落人き譚 6
風は街路の梢をざわめかせ、白い小さな花片を、刹那、青い空へと散りばめた。
髪をおさえながら、鮮やかな青と白の対比に思わず息を呑む。
はらはらと舞い落ちてくる花びらは人差し指の爪の形に似ていて、故国の桜を思い起こさせた。春の朧なる薄い青の下で花開く桜と違って、こちらは夏の終わり、カークという花は秋を告げる。
はじまる収穫の季への期待、また収穫を終える頃に催される一年で最も華やかな祭りへの高まる興奮、そして変わる風を待って、蒼苑海へと漕ぎ出していく貿易船の恙ない航海を祈る花名、だという。
よく似た散り方の花なのに、こちらの人々ははかなさはなく、旅立ち、決意・・・始まる季節へ心を奮われている印象だ。
足を止めて夏の終わりの空に舞う花片を追った人たちは、目を細めはするものの、どこか気持ちを切り替えたような眼差しを先に向けて、また歩きはじめていく。
正面遠くで海が光る。何の変哲もない、穏やかな昼下がりだ。
----ここが、異世「界」であることを置いておけば。
「こいつが見事に散る年は実りが多い。」
満足そうな口調だ。
「蒼苑海越えも嵐が少ないというぞ。」
他花陸へ、渡りの季節風が吹く時季ということらしい。
正面遠くで海が光るなだらかな坂を下りきる。
湿度が低い分、日陰に入れば涼しいが、まだまだ汗ばむ夏の日差しだ。陽は傾いてきていて、午前の仕事の追い込みといった感じの人足たちが慌しく行き来していた。
お仕着せの自分と平服の彼の取り合わせは、ぱっと見には買出しに出た侍女と非番の衛士が連れ立っているように見えるだろうか。とくに目立つこともなく、建設中の街路を進んでいく。
「どこまで、行くんです?」
彼が外出すると言うから、供がいっぱい付くのだろうと思ったのに、だれも現れなかった。
洗いざらした開襟シャツに、縹色に近い青の薄手の上着。佩剣こそしているが、そのあたりの町の男と大差ない軽装。
何が普通なのか、分からない。
自分の常識では、公爵とか呼ばれる人は着飾って、護衛とかの付き人を従えて行動するもの、なのだけれど。
あと、夜は舞踏会とかで遅くまで遊んでいて、午前中は寝ている。執事に起こされて、寝台で朝食とも昼食ともつかないものを食べる。その後、手紙を幾つか読むくらいの仕事をして、乗馬に行くとか買い物に行くとか(女性付き)して、最初に戻る。
舞踏会はないし、青年は夜明け前に起きだしているし。
執務室のはしごが、日常で。でも、これがこの世界での「公爵」のスタンダードなのか?
「俺の、義父が経営している食堂。」
「えー、と、前公爵さまが飲食店経営!?」
いや、所有者ならありか、と思う。
「いや、義父だよ。実父は鬼籍だ。」
吃驚したように言ったのち、彼はああ、と人差し指で、数回額を叩いた。
「俺は妾腹だ。母が身罷ったのち、父の扶養を断って十三から傭兵を始めた。東ラジェで、そんな俺を引き受けてくれた人が、いま『暁』で食堂を営んでいる。正式な養子縁組ではないが、俺は父と思って接している。」
と、さらっと言ったが、なかなか重くないだろうか。
母は愛人で、中学生から働き始めて、これから会う人が身元保証人、ということは。
不貞行為、養育放棄、児童労働・・・と、不穏な用語がぐるぐる回る。
「ご、ご苦労されてきたのですね・・・?」
こういう時の台詞はこれか、と思ったのだが、
「俺に言うのでなければ、真っ当な台詞だが、」
と、考え込む様子を見せた。
「こと俺にそう言ってしまうのを誰かに聞かれたとしたら、どういう訳だと訝しまれるだろう。」
公爵は言を継いだ。
「俺には、運命だったのですねと感極まるか、もしくは摂理とはこういうものでしょう! と感嘆の色を湛えて頷くのが適当になる。」
どういうことだろう、と?を頭上に飛ばす。
「言葉と習俗だけでは、付け焼き刃だな。善処しよう。」
たぶん公爵は、自分に不都合が起きないように気を配ろうとしてくれているのだ、ということは分かった。だから、口の端を上げて、ありがとうございます、とは言った。
「もう少し歩くが、大丈夫か?」
と言うのに頷いて、数歩後ろをついて行く。
そうして、つま先に向けて、独り言を落とした。
「----分からない・・・ことが分からない、」
公爵に事情があるのは分かる。が、その事情は、『遠海』(またはシャイデ)では説明するまでもないことだから、誰もわざわざ事分けてくれない。
いま、こうして一つ明るみに出たけれど、やはりここは異世「界」で、何となく馴染めた気がしていただけだ、ということなのだ。
彼も、行きすぎる人々も、自分と同じように見えているけれど、確かにちがうのだと、この時漸く、ぞっとしたのだ。
----ひとり、
どこまでも、晴れ渡った青空。あの向こうから、自分は落ちて来た、という。
彼、館のひとたち、すれ違っていく人々と自分は、同じに見えているけれど、舞い散るカークの中の、一片のさくらのように、確かに違う。
同じに見えるように努力しても、決して、同じになれない----突き上げるような、寂寥があった。
これから、どんなにこの「界」に紛れようとしても。
みんな、と、自分。平行線。交わらない。
胸の奥から冷たくしびれて、違う、と天啓のように、弾けた。
あの、少年と、少女。少女は殆ど覚えていないが、少年。一方的に捲し立てられた言葉は、ふつうに聞こえていた。
闇夜で、はるか遠くの小さな灯台の明かりに気づいた寄る辺なき人のように、本当は何の保障もないままなのに、どういう訳か少しほっとしたのだ。
密売組織が連れ去って、まだ足取りが追えないと聞いている----異なるところへと連れ去られた彼らに、辿りつきたい。
のちに、異世「界」とこの時初めて向き合ったのだと、思い返す昼下がりである。
間章はこれにて終幕です。
更新は「風が織る神話」を優先しているので、少し間があくかと思います。感想など頂けたら嬉しいです。




