66 綿津見島 23
再びの回廊である。だがすっかり様変わりしていた。
瀟洒な彫刻も、光あふれる中庭も消え失せ、無機質な銀色の壁と床が、ふたりを淡々と迎えた。
偽装する必要がなくなった、ということなのか。
口には、レオニーナ、カノンシェル、コドウの順で入ったが、レオニーナの姿が見当たらない。顔を見合わせて、先へ----ホールに向かう。コツコツ、と正しい音を床は響かせる。
ついさっき死闘を繰り広げた、プリン型はそのままだったが、彫像台座はすべて空だ。人の気配はまた小高い部分にある。
コドウが空座となった彫刻の台座を見渡し、
「彫像は、みんな片付けたのか。」
と、呟いたのにつられて、カノンシェルも周囲を窺い、気づいたことがある。まえより、間隔が狭い----同じようだが、台座は増えている。 半円で五つ----ここでは六つだ。
塵一つなく整えられた台座。また別の面子の銅像が載せられる流れだろうが、彫り師はどこに待機しているのだろう。
「さあ、皆様。」
朗らかな団長の声がホールに響いた。傲岸な声を聞いたばかりだから、違和感がものすごい。
「いよいよ、女王がお出ましになります。仮面はお取り頂いて、いと貴き方にお目見えするわけですから。ええ、決まりなど、それは宮の外のお話。招きを受けた皆様は特別ですから。」
自尊心をくすぐる言い方をする。
しかし、女王、とはまさか彼なのだろうか----あのまま?
「それには皆様の美しいたましいの力が必要なのです。女王のために選ばれた特別な皆様、どうか女王のために乾杯をして頂けませんか? こちらから、好きな飲み物の入ったグラスを(こちらからが甘めのものになります)お持ちになり、(ああ、酒精のないものも用意してありますよ!)、定められた場所で、証の玉を掌にのせて、ご唱和をお願いいします。(氷もございますよ!)」
酒場かカフェの店員のような、気配りの利いた声を挟みつつ、団長は一行を仕切っている。二人はそっと壁際に下がった。
招待客たちは酒杯を手に、十二の台座に散っていく。二人の前を過ぎていく者たちもいるが、ここで何者とも知れぬ彼らを誰何する度胸は、だれにもない。綿津見側からは見逃されている感はあるが、それならそれでいい。
レオニーナは降りてこなかった。
「十三人目のあなたはこちらで、女王をお迎えください。」
「光栄な役目ですわ。」
しらじらしいやりとりが響く。
団長は分かっている、のだろうか。
「それでは。」
朗々と団長が声を上げる。
「女王のまつりにようこそ。」
乾杯、と。
唱和する十二の声が、ホールに木霊し合った。響きの良い空間だ、と余韻を追いながら、天井から台座へと視線を動かした。
何も起こらないはずはなかった。
杯を空ける彼らの掌上の玉がまずは淡く点滅を始めた。全員の目が、己の玉に集中する。点滅の間隔はほどなく長くなり、完全に灯った光にふっと息をつく。次はどうすればと階下の人々が指示を求めて、階上を見上げた時、彼らは喰われた----カノンシェルには、そうとしか見えなかった。
台座が玉と同色に光ったと思うと、玉と台座に光の線が結ばれて、持ち主たちの姿は台の中に吸い込まれたのだ。カラン、カランと幾つもの杯が床に転がる音が重なって響く。
まさかレオニーナもかと階上を振り仰いだが、どういうこと!?と詰問する声が聞こえて、ひとまず胸を撫でおろした。
各々の玉の色に変じた台座はブーン、と蜂の羽ばたきをもっと冷たくしたような音を立てている。ブーンブーンと唸り続けるそれは、まるで何かを咀嚼しているようにも聞こえた。
音はピタリと止まり、台座は白に戻る。
自分の呼吸と、傍らのコドウの呼吸がやけに大きく聞こえた。静まり返った空間。音はなく、むく、むく、と台座の上に塊が押し出されてきたと思えば、瞬く間に白い彫像が形成された。掌の玉だけが色を有つ。そして、ポトリ、と台座の中から何かが転がり出てきた。----まるで、あの時の海皇のように。
彼らは暫くその体を丸めて倒れ伏していたが、やがてよろよろと、操り人形を拙く立たせた時のように、手足を奇妙な方向にふらつかせながら立ち上がった。
カノンシェルらの近くにいたのは、華やかなディドレスの娘(ワゼンの子だ、とコドウが身元を呟く)とやや年上の下級貴族(役人のようなの佇まい)の男だ。
外傷はないようだ、と安堵したのは束の間。伏せていた顔が上げられた瞬間、戦慄が身を貫いた。
どんな人たちなのか、カノンシェルは知らない。しかし。こんなのっぺりとした----デスマスクのような表情を、どんなひとであれ、浮かべるはずはないのだ。




