5 よくある婚約破棄騒動 その4
イライラと足踏みしそうな形相で玄関ホールに陣取っていたのは、近衛への配属が内定している、王子の側近(予定)である騎士団長の子息である。
カツ、と杖を鳴らす音に、正面大階段を振り仰いだ彼は、杖をつきながら、ゆっくり降りてくるフルークの当主のさまに、舌打ちを堪えるように口をひん曲げた。
型は乱していないが、敬意を感じさせない速さの一礼をし、
「王太子殿下の遣いでまかり越した。」
と、高らかに宣した。
「わたしはつい先ほど城から戻ったばかりなのだが、」
追いかけるように使者を立てねばならないとは、
「さほどに重要な要件かな?」
「勿論。」
傲然と頷いた。
「フルーク侯爵邸にいるウィアトルという名の人物を引き渡していただこう。」
冬の黄昏のようなアダルヘルムの瞳が鋭く光った。
「理由は、」
「王子殿下とその婚約者であるアデラ男爵令嬢に対する傷害罪だ。」
胸を張って、近衛騎士(予定)は言を継ぐ。
「上意である。即刻ここへ引き出せ。」
「お断りする。」
侯爵の返答は短かった。
「な!? フルーク侯爵家は謀反人を匿うというのか!?」
激昂する使者に、侯爵の顔面はぴくりとも応じない。
「プレゼート殿の御子息ラルキエ殿。」
立場だけを押し出して名乗りもなかったが、侯爵はさらりと若者の名を呼ぶ。
「あなたはいかなる権限で我が邸宅に参られて、我がフルークの保護下にある者を拘束しようとしているのか。」
「レーヴェン殿下の用向きだと申し上げた!」
「王太子殿下----王族が呼んでいるからという理由で、同意のない者を連行することはできない。」
「暗殺の実行犯----反逆の疑いがかかっている!」
「話が大きくなってきたな。」
カツ、とフルーク侯の杖が鳴る。
「貴卿らが問題と上げているのは先日の夜会の一件だと思うが」
「そうとも。ウィアトルなる者が殿下に向かって奇妙な粉末を投げつけたのだ!」
「違うわ!」
二階の手すりの向こうで下の様子を窺っていたエルーシアがたまりかねて口を挟んだ。
「ウィアトルはあなた方に向かって投げただけです! 正確には、あなた方とわたくしの間に。」
「ウィアトルは何故投げたのだ?」
「方々がわたくしを罵り、拘束しようとしたから。」
「王太子の婚約者で、フルーク侯女のおまえを、いったい、何の罪咎で拘束しようとしたのかな?」
薄っすらと笑いのようなものを刷きつつ、階上から階下へ視線を戻す。
「・・エルーシア嬢はアデラ男爵令嬢に危害を加える可能性が高く感じられたので、やむなく。」
「三人がかり、で?」
まさか何も知らないとでも思っているのだろうか。その場しのぎの言い訳をしてくれる。
「我が妹は、男が三人も必要な女騎士に見えていたか?」
「ぼくが投げたのは、身体には害がない---その時は染みたりちくちくしたりするけれど、適切に処置すれば問題ない、調味料にもなったりする薬草だよ?」
ひょいとエルーシアの隣に、(本人曰く)秋のどんぐり色の頭が並んだ。
「貴様、ウィアトルか!?」
一瞬だが顔を合わせている。断定したラルキエは、フルーク侯を問答無用とばかりに押しのけて、階段を駆け上がろうとした----のだが、いま彼は棒立ちになっている。
その喉元に、フルーク侯の杖の先が鋭い勢いで突き付けられていたからだ。脚のために騎士団から退いたのは随分むかしのはずなのに、現役の騎士に抜く手も見せない速さだった。
「ウィアトルが投げたのは女子どもが護身用に携帯できる薬剤で、我がフルークの主治医が、使う側の安全性と(使われる方の)効果を確認している。それを何故投げつけられることになったのか明らかにしてから、法務大臣の公印付の出頭命令を取って出直せ。」
「おれはっ、レーヴェン殿下の使者です! こんなっ、」
「妹はまだその殿下の婚約者だ。契約の公書は破棄されていない。その目の前で、騎士の息子風情が----おいたがすぎるというものだ。」
たかが杖でも急所を突かれれば命に関わる。触れないギリギリに突き付けられた杖の先は、フルーク侯が加減したということを如実に伝えている。
「ウィアトルは必要があればわたし自らが連れて登城するだろう。レーヴェン殿下にはそう伝えなさい。」
ラルキエの肩から力が抜けたのを見極めて、侯は杖を引いた。
カツンと杖先はまた床を鳴らす。
「謀反人を庇うなど、フルーク侯爵家ごと大逆の疑いありということになりますぞ!!」
捨て台詞を残して、靴音高く玄関を出ていくのを無言で見送り、アダルヘルムは深く息を吐いた。強張った顔で控えていた執事に、書斎の準備を指示し階段を上っていく。杖は持ってはいるが使わない----屋敷内では使わなくなって、暫くになる。
二階に上がった途端、拍手が飛んできた。
「侯爵、強かったんだなあ!!」
「お兄様、すごいですわ。あの方、剣術では学年で一番でしたのよ!」
妹とウィアトルが目を大きくして賞賛してくるのに、ほっとした。
「足弱だと侮っていたからな。うまく不意をつけただけだ。」
「いやいやご謙遜を! 騎士みたいだった!」
「お兄様は騎士でいらっしゃったのよ。お若い頃。」
年齢半分に近い、年の離れた妹が無邪気に抉ってくる。
「へぇ!?」
「似合わんか?」
「いや腑に落ちたというか・・・っぽいよなあ、」
・・・には名前が入ったように聞こえて、思わず両手でその肩を押さえてしまった。
カランカラン、と杖が転がる。
「思い出したのか!?」
「へ!?」
「いま、だれのようだと言おうとした!?」
「そんなこと・・・言ったかな?」
真上の、至近から顔を覗き込まれて、困ったようにエルーシアへと視線を逃した。
「お兄さま、」
妹が助け舟を出した。
「心配なお気持ちは分かりますけれど、痛そうですわ。」
は、と見ると、少しだけ眉間に皺が寄っていて、バッと両手を上げた。
「すまん!」
「いや、痛いというか・・びっくりした。」
へら、と笑いウィアトルは杖を拾い上げて、侯爵へ差し出した。
「ありがとう。その、思い出したわけではないと?」
侯爵の本意を知らずに、ウィアトルは申し訳なさそうに頷いた。
「何だかんだでもう一年も居候させてもらっているわけだし、早く思い出さなくては。」
「いや、その、」
「でも、誰かの名前を出しそうになったということは、少しは記憶の淵から浮かんできているのかも知れない。----きっと。」
「ああ、そう、だな。」
「うん。じゃあ、そろそろ庭に戻るよ。----侯爵、庇ってくれてありがとう。」
と、行ってしまった背を見送って、兄妹は顔を見合わせた。正確には、妹が兄を見て呆れたように溜息をついた。
「まさにいま、言うべき台詞があったように思いますけれど、」
「----そう、思う。」
口元を押さえて、ひとり反省会を始めているが、
「ちゃんと約束をなさってくださいまし。」
この件に関してはとても頼りない兄に、エルーシアはしっかり発破をかけておくことにした。
「あの日、わたくしたちの前に現れた僥倖なのですから----ウィアトルは。」
BとLではありません。




