1 思いもよらない訪問者
「霧の彼方の国の末裔たる、朝露夕靄に翠輝かす森の働き手に、月夜のお導きがございますように。」
きっちりと、『白舞』の古式正しい挨拶をしてくるところが、侮れない相手だと告げている。
山と森ばかりの鄙びた小国。有能な薬師と稀なる新薬を輩出するといえば聞こえはいいが、それ中心で国が回っている----いや、それで回るように国と成ったのだ『白舞』は。
「ようこそ、白なる森へ。正しき花をどうぞお選びください。あなたに幸運がありますように。」
やはり古式の言葉で返す。もとは古聖語だったらしいが、現代語でも意味不明なのだから、これで十分だろうと思っている。
「----お座りください。」
「お言葉に甘えて。」
待たせていた間に飲んでいた茶が下げられて、シカも含めて三人分の茶器と茶菓子が並べられる。家で一番「お洒落だ」と思われている一式だ。
「我が王都より帰国の途につかれて以来ですね。お元気そうで何よりでございます。」
とは、古式挨拶のほう。
「リセリオン・ナーグと申します。伯位を賜っています。直接ご挨拶をする機会はございませんでしたが、四方公爵の執務室で幾度かお二方をお見かけさせていただきました。いまは、『暁』の代官として、王都にて職務にあたっております。」
察しのよさそうな男は、微笑みを深くした。
いま一人の方はきょとんとして瞬きを増やしている。
「----ランデリジ・トシニと申す。王都にて侍従副長官を務めて、伯爵位にございます。初めてお目にかかります。・・・あなた様は、」
応接室に入ってきたのがだれか分かっていない----場を仕切りだした待ち人でもない相手に苛立ちを感じているというところか。
自分を訪ねてきた、ということだが----語るに落ちたというわけだ。
「----マシェリカでございます。」
にっこりと口は笑みを作るが、目は笑わない。
「シハク伯トゥルークの長女になります----ご存じでしょうが。」
自分を訪ねてきたのだから。挑戦的にシカは名乗った。
「それで? 『遠海』国王陛下と『暁』の四方公爵の、それぞれの側近方が、わざわざ異国の、一地方領主の領主館まで、足を運ばれるとは、いったい何事でしょうか?」
勿論、この部屋に入る前に、父と国代のヤハク伯から聞き及んではいる。
沈黙。
ナーグ伯は端然とした姿勢を正して座り、トシニ伯爵はシカを見て横目で同僚を見て、いい風が入ってきているというのに額の汗を拭い始めた。
「遠い道のり、しかも山道をおいでになりさぞお疲れでしょう。何もございませんが、今夜は我が家で英気を養われて、明日お帰りになればよろしいでしょう。」
「いやっ、しかし、っ」
意地なのか沽券なのか分からないが、後押ししてやろうと、シカは(辛うじて保っていた令嬢ぽさを)止めることにした。
「わが父も国代どのも、季節外れの熱射病を患われたようだった。」
細く開いた扉のあちらから、はらはらした雰囲気と視線が送られている。外交問題を案ずるのなら、端から国代の威厳をもって断わればよかったものを。
----小国の悲しいところか。
「正気ですか、とは思ったが、まさかそうとも言えないよ、」と案内してきた国代は、ぶっちゃけ頭を抱えていた。兄と同年代だが、父親を早くに亡くしたため、十代で家督を継ぎ、しかも早々に国代の順番もやってきたという不運さだ。逆に兄は、早死にと不審死が立て続かない限り、存命中に、恐らく順番が回ってこないという幸運な巡りに在る。
「申してくることが、錯乱しているレベルで話にならん。」
男の口調に切り替える。
顔見知りのナーグ伯の表情は変わらないが、トシニ伯爵は驚倒している。
「父は確かに後妻を探していたが」
「い、いえ御父君ではなく、」
「兄か、あれは秋に漸く許婚と祝言だ。祝ってやってくれ。」
野良着で客間に入らないくらいの弁えはある。シカは余所行きにできる格好になっているが----紳士ものだ。服装に合った口調とも言えなくもない。
適当なディドレスを準備しておくように、と父は女中に言ったとか。そして、娘のクローゼットにはドレスがない、と聞かされて、「・・え、」と固まったらしい。どうして、「ある」と思えたのか、彼以外の素直な首の傾きだ。
「いえ、兄君でもなくっ、・・そのっ、」
にこり、というより、にやりという表現が似合う笑みをたたえて、シカは手を広げた。
「ほぉ? では、心して御伺いしようか。」
実に男前の仕草で、よく似合っている。ナーグ伯の唇の端が、懐かしさに苦笑いを足したような角度で上がった。
「----その、」
青ざめて、明らかに脂汗が浮かんでいる。トシニ伯爵は救いを求めるようにナーグ伯を見た。
「正使は卿です。」
味方(そうだったかは知るところではない)が梯子を外した。
なかったことに、と目に力を込めた。
「ふわふわじゃなくて残念だったな?」
言わぬが花というやつだ。
気付けが必要そうなトシニ伯爵は、彼の従者に抱えられて客室に向かっていった。
「----人が悪い、というか非効率的だと思う。」
「見たことしか信じられない者も多いのですよ。」
平然とした顔で居残ったナーグ伯はソーサーごと茶器を取り上げ、作法通りに器を愛でてから一口、二口。静かにテーブルに戻した。
シカも茶器を持ち上げ、一気に中身を空けた。着替える間はくれても腹ごしらえの間はもらえなかった。無造作に茶菓子を口に入れ、咀嚼しつつ、
「いる?」
「いただきましょう。」
新しい茶を、二つのカップに手づから注ぐ。
一応、未婚の女性だから細く扉は開いたままだが、先まであった気配は消えている。父と国代はトシニ伯爵の対応に回ったらしい。
好きにしろ、ということだなと解釈した。
「独特の風味ですね。やはり茶葉に何かの薬草を混ぜ込んでいるのでしょうか。」
「遠来の客だから、疲労回復と筋肉疲労促進の薬草配合だよ。」
「さすが薬師の御国ですね。こちらはお家でされているのですか?」
「うん。家ごとにいろいろ試す。円卓会議で、披露して、効能と風味など条件が調えば、輸出品にもなる。王都なら『白舞』の直営店のほか、幾つかの茶屋にも卸しているはずだよ?」
「ええ、妻が身重でつわりが酷かった時に、とある調合のお茶にお世話になりました。」
「おや、お得意さまだったか。」
顔見知り、とはいっても名前も知らなかった程度だ。既婚者で子どもあり、と情報を追加する。
「ええ。暁の長官が勧めてくださって。助かりました。」
妊婦が好みそうな銘柄はどれだろう、と出荷中の商品を脳裡にリストアップしている。
「彼の奥方もがつわりの時に飲めていたいう調合に似た商品があるかお店に問い合わせたところ、ご紹介いただきました。≪揺るぎ石下の薊≫。」
「うちの開発だ。偶然だが、役に立てて嬉しい。」
素直な笑顔で言えたが、ひっかかったのは、
「長官の奥方は、うちの商品を飲んでいたんじゃないんだ?」
「自家製で、長官も材料は分かるが配合は知らないと。僅かに残っていた現物を提供して下さって、それをもとに問い合わせました。」
「ということは、その奥方はもう鬼籍か。」
この男の上司で長官という高官を務めるということは、高齢なのだろう。シュレザーン元帥を思い浮かべながら言う。
自分と兄と父が苦労して作り上げた調合を、先に見つけられていたということだ。他国の薬師もなかなかやる。
「先行があったということを周知するようにする。奥方の名前といつのことかを教えてくれ。」
「----律儀ですな。長官もお飲みになって、かなり洗練されたと言っていました。別物と思っても良いのでは?」
「私はその人を全く知らないが、だれかがどこかで試したことが、風の噂にもならない囁きでも、回り回って、私たちの閃きに影響を与えなかったとは言い切れない。薬師として先人に敬意を払いたい。」
真摯な目にナーグ伯は頷いたが、残念ながら即答はできないということだった。いつから職場の上司か知らないが、その奥方で既に故人になって経つ人について詳しいわけはない。
「調べておきますよ、」
と請け負ったが、
「王都の店に、ぼく宛で手紙を預けてくれれば、」
「いいえ、ぜひ直接お話させてください。」
どうにも、へんなことを言い出した。
「こんな辺鄙なとこまで、はるばる来るっていうの?」
暇なの?という副音声は聞こえなかったとは思う。
ナーグ伯は傍らの書類入れから、一通の封書を恭しく差し出した。
「次の次の月に開催します我が国王陛下の誕生の宴にぜひお越しいただきたい。『白舞』シハク伯爵令嬢マシェリカさま。」
タイトルがちょっとピンとこないので、改稿するかも知れません。




