72 喫茶店《自鳴琴》にて 2
伏線編です(笑)
扉を開けたのは別の人物だったが、先に入店してきたのは朱金の髪の少女だった。
「いらっしゃいませ、」
と、反射的な迎えの言葉を投げながら、どこかで見たような、と店主は既視感を覚えている。
「こちらが《自鳴琴》でしょうか。待ち合わせを、」
言いさしたところで、奥の席で手を振っている男女に気づいて、ぱっと笑顔を浮かべた。
「エヴィ、お二人とも、もういらっしゃってましたわ。」
と、背後を振り返って言う。
「失礼する、」
扉を抑えていた青年が続いて店内に入ってきた。
皿を取り落としそうになった。いや、実際取り落として、慌てて宙で掴んで事なきを得た。
金髪に、朱の房が絶妙に散る華やかさとは裏腹な、思慮深そうな面立ちの青年だ。着衣は、ごく上質だが間に合わせ感がある。しかし着こなしてはおり、佇まいと共に上層階級の人物であることは間違いない。
いや、この世「界」で上層とかそういうことは問題ではないのだ。
「…なんだ、アレは。」
数値とか見なくとも、あからさまに存在値が異なる。
「買い物は済んだの?」
「はい! あの、レオンさま、こちら見てください。」
本当に嬉しそうに少女が手にしていた数枚の紙をテーブルに広げた。
「----は!?」
海賊姫が絶句した。
「なに、これは!?」
「これは讀賣で、こっちは絵葉書のスタンドで、これは路上画家の一人から。さすが貿易都市だ。商売が早い。」
「だれよ!?」
「《暁のレオン》です! どれもとても恰好いいですよね! いっぱい買ってしまいました。」
沈む綿津見島(大きな形のまま斜めに海に沈んでいる)に向かって、大剣を振り上げて。
または、細身の剣をかざし、天馬に乗って、綿津見島の空を、マントを翻して飛ぶ。
大きな真珠貝の上で、半分透けたような衣装を纏って、半分に割れた綿津見島へ祈りを捧げる。
男とも女ともつかない、ただしとても美しい若者。
「どれも、ちっとも、かすってもいないわ!」
絶望的な顔で震えている。
「海賊の絵姿が売られるなんて、とうさまたちに顔向けが、」
「素敵です。絶対に喜ばれます。私も持ち帰って、陛下やマシェリカ様に見せます!」
きらきらとした瞳には反論はしにくい。
「きっと、これから、もっとたくさん出ますよね!? 」
「昨日、いや今朝の昼でこれだからな。大量に出るだろうな。」
経験者は語り、不思議そうに首を傾げた。
「今更だろう? シャイデでは、とうに絵姿も吟遊詩も、舞台にもお前は登場している。」
「それはわたくしの目や耳には触れないでしょう!? ああ、もう! これは、わたくしの皮を被ったエヴィなんだから!」
「まあ、そのうち耐性はつくから大丈夫だ。」
「つく訳ありません!」
「船便でいいなら送ってやるぞ?」
「!」
「!?」
「舞台の脚本とか読み物とかもほしいか?」
こく、と頷いた娘と嬉しそうな父のやり取りは微笑ましいが。
「覆水盆に返らずだ。<この作品はフィクションです。実際の人物、団体、事件などには関係がありません〉の精神で----諦めろ?」
「厭よ!」
混沌としていったやり取りの果て、何とか、新来二人が席に付き、男がカウンターに戻ってきた。
「揃ったから、出してくれ。」
「いや、あ----何だ、あの、きらきらしい代物は、」
漸く茫然から我に返った。絵姿云々のくだりは店主にはどうでもいいことだった。
ぐらぐらとお湯が沸いていたのに気付いて慌てて、スパイスを投入した。
「やはり面白いよな、人間というものは。計算してもしきれないものを見せてくる。」
飄々と言ってはいるが、つまりは偶然、想定外、ということだ。
そっと眉を顰めた店主の顔を覗き込み、男は更なる爆弾発言をした。
「で、可愛いだろう? わたしの娘だ。」
同じ色の髪。面立ち。目の前の男と重なる。
「いい感じで混ざったのか、うまく特徴が表れた末裔だな。」
娘、といって不自然ではない、面影を宿している。これもまた時間の不思議か、としみじみしたのだが、男は、不満そうに頬を歪めた。
「 わたしが父親だ。」
鍋に茶葉を入れて、目を上げた。
「…はい?」
「どういう事故か、原体が外《界》に放出されてな。何とか解凍はされて、生命は繋がったが、衝撃で記憶障害を起こした。」
「オリジンって、おい。」
そんな、恐ろしい出来事は聞いていない。
「なんで、」
息を詰めた。
「ちなみに故意だ。」
「馬鹿な!?」
原体の位置は絶対の秘密だ。自分も誰にも伝えていないし、誰のも尋ねたことはない。…が、同花陸を領域していれば、おおよその位置は互いには分かってしまうものだが----男はかの花陸にただ一人だ。いや、それもまた知られたことか。
「そのまま十数年を過ごし、結婚し、娘が生まれた。いま、ここに到って、わたしがまさかじゃないか!!」
言葉だけだと自嘲のようだが、どこか誇って、満たされたような、色を見る。
「----造反者がいる。」
しかし、継がれた言葉は、シン、と冷たい手触りだ。
「十二人の中に。いや、もう十一人か。」
ただ、呟いて。
お前はどうだ、と聞いてこない。チャイ用のカップを並べる横顔は、あちらの賑やかさと裏腹に静謐そのものだ。
牛乳を入れて味を調えたチャイと、皿に盛りつけた咖喱を、盆に載せて、男と店主で席まで運んだ。
「…不思議な匂い、」
「咖喱というものね、シャイデではまだ一般的ではないけれど、ラジェには随分香料が運ばれているから、そのうち広まるでしょうよ。味も具も種類が豊富で、癖になる味わいで、わたくしも大好き。」
「この店のは、東の花陸式だ。野菜は大きめに切って、肉は鶏肉、味を付けない米で食べる。」
メニューを語った口は、
「公爵とカノンは、食事を終えたらシャイデに送ろう。」
と、続けた。まるで通り一つ先に案内するような軽さである。
聞かされた三人は、案内行為自体に疑義はないようだが、警戒する眼差しで応えた。
「今度は、どんな約束事を? 留守にはできない俺はともかく、カノンに無茶はさせませんよ。時季を待って、レオンに船を出してもらい、海路で戻る選択肢もありだ。」
「数か月かかったら、『宿り木』学院は?」
「そんなのはいかにでも、」
「ならないから! 」
と強く言ってから、はっと自省する目をして俯いた。
「今度は、エヴィの言うとおりに。同じ轍を踏まぬよう、いたします。」
海賊姫と、現在の身の上はその手下は剣呑な眼差しである。それは睨み返してから柔らかく、
「我がままは言っていい、と言ったろう?」
「でも、」
「いい。」
「一緒に帰りたい、です。」
「ああ。」
薄い目をしてやり取りを見ていた海賊姫が、一つ息を吐いた。
人の恋模様を傍で見るほど、しらじらするものはない----いや、思い浮かべないようにしよう。と、掠めそうになった我が身の記憶は、素早く掴んで、脳裡の隅で圧縮した。
「 デューン? 二人でちゃんと戻れるのよね?」
圧を込めて見遣れば、面白くなさそうな顔は変わらないが、頷いた。
「今回は管理者を呼んでいる。」
「----そちら?」
この場にいるのはあと、店主だけだ。
「ということは、あなたもシンラ?」
「…おう、」
あっさりとばらしてくれる男に口の端をひくつかせながら、もうやけである。胸を張った。
「よろしくな。」
「シンラというのは、思ったよりもどこにでも出てくるものなのですね。」
感心したというより、虫みたいに言わないでほしい。




