64 綿津見島 21
鱗男は動かない。
そちらに行くならどうぞ、という立ち位置らしい。
手持ちの武器(偽装して持ち込んでいた)ものを確かめ合ったレオニーナとコドウが前を進み、カノンシェルはその背後でガードされる形となった。体術と弓と細身剣は、子ども時代よりスキルアップしたが、あくまで嗜みであり実戦に耐えられるとは自分でも思っていない。下で待っていると申し出たが、こんな訳の分からないところで離れるのは、とレオニーナが譲らなかった。
スロープを上りきろうというところで、鞭がさなる音がして、コドウが反応した。彼の小刀に鞭が絡みつく隙に、レオニーナが中心に向かって駆けだす。彼女の話によれば、ハンモックのようなものが設えられていたということであったが、
「…繭、」
よく似たものを、見たことがある。
ともかく、レオニーナはそれに飛びついた。
「セディルリーヴ!」
頭部はまだ完全に閉じられていない。紐と糸の中間のようなものが絡み合う中に手を突っ込んで頭部を掘り出した。
「いま出して・・っ、」
悔し気に見開かれていた碧の瞳に、話しかけようとしたレオニーナの右腕に鞭が巻き付いて、人のものとは思えぬ力で引いてくる。押し負けそうになるのを全力で堪えて見遣れば、、右手でコドウを牽制し、左手でレオニーナを捕らえるという、まさかの両手鞭だ。
「器用なこと。」
むしろ初めて見る。
「わたしがやります!」
カノンシェルは迷わず場の中心に走りこんだ。繭の中に果物ナイフのような小さな刃を入れて、若者の腕を自由にしようと試みる。腕が自由になれば、自力で抜け出すことも可能だろう。
「どこから湧いてでたものか! 邪魔立てするでない! その者は償わねばならぬのだ!」
大きな静電気が起きたような音がして、コドウが呻いて小刀を取り落とした。手がやけどなのか真っ赤に変じている。レオニーナも堪える力は奪われて、地面に倒れた。ひどい蚯蚓腫れを目の当たりにしてカノンシェルが悲鳴を上げた。
言葉のない大人ふたりに代わって、カノンシェルが声を出す。
「何の罪よ!?」
繭がまた嵩を増してくる。あっというまに刃こぼれしたナイフは捨てて、両腕を糸の中に突っ込む。のたうつ糸は、まるで無数の蛇のよう----嫌な想像はすぐに振り払った。
「生まれた罪だ。」
不愉快、いや憎しみを込めて団長(仮)が答えた。
「危うく場が崩壊するところであった。この、大いなる実証が無に帰すところであったのだぞ!?」
腕のかたち、熱を感じる。もう少し、もう少しだ。
「既にカウントダウンに入っておったから緊急停止もできぬ。やむなく我が入ったのだ。研究者であるべき我が!」
屈辱的だとばかりに強弁する。
「我が欠ける想定などしておらなかったから、この二十七年は無秩序に進んでしまった! 双異翼の柱はまだ健在であるべき時期だというのに----全くまったく、忌々しい!! しかも、それがこの忌み子の仕業とは!」
ぐ、とカノンシェルの腕をつかむ力。彼女と同じ色の碧が、じっと見つめていた。
「調えねばならぬ。半分でも、いまは換わりにいちばん相応しい。これで凌いで、次までに元のかたちに調える術を検証しなければならぬ。」
なんでそんなに偉そうなのだろうか。
「今回の素体は揃ったが、----素質次第では次まで保管してもよいか。」
糸に巻かれながら、予備動作もなく、若者が跳ね起きた。カノンシェルの腕をとり立ち上がらせたと思うと、突き飛ばす。
「行け。」
人を数多従えて海を渡る海皇の声だ。
糸は解ききれていない。本当に蛇のように、鎌首をもたげるように蠢いて、また四肢を絡めとっていく。
はっ、と顔を上げたレオニーナを真っすぐに見て、若者は笑う。
「…によろしく、」
繭が、とじる。
と、同時にポトリ、と重い音がして、どこからともなく落ちたものがある。
「タイミングがずれた。」
団長の舌打ちと恨みがましい言葉はもう聞かない。
それがなんであるか察したコドウが抱え上げる。
「行くぞ!」
鞭を握り直し、あの銀色の筒を閃かせる団長へ、レオニーナが煙玉を投げつけた。目くらましの煙幕をくぐってスロープを駆け下りる。
地獄への道案内よろしく、鱗男が大きな身振りで手招いていた。




