71 喫茶店《自鳴琴》にて 1
謎解き編というより、伏線編かもしれません。
アジトといえば「喫茶店」なのだそうだ。
いつだったかの、ボスの一言で、ここはずっと喫茶店である。勿論、店主交替に合わせて開店と閉店、看板の架け替えを繰り返しているが。
いまの店は、東の花陸から輸入する緑茶とハ―ヴやドライフルーツをブレンドしたオリジナルティーと、異国情緒ある装飾がコンセプトだ。
----が、人気店になりたいわけでもないから、看板も店名だけの小さなプレートが扉にかけてあるだけだし、路面より高い位置に設えた窓は外から覗き込むには不向きで、つまり、敷居は高くしている。
もとから客は少なくて、まして、今日は茶店でゆっくり過ごしたい日ではないはずだから、ブレンドの研究をしようと決めていた。
綿津見島の出現日となった昨日の客も零だった。そして、昨日の夕から、今朝の早朝まで、街じゅうが眠らずに大騒ぎであった。
綿津見島は日没に消失ではなく、暁に焼失した。
既定かトラブルか。何にせよ、一報はほしい。前者なら報連相について釘を刺したい。後者なら、人手として駆り出されるくらいの人情はあるのだが。
見やった時計は、そろそろ昼。
こちらから繋ぎをとる事態か? と乳棒を動かす手を止めて思案した時、カランとドアベルが鳴って、来客を告げた。
条件反射的に「いらっしゃいませ」と開きかけた口は「い」の形で固まった。
扉口で店内を見渡した後、その客はカウンター席へと向かって来た。スツールに腰をかけ、正面から店主を見て、一言。
「いらっしゃいませくらい、言ったらどうだ?」
「客なの!?」
「待ち合わせだ。」
「あんたが先に着いて待つとか!?」
慄いてしまう。いったい誰が来るのだ?
「…恐らく三人。すぐに出してやれるように、わたしを入れて四人分の咖喱と茶の準備を頼む。」
人に気を使うなんて、いや人に気を使えたのか!?
感動するより薄気味悪い。何かが化けたのかと思いたいが、残念ながら、間違いなく本人である。
「…〇♯♭▽&、ですか?」
ふと思いついて言ってみた。頬杖をついて扉を見遣ってた彼が向き直った。
「----綿津見島が大騒ぎだったようで、」
つい口走ったが、薄く刷いた笑みのようなものに、失敗したと分かった。
「だから?」
「息災かなと?」
男は応えず、頬杖をつき直した。
当たり障りなく笑みを返して、背後の棚を開けた。客の視線が届く棚は調味料やピクルスの瓶などの常温保存の食材を並べているが、下方、棚の中の戸は冷凍室だ。小分けして冷凍しておいた咖喱の作り置きを取り出した。
「米ですか? パンですか?」
「米がいいけど、」
一応遠慮する口ぶりだが、あるんだろう?と首を傾ける。
「…真空保存でいいですか?」
「勿論。」
常温の棚の陰から、石鹸のようにしか見えないだろう塊を出す。客がいるなら湯煎だが、今なら機械処理で構わない。カウンターの下に設置してあるレンジに時間を指定して入れた。
親しくないとは思わない。むしろ、この店を任せられるローテに入れるくらいには近い。恐れ慄いて退く関係ではない。
「あー、待ち合わせ相手は、」
と改めて聞きかけたところで、扉鈴が鳴った。
顔を覗かせたのは、人形めいた美貌の少女だ。
顎の線で揃えた断髪が珍しい。サイドに編み込みを入れて、小さな帽子と華やかなネットをかけて一見には目立たなくしているが。
「自鳴琴というお店はこちらでしょうか。」
と儚い容貌とは裏腹の凛とした声だ。落ち着いた眼差しといい、見かけ通りではない?
「え、ええ、あー、お待ち合わせですか?」
「そうです…あら、」
彼女はカウンターに腰かけている男に気づくと、好戦的な表情に切り替わった。
「こんにちは、デューン。わたくしたちを置き去りにしていただいた、昨夕以来ですわね。」
「やあ、姫頭領。休暇中なんだから、たまたま出会ったからと言って、付き従う義務はないんじゃないかな?」
「…ええ、」
「彼女は嫁いだのだし、夫が同伴していたのだから、保護者は十分だろう?」
娘は殊更丁寧に扉を閉じた。
「二人もじき来るわ。」
店長が示した奥の四人掛けに向かう。
「おや、逢引とは契約違反じゃないのかな?」
「誰も知らないんだから構わないよ。頭の固い舅は嫌われるそうよ? そもそもが、あなたのせいだし。」
「わたし?」
「あなたのお仲間がコドウに大怪我させて、父をあんな姿にしたのだけれど?」
音が鳴らないように寸前でレンジを止めて、大きな鍋を目隠しに置いて、包みを開ける。言いたいことがたくさんあるらしい娘が、注視するとは思えなかったが念のためだ。
「容体は?」
「エヴィが施術してくれたわ。それについては、ありがとう。でも、彼にしたことは絶対に許さない。」
着席の為に、男が椅子を引く。良家の令嬢らしく当たり前のようにエスコートされ、しかし普通の令嬢が発しないことが口をつく。
「渡していただけないかしら。鱶のエサにするから。」
「おや、そういう非効率的なことは好きではないのでは?」
「したい気分で、いっぱいですわ。楽しみな気分しかありません。」
ふふふふ、と可愛らしく娘は笑ったが、纏う雰囲気は鋭くなるばかりだ。
「----派手派手しい幕引きをしたじゃないか。」
流石の男もやや引いていないか。別の話題を振った。
「脚本いたのは、奴か。」
「さっさと消えたあなたはご存じないでしょうけれど、大変でしたわ。正気付かせて、恐慌を抑えて。何とか無事でした、で言い抜けて、島はどういうわけか二度と現れませんでした、まる。でいいところを、ちゃんと調えないと、あとあと面倒そうだって、もうまじめですから。知りません! って!!」
「でも、矢面に立ったわけだ?」
「…しょうがないでしょう。さすがに分別かりますもの。シャイデの、四方公爵が伝説を積み上げて良い局面ではないと。」
「----それで、暁の獅子か、」
「身の程知らずな二つ名でごめんなさいな? 」
「いいや、よく似合っている。」
「----は?」
もはや喫茶店に来ていることを忘れているのではないかというような、明確な殺気である。
修羅場始まる!?と身構えたが、カランと鳴った扉鈴が、戦いのゴングではなく休戦の使者になった。




