願いするのは?」
低めのハードルから跳ばそうというか。
「ああ、あの、お可愛らしい、」
「いつだったか、それとなく『白舞』の者に問い合わせたところ、彼の方はご実家で慎ましく暮らしておいでだそうだ。勿論、結婚もされていない。」
「おお、それなら戦友である陛下のためにお越しいただけるのではないでしょうか?」
「もう一方の、海皇の姫君も平等に招くべきでしょうけれど、異花陸に使者を遣わすには時が足りませんので、この度はお一方のみでやむを得ないかと。」
あくまで緩衝材的な扱いと国王の抵抗感を下げつつも、本命でもあり、という感じも見え隠れしている。
「----マシェリカに招待状を出すのは構わないが、」
王の了承に、一同は湧きたった。
「おお、それでは早速人選を。失礼があってはなりませんから。・・ええ、我が国の恩人たる方ですから。」
「まずは、今代の王たるヤハク伯のもとを訪ねてシハク伯へ繋いでいただくのが礼儀でしょうな。」
『白舞』は小国で、八つの領主が代わる代わる国主を務める寄合国家と認識されている。つまり、外国に対して強く影響を及ぼしてくるとは考えにくい。
『遠海』国内の後見が要るだろう、と招待の使者がその第一歩とばかりに透明な権力の尻尾に群がってしまう様子を、暫し観察していた国王だが、
「ナーグ伯、」
と、我関せぬ顔で書類を捌いている中の一人、臨時出向者を呼んだ。
彼は天旋に合流した文官である。
「面識があったと思うが、」
「----畏れ多きことながら。」
「副使を任せる。正使は----よく話し合って決めよ。」
これを前日譚として、話は誕生の宴に戻る。
参加者が膨れ上がったため、中広間前の中庭も会場の一部として調えられた。破壊されて跡形もない大広間と、これで同程度の広さとなった。降雨が少なく、気温も穏やかな季節の常識を裏切らず、この日も穏やかな空模様であった。
国王は朝から何度かバルコニーで手を振って、都の民の歓呼を浴びた。そして夕闇の頃から、王宮はかつてのようにまばゆい灯りを纏って闇に浮かび上がり、王都の民は平和が来たことを改めて実感した。
高位の令嬢ほど相手は国王に絞られていくが、男女が出会える絶好の機会に、身分の上下を問わず«婚活»の意気は(本人家族問わず)高まっていた。
主役は無論国王であるが、もう一つの目玉はやはり朱玄公爵である。本来なら、筆頭(唯一)侯爵として自らが主催してしかるべきだが、ほぼ「暁」に詰めっきりである彼が、国の再建以来、夜宴に参加したのは片手に足りる程度だ。この機会を逃さず、舞台や吟遊歌で有名すぎる、伝説の人物を一目、できれば言葉を交わしたいと願うのは人情というものだろう。
中庭と広間は空間として続いていて、関係として断絶している。
中庭に通されているのは功ある騎士階級や商人、あとは国内の低~中層の地方貴族である。明明と灯りが灯され、料理と飲み物に、中との区別はない。気楽な交流を楽しみつつ、高貴な人々を少しでも見れないかと開け放たれた広間との境界に近づいてく者も多い。そこに人が溜まるのを(安全上)よしとしない警備の騎士に移動させられてしまうのだが、寄せては返す波のような具合である。
逆に、内側のギリギリで外を眺めている者もいる。その一家も中庭にこそ知り合いが多い。それでも、せっかく広間に割り振られたのだから、と当主とその夫人はより上の方と! と気合を入れて広間を進んでは、しおしおと戻ってくることを繰り返している。
「いいお家の方の目に止まらなくては!」と事前には娘に発破をかけ、引けを取らないくらいに装わせたつもりでいたが、過ぎる人過ぎる人の装いはずっと華やかだから、「・・おいしいものを食べていなさい」とすっかりトーンダウンした。
王宮の夜会には興味があったが、出会い云々にはまったくそそられていなかったユーディラは、取り揃えられた、立食スタイルの料理ブースを思う存分行ったり来たりしていた。話し相手はいないが、華やかな色彩の広間は見ているだけで眼福だ。今夜の宴は国家の行事として位置づけられているが、誕生祝といった性質から正装は義務付けられてはいない。昼のバルコニーでは威儀を正した正装だった国王も含めて、老若男女問わず、思い思いの色や工夫を凝らした意匠が、次から次に流れていくのだ。飽きる暇もない。
前菜から順番に取って、現在、メインの一皿目、魚料理だ。食べやすいように各小皿に分けられた白身の魚と付け合わせの根菜をじっくり味わっている。
「・・うちの川の魚とぜんぜん違う!」
魚はとばして肉にしようかと思ったが、食べてよかったと感動し、食べ終えた皿を返しつつ、合いそうな白ワインを取ったところで、アクシデントに見舞われた。
中庭から広間に入ってきた人と、ユーディラの背がぶつかったのだ。押されて前につんのめったユーディラの手からワインぐらいが飛んで、がしゃんと砕ける音、そしてユーディラは後ろから伸びてきた手に抱き込まれるように支えられて転倒を免れた。
「すまぬ。」
背後。前のめりの姿勢のユーディラの頭の上から声が降ってきた。
「わたしの前方不注意だ。----ああ、片付けてくれ。」
後半は駆け寄ってきた給仕に対しての言葉だ。グラスが傾いた時に、僅かにワインがかかった指に気づいて拭うものを探そうとしたときには、被せられた手巾ごと手を取られていた。
「申し訳ない。ドレスにはかからなかったか?」
「だ、大丈夫です。」
丁寧に指を拭って、その手は離れたが、もう一方の手は腰----というか腹----に回ったままだ。
「あ、あの、」
小さな脇狂言のはずなのに、妙にざわざわした気配と視線を感じた。前方を見遣れば、吃驚した信じられないものを見ている顔が並んでいて、とても嫌な予感がした。
腰の手が離れるのと同時に、ゆっくりと振り返って、みた。いきなり顔を上げる度胸はなくて、ます見えたのは上着のお腹あたり。黒と朱糸を混ぜて織った生地の上着で、金の縁取りもされた豪奢なものだ。
かなり高い身分の人だと覚悟を決めて、視線を上げきり、目を見開いて固まった。
正装ならば刺繍のところに、精緻なブローチを付けている。朱い鳥と玄い鳥。そして、鮮やかな金の髪に絶妙なバランスで散る朱色の房・・・!!
「し、朱、玄、こ、公爵さま・・・っ!!」
伝説の人は、ユーディラの掌をそっと持ち上げ、軽く腰を屈めて唇を寄せる仕草をした。
「エアルヴィーンだ。御令嬢、お名前をお教え願えるかな?」
「ユーディラ、リール子爵テリスートの長女でございます。」
「リール・・ガレシ伯と縁戚だったか?」
「は、はい。遠くはありますけれど、」
「スチュアード・ガレシ伯爵は尊敬すべき先達だ。なかなかお会いできないことが残念だが、」
丁度戻ってきた父母が、騒ぎに気付いて血相を変えて走って来る。
「今回も陛下へ誕生祝の品を送って下さった。やあ、リール子爵、」
「お、お初におめもじいたします。テリスート・リールにございます。娘が、何か閣下に粗相を!?」
「いや、失礼をしたのはわたしだ。うっかりぶつかって、娘御の指を汚してしまった。」
ゆったりと公爵は言葉を紡ぐ。
いい加減手を離してほしいと見た目よりきっちり掴まれた指先を見つつ、舞台や吟遊歌とはやはり違うものだな、と思ったのだ。
傭兵として各物語に現れる公爵は、言葉遣いも態度も粗く、一匹狼的で斜に構えている。
しかし、目の前の青年は優美で、まさに貴公子然とした様子だ。
「遣いは、あなたであったなリール子爵、」
そうだ。ガレシ伯の遣いを請け負うことになったから、たかが地方子爵の身で広間に席次が割り当てられたのだ。
「いえ、あの、本来ならばガレシ伯自ら参列いたすべきところなのですが、その、高齢にございまして、とても王都への移動は考えられず、」
どうして、父がしどろもどろになるのかユーディラには分からない。
父は頼まれたことをちゃんと果たしたと、いうのが彼女の認識だ。ガレシからの使いとの間で、「わたしのような家格の者が」「せめて本家筋のどなたかが」と、かなり長いやり取りの後があったことを知らないし、離れたところに住んでいるから、一目置かれているというガレシ伯爵に会ったことはなく、ましてや政治向きのことなど気にしたこともない。
ユーディラと同じような者たちは思いがけず間近に臨めた朱玄公爵の姿にうっとりと見惚れ、政治向きな駆け引きを嗅ぎ取った者たちは、ガレシ伯爵の非礼に眉を寄せる。
「お役目御苦労だった。」
公爵はリール子爵に微笑み、労った。
「肩の荷も下りたことであろう。ゆっくり楽しまれよ。」
「ありがとうございます。」
リール子爵は、ほ、と息を吐きかけ、続けられた言葉にそのまま息を止めた。
「ガレシ伯爵には、朱玄が陛下に代わって礼を申していたとお伝えを願いたい。」
ざわ、と後者が揺れる。
ガレシ伯爵のような有力貴族の贈り物に対しては、たとえ当人が出席していなくても代理に国王自らが礼を述べるものだ。
余人をもって代えられぬ王国のナンバー2だが、王族ではない。
不相応な代理を押し付けられた子爵については情状酌量するが、ガレシ伯の非礼を受け入れたわけではないことを、はっきり告げたのだ。
「----ガレシ伯には、近いうちに是非ともお会いしたいところだ。」
明るい響きであったが、聞く者によっては宣戦布告か断罪かという言葉に、ダンスの始まりを告げる華やかな前奏が被さった。
国王が薄いベールを被った女性の手を取って、広間の中心に進んでいく。
「おお、英雄同士の、」
「まあ、なんてお似合いな方々なのでしょう。」
「聞かれまして? 実は終戦の時から憎からず思いあっていたそうですのよ?」
「ええ、ええ。陛下がずっと婚姻を拒んでいらっしゃったのも、かの方をお待ちになっていたからだと。」
「『白舞』のしきたりがお二人を隔てていたそうですけれど。今回『白舞』の国王様も一緒にいらっしゃって、漸く再会が叶ったとか。」
「お幸せそうですわ。」
「ベールでお顔が見れないのが残念ですけれど、あれも『白舞』の風習なのでしょうか?」
「ええ、謎めいた国ですもの、きっと。でも、神秘的ですわ。」
あちこちで上がる囀りを、公爵は静かな顔で聞いていた。
----ユーディラの手を取ったまま。
エスコートしてくれているのか、身分違いの娘の手など手とも思っていないからなのか。婚約者もまだおらず、異性とこう長く(ダンス一曲分も!)手をつないだことのないユーディラはそろそろ限界である。周囲の視線が、国王と異国の姫君に集中していることはせめてもの救いだったが。
「あの、」
手を離していただけませんか、と申し出るはずだったのに。
「ユーディラ嬢、ダンスは楽しめるほうか?」
「は、はい、ええ。」
これが得意ですかと聞かれていたら、流れは違っていたはずだ。
「それは良かった。では、わたしと一曲踊ってもらえないか?」
再た掴んだ掌を持ち上げ唇を寄せながら、公爵は微笑んだ。
「・・は?」
「次、わたしが踊らないといけない。」
国王のダンスは終盤に入っている。
国王が踊り、王太子や来賓が踊って、それから一般のダンスとなる。
「王太子は成人前だから出席していないし、今からパートナーを募っていては間が悪いことになる。」
国王のダンスが終わるのと同時に進み出るのが、段取りというものだ。
「いえ、あの、公爵様がお声をかければ、だれでもすぐにパートナーになるのでは?」
引きつった顔で、何とか反論してみたのだが、
「普段王城に居らぬため、女性の顔見知りは殆どいない。あなたが申すように、身分あるわたしが誘えばだれでも受けて下さるとは思うが、ダンスを楽しめない方を引っ張り出してしまうのは心苦しい。」
二重の圧力である。
国王と『白舞』の姫君が、美しいターンを決めていく。
「ちゃんとパートナーを選ぶ予定ではあったのだが、思わぬ時間を取ってしまいったからな。」
視線が、これは国王ではなく娘と公爵を見ていた父に流された。
「娘御をお借りしてよろしいか? リール子爵。」
父に否が唱えられるわけもなく、勢いよく首が振られた。
「指先を汚してしまったお詫びに、ダンスを楽しんでいただければ、きっと、あなたはわたしを許してくれるだろう?」
言葉だけは下手に、傲然と微笑んだ公爵に、魅入られるようにユーディラは頷いていた。
ガレシ伯爵がここで出てくる、ということは。
年表整理しながら、頑張っています。ガレシとは?とお思いの響界編からの方、どうぞ綿津見編へ。




