落人き譚 3
ぽっかりと目が覚めたのは、小さな部屋の寝台の上だった。
チェーン展開のビジネスホテルか病室か、という殺風景な壁と天井をしばし眺めた。とにかく自室以外にいる。
長い悪夢は、緊急搬送された副産物かと思いたかったが、病院特有の事物は何もない。
そろ、と体を起こしてみた。縄が擦れていた手首は手当てがされた痕跡があって、包帯が巻かれ、頭から被る型のワンピースに着替えさせられていた。
左手の窓から差し込む光は柔らかい。わずかに開けられていて、風がレースのカーテンを揺らしている。
丸い、一人暮らしの部屋に置く様なテーブルと椅子が一脚。その向こうに扉。
寝台から降りて、あの向こうに行くべきかと考えていたところに、ノックの音だ。びくり、と体が竦む。
「…はい、」
ノックをしてくるのだから、たぶん大丈夫。
どうなんだろう、と当てもなく思い悩む方が怖い。
入室してきたのは同世代くらいの女性。明るい茶色の髪の彼女は、笑顔を向けてきた。
「-----! ------、-------!?」」
でも、やはり言葉は分からない。状況からすると、定番の「気が付いたのね! 具合はいかが!?」的な感じではなかろうか。
「こんにちは。お世話をおかけしています。」
感謝を込めて、頭を下げた。顔を上げると、彼女はすこしだけ困った顔をして、それから納得したとばかりに大きく頷いた。
クラシックな、暗色のロングドレスに、糊のきいた前掛けをしている。ファッションではなく、本物の召使服に思えた。その前掛けのポケットから数枚のカードを取り出したのだ。
『肯 顔 縦 否 顔 横 不明 顔 傾 」
かなり独特な字体だが、間違いなく、漢字による指差し書だ。
『痛 有 所』
痛いところはあるか。首を横に。
『腹 空 』
縦。
彼女はにっこりと笑った。
運ばれてきた食事は、全く違和感のない、見た目と味だった。オニオンスープと野菜と肉をとりどりに載せたオープンサンドだ。パンは小麦の良い香りがした。
食事が済むと、彼女と似た感じの服(前掛けはなし)を渡された。恐らく意識がないうちに診断されていて、外傷は手首の擦り傷程度、当人が動けるというなら行動に問題なし、ということらしい。
『行 寝』
というカードの左を指さした。
呼びつけるというなら、恐らくは、説明して、くれるだろう。
着替えた後、廊下を幾つか渡り、階段を下がり、中庭のような場所を突っ切り、回廊を抜けて、また階段を上がって、廊下の角を数えるのをやめるくらいに曲がった。そして、スタートの建物より、明らかにクラスが高そうな棟に入った。
ここが大学の構内のように、とても大きな場所だということが分かった。
目的地です、と言うように彼女は微笑んだ。
重厚な、というのはこういう扉を言います、とばかりの扉の前には兵隊(衛士)が立ち、中には重要人物がいます、とばかりの雰囲気だ。
彼女と兵隊、兵隊から室内、そして兵隊から彼女と取次ぎが行われて、扉は開かれた。
室内は、なかなか予想外だった。
重厚な装飾の部屋では、ゆったりと構えた人物が待っているのが相応しい----のに、こんもりと書類が積まれた大きな机が視界を埋めた。
大きな部屋であるのは間違いないが、書類を乗せた幾つもの机がひしめいている。まるで、繁忙期のオフィスのようだ。
なんか、イメージが違う。こういう展開のセオリーは、いかにも偉そうで重要人物ぽい人が数名、難し気な顔で話し合っていて、渦中の人物を「来たか」と重々しく迎えてくれるものではないのだろうか。
彼女が特段困った顔をしないのは、常態ということか。部屋の隅に設置された応接セットに案内してくれた。
そこには先客がいて、カップ片手に手持無沙汰な様子だった。繁忙期のオフィスに営業に来た人の待たされている感があったが、彼女が恐ろしく丁寧に腰を屈めて挨拶を取ったところからすると、ないがしろにされているわけではないようだ。
彼女と来客風の男は幾つかを交わした。彼女はこちらに微笑みかけて後、男に再び丁寧な礼を施して、踵を返した。男は真向いのソファを指し示す。座れ、と理解した。
ガタイがいい、とはこういうことか、と上着ごしにもはっきりと分かる胸板の厚さと、くっきり盛り上がった腕の太さに思う。見かけたことがない、堂々たる体躯の主だ。
ティポットを指して、首を傾ける。飲むか、だろう。頷くと、大きな手で取り上げて、予備のカップに注いでくれた。
濃い赤の、紅茶だろうか。
伝わらないとは思うが、
「ありがとうございます。」
と、一言述べてカップを引き寄せた。目を瞠った男が笑みを開く。いかつい体躯だが、笑みは人好きのする明るいものだ。
「『どういたしまして』」
少し癖のある紅茶を舌の上で転がしていたから、反応が遅くなった。
「え・・?」
聞き違えたのだろうと、思った。
「『名前を教えてくれるかな? シンラのことばを使うお嬢さん。』」
けれど、言葉は続いた。
外国の人のイントネーションで、どう見ても異国の風貌だ。明るい金の髪と、緑の目。
異世界だと覚悟したけれど、やはりそんなことはないのだろう、と少しほっとしたのだ。




