68 綿津見島 25
唇を嚙みしめていたコドウが、はっと階下へと視線を飛ばした。
「…どちらが、ほんとう、だ!?」
上と下と。もっと適切な言葉があるのだろうが、恐慌に近い思考から出た精一杯だ。
団長はうすら笑っている。
吐き出された顔のない人形。
顔だけ保って、朽ち果てた身体。
「ナーディノどのは、十年ほど前に鬼籍に入った。病死、いや突然葬儀の連絡が来て…、」
「一夜にして萎びたか、灰となったか、泥のように溶けたか、」
したり顔である。
「始末はそんなところだ。世間体を気にして、こっそり葬るとは健気なことだ。」
閉じられたままの棺。居心地の悪そうな遺族。急なことだからと思っていた。
「いったい、なんなんだ!?」
「世≪界≫を護る研究をしている。耐久率は人造体だが、伝導効率は適性のある生体ほどいい。とはいえ、籠めるだけではあっという間に萎れてしまう。ゆえ、この夢見の機構を開発した。写身を通して現世を夢見る----ただ見ているだけというのに、耐久率が上がる。だが、タイミングはそれぞれだが、夢と気づいたときに、溶けてしまうのは、今後の課題だ。」
何を説明しているのか、正確には分からないが、つまりは腕の中の彼にしたように、シンラを自称する男は、他にも理不尽に命を奪ってきた人たちがいるということだ。
湧きあがるのを止めもせず、はっきりと殺意を宿した目で、レオニーナは団長を睨みつけた。のに、相手は浮かれた表情をしていた。
「ところで、元に戻してやっても良いぞ?」
既視感。あるいは二番煎じ。
「…シンラの御技をみせていただけると?」
シンラというものは、横(あるいは縦)の連絡はないのか、と白々とする。
「ワタシはアレがほしい。」
不可を可に転じる、同じ技を使えるというが、違うのはまず自分の欲望を口にしたことだ。
上向けた掌で指し示したのは----カノンシェル。突然舞台に上げられた少女は、用心深さを感じさせる表情で首を傾けた。
「取引を申し出た相手はわたくしで、彼女はわたくしが勝手に持ち出せる対価ではないのだけれど?」
「レオニーナさま。構いませんわ。交渉の基本は対話ですもの。まずは聞いてみましょう。」
と、カノンシェルは鷹揚だったが、団長はせっかちに首を振る。
「違う。取引ではない、要求だ。」
団長の声に、カノンシェルの足元が黄色と白色に変化し、夥しい数字と記号(数式と数値)が空に浮かび上がって、高速で流れていく。
「やはり、なんと理想的な構成値か。これを用いれば、二代に亘る代用も正しい設定に戻せるし、一度の遣い潰しではなく継続的な使用にも耐えるはず、」
熱っぽいが、人に向けるものではない。偏執を感じさせる。
「ワタシの慈悲に感謝せよ。アレを残して、お前たちは海底奥深くに放りだすところを、ソレを延命してやり帰してやろうと言うのだ。考える余地もないだろう?」
「ええ、余地は一欠けらもないわね。」
マントに包んだ変わり果てたひとを抱きしめたレオニーナは、好戦的に口角を上げた。
「ぜんぶお断りよ!」
カチと無機質な音を鳴らして、団長は銀の筒をレオニーナに向ける----寸前で、照準はコドウにずれた。
左肩と右足に血しぶきが立った。傷口を押さえて、悲鳴を押し殺したコドウの手が真っ赤に染まる。右足からの出血が酷い。肩の痛みを堪えながら、引き抜いたスカーフで止血を図るが、布地は瞬く間に重く濡れた。正しい処置をしなければ命に関わることは明白だった。
目を瞠ってコドウへ身を乗り出しそうとしたが、改めて、銀の筒がレオニーナのこめかみに向く。ゆっくりと肩を戻して、団長を見据えた。
「剝がれたわね、化けの皮。」
殺傷力は十分に分かっただろうに、彼女は視線を揺るがせない。
「こちらに来て、船に入りなさい。この女は少し惜しいですが、小舟はいっぱいですし、時間もないところですから、あなたが従うのなら三人とも綿津見島から出してあげましょう。」
筒先はレオニーナに向けたまま、団長はカノンシェルとの交渉に切り替えてきた。
「一人で残るのは寂しいから、屍三つ並べてからしかしか入りたくない、という趣向がいいのなら別ですが。」
カノンシェルに表情はない。
首を振って押しと止めようとする大人たちの視線をただ受け止めて、前に踏み出した。団長は成功と見て、ほくそ笑む。
「大丈夫です。痛いことも怖いこともないのですよ。あなたならそのままの姿を留めて、数百年先までいることができる。」
「私の身代わりの人形もつくるの?」
細い声だが、揺れはない。
「夢見があった方が(脳波は)落ち着く結果もありますし。行方不明は面倒ですから。」
「私の代わりがあるなんて、なんだか新鮮だわ。」
不思議そうに、おかしそうに微笑んだ。
「カノンシェル! わたくしたちを置いていきなさい!」
銀の筒が、レオニーナの左耳から下の髪を吹き飛ばした。青ざめた顔のコドウが、ぎょっと目を瞠って何か言いかけたが、彼女はそのまま言を継いだ。
「あなたが身を捧げるのは『遠海』でしょう!?」
今度は右側の髪。ばらばらと床に落ちる髪を一瞥して、けれど怯む様子はない。上等、とばかりに団長に笑みを開く。
「その娘に手を出すと、とっても怖いことになるわよ? 後見人たちは頭が良い上に、執念深くて周到で度が過ぎるの。その目を誤魔化そうなんて、家鴨に木登りをさせるようなものよ。」
「----誉めてます?」
いつもと同じような口をきく胆力には感心する。そして、恐らく、自分の緊張をほぐすための物言いなのだと気づいた。
「お前、助けに来たら、けちょんけちょんにされなさい!」
しかし、妙で、古めかしい物言いすぎないか。
「海の底に、人がか?」
団長は鼻で笑った。確かにその通り。だから、レオニーナたちは27年待たなくてはならなかった。
でも。彼----彼らはどう、だろう。
グーィーン、という音がして肩越しに背後を見ると、棺は縦置きになって、来ないなら迎えるのみ、とばかりにカノンシェルに向かって動いてくる。誰かが押している訳ではない。ひとりでにだ。
ぐ、と左の手首に巻き付いてくる紐。蛇のように蠢いて次々に伸びてくる。右手の中に備えていた小刀をあてるが刃が立たない。なれば、と綺を付与したが、手ごたえは同じだった。
おかしそうに団長が口元を歪めた。
「界人ではないゆえな?」
と。
前回、海皇に巻き付いたように、紐の嵩は増してくる。
いつも、こうだ。堪えきれず指から滑り落ちた小刀が、カランと乾いた音を立てる。
----ずっと、役に立たない。
守られて。逃されて。助け出されて。
何もできない。何も変えれない。待つだけの。
遠く、遥かに晩鐘が鳴り始めた。
綿津見島が沈む合図。
スロープを、遊伶の民たちが列を作って上がってきた。
「さあ!」
勝鬨のように団長が声を張った。
「また新しき、楽しき旅路を巡ろうぞ! 新しき女王を戴いて!」
「待って! レオニーナさまたち、出してくれるんでしょう!?」
絶望に潰されそうだ。けれど、だから、口は閉じるな。
動かしにくくなっている首を何とか彼女たちがいる方向に向けようと藻掻いた。遊伶の民が奏でる陽気な音楽の中に、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「…そなたの人形と共に戻してやる。」
少し考えたのが気に食わないが、言質だ。
棺は斜めに、そして横倒しになろうとしていた。
周囲を舞い踊る、仮面の者たち。
蓋が視界を狭めていく。
足掻け、ない?
ごめんなさい。と、瞼を落としかけて、目の端に朱と玄の鱗のきらめきが過ぎる。虹色の髪を塔のように巻き上げた奇抜な髪形で、黒い仮面フルフェイス、肘までまくり上げた両腕はそれぞれ黒と赤の鱗でびっしりと覆われている、鱗男。
----お前を守るのが、俺の仕事になった。
陛下が雇った傭兵。引き留めたいライヴァートと、手は貸したいけれど素直になれない傭兵の、せめぎ合いの末の、落としどころだった自分。
口実だったはずなのに、とにかく彼は真面目に取り組んできた。世話焼きだった。
----怖いこと、困ったこととかじゃなくとも、一人でつまんないなーとか…でも、大きな声で呼ぶんだぞ? 1日五回は絶対呼べよ? 仕事していない、と文句言われるからな? 俺が殿下にちゃんと給料をもらえるよう、姫の協力は不可欠だ。
祖父を亡くし父を失い母と見送り、フォガサ夫人と身を潜め、感情を凍らせていた子どもは目を白黒させて、でも、あえて、ぐいぐい来る人に救われて、守られた。
----じゃあ、練習してみようか!
「…エヴィ、」
呼んだ。最初の時のようにこわごわと。
「エヴィ!」
数え切れぬほど呼んできた。そして、まだ少し呼び慣れていない真名を。
「エアルヴィーン!!」
叫んだ。
大事なことなので(笑)
「なんちゃって」科学、あるいは「ファンタジー」な「科学」です。




