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70 綿津見島 27

 その夜。

 落日と共に消え失せるはずの綿津見島は、海上に残り、一晩を炎に包まれて、跡形もなく燃え尽きた。

 命からがら、船に乗り移った人々は荒く波を立てる海域から抜けることはできず、島が崩れていくさまを一晩中眺めながら、朝陽を迎えることになった。 

 木の葉のように揺れ続けた船が漸く静まったのは明け方だ。すし詰めになった甲板上から、人々は綿津見島の最期を見届けることになる。

 通常の火事のように建造物だけが燃焼するのではなく、島そのものの輪郭が燃えて次第に崩れていく。その身をすべて燃えつくす蝋燭のように----小さく小さくなっていった。

 島を包んでいた炎が見えなくなった夜明け前、薄明の海上には、蓮の葉のように一片の土地が浮かんでいた。

 狭いその場所で十五人から二十人の人々がひしめき合っている。場所は外側から少しずつ欠けていき、人々は悲鳴を上げながら身を寄せる。やがては自分の身可愛さに、近くの者を突き落としていくだろう、とだれもが暗い思いに囚われた。

 救命艇を、と誰かが叫んだが、一気に広がった炎に追われる出航で、予定の船への乗船が間に合わず、救命艇や備品を捨てて、定員以上を乗せた船ばかりだ。また、甲板に溢れそうな人々をかき分け下ろし漕ぎつけるまで、保つとは思えなかった。

 海に投げ出されるのは免れない。救助を待てる(水泳の心得はある)だろうか。

「おやすみください。」

 凪いだ海面を渡る、よく通る女性の声。

 蓮の葉の上に、すっと立った姿がある。後ろ髪は長いが、両サイドが短い、不格好なざんぱらな髪で、声がなければ少年とも見紛う、ほっそりとした、小柄な女性であった。

 昇ってくる陽を背にしたその麗人と相対するように、鈍い夜色を残した海面がぐぅうと不規則に盛り上がった。本物の蓮のように、綿津見の最後の土地が揺れてさらに崩れる。蓮の乗客は悲鳴を上げ、外野は固唾を飲む。

 海面は、人の三倍ほどにも高く盛り上がった。

 しかし、波頭は崩れることなく、その後姿を見る甲板の人々から、

「----人のような、」

「人の後ろ姿のような、」

「女性のようなかたちだ、長い髪の、」

と、呟きが落ちていく。

 おおお、とすすり泣く様なそれは風か。

「綿津見よ。伝説の島の女王よ。」

 確定()()言葉。誰もに分かりやすく。

「双異翼は遠くに飛び去り、こたびで、あなたの祭りも終わります。我ら、紫苑の民はあなた方に見守られずとも、元気に陽気に生きていけます。」

 神話の一幕のよう、だった。

 麗人は合掌し首を垂れた。おおお、と寂しげな風の声。

 掌中から、透明な----水晶のような短剣が現れた。昇ってくる朝陽を背負って、表情は見えない。

 風が吹く。後ろ髪が風に舞い上がって、光に透けて、黄金色だ。まるで、獅子の鬣のよう。

 麗人は頭上で短剣を掲げた。きらりと輝いた刀身が、後ろ髪を断ち切った。風に乗って、髪は波の女王(ひとがた)に舞い落ちる。何の儀式かと推察する暇はなく、傍にいた男が組んだ手を足場にして、麗人は高く跳んだ。短剣は陽を反射しながら、頭部から、波の中心を真っすぐに切り裂いた。オオーン、と風が啼く。

 軽やかに着地したその人は、割れて崩れていく波に宣した。

「海皇の娘、レオニーナ。どうぞ、その名を供に連れて、波の下の国(ティル・ホ・スィン)でお眠りください。永遠に。」

 水晶の短剣を海面に投げ捨てる。同時に、一気に蓮の葉が粉々になった。足元を奪われて、ふわ、と体が浮いたのは一瞬。悲鳴を上げようとする口の形のまま、一同は氷の船に立っていた。周囲の船の証言によれば、まるで鯨が潜行から上がってきたような影が見えたそうだ。

 生きなさい、と告げる代わりに、短剣を船に変えたのだ、と語られていく。

 ----その人は。

 朝陽に金色に縁どられながら、堂々と胸を張り海原を見渡していた。

 暁の獅子(レオン)、そう呼ばれる事始めであった。


 10000日めの曙光とともに海上から消失した綿津見島は、二度とは現れない。一つの物語を読み終えた、新しき日が始まろうとしている。




きりのいい数字で、綿津見島のエピソードを終えることができました。


別作品も海の上で、最後、登場人物が剣を振るうラストシーンですが、あちらは「天然」、こちらは「養殖」です(笑)

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