65 綿津見島 22
狭間の時間なので、短めです。
蜂の巣を突いたような≪調≫の天幕である。
「…助けられると思ったのに、」
その様を眺めながら、茫然としているレオニーナの背を、コドウの掌が柔らかく撫ぜている。
夕闇が落ちてきていた。風も強く吹きつけて、あちこちから布のはためく音が、撤収の準備を煽る様に聞こえる。
かおのない、ほかは海皇そのままの木偶。
それは、≪調≫の天幕内にいつの間にか置かれていた。
だれが連れて来たのか、と事あるごとに取り沙汰されていたが、まさか、である。
添えられていた、女の手蹟で古聖語でのメッセージも再現できた----古聖語に堪能だというカノンシェルの手蹟は、よく似ていた。
「海皇は、次の綿津見まで眠る。娘の後見を含め、後事のすべてを…に。」
まだ悪戯かと疑っている段階だろうが、若者は戻らず消息は絶えて、受け入れざるを得なくなるのだ。
危急の報せを受けて戻った現頭領は、突然の海皇不在(と残された謎の木偶を隠し護る)を納得させ、組織内の動揺と世の中の心象操作のために「眠れる海賊皇」の神話を作り上げた。綿津見には訪れていない。双異翼の柱を解放した代償を一身に引き受けて眠っているという美しい献身の神話だ。
顔は、人形師であったカナエが制作し、メンテナンスをくり返して、現在に至る。もともとテフ家は親しい取引先だったが、リジェレーナの頼みと彼女に対する若者の煮え切らない態度への義憤をもって、半ば騙して綿津見に連れ出した事実を前に、道連れとなった。
リジェレーナは娘を出産後、その娘を置いて、故国に戻る。海皇の一人娘を連れ去られるわけにはいかなかったし、彼女が留まるには、結果的に海皇を奪われた現頭領を筆頭とした幹部連の心証が悪すぎた。
何にせよ、ここから、いまに至る時間に続いて----と思い、何かが挟まったように空転した思考は、まったく違う方向へと向かう。
まさか。
この、過去行きは。
----まさか、現在をつくる、ため?
変えるためではなく。
少女が強い風の中で口ずさむのが、途切れ途切れに聞こえた。古聖語だから、コドウには意味は分からない。歌うような、古めかしい節まわしは祈りか----呪いか。
「【律は溶けよ、律は解けよ、律を繋げよ、律を調えよ、新たな律と在れ】」
少女は何かを悟っているのだろう。そして、ゆっくり顔を上げたレオニーナには、覚悟が。
「【かくして律を為せ】」
ここへと導いた鱗男は少し離れた位置で、再び口を開いている。つまり、まだ続きがあるということだ。
誰かが声をかけた訳ではなかった。
三人は、ただ静かに口に向かって歩き出していた。
なんちゃって「科学」、ファンタジーな「科学」です。
次回から「綿津見島」は、クライマックスに入ります。




