63 綿津見島 20
「!? どういうこと? なんで、ここに来ているの!?」
と、レオニーナは思わず叫んだものの、コドウの渋面とカノンシェルの諦めたような顔に
「…お互いさまな状態ね、」
と、混乱を抑え込んだ。
「おれたちは、突然劇場のようなところに居て、とある人を追いかけて、ここに至った。」
相当端折っているが、じっくり語っている場合ではない。
「わたくしは女王の間に案内されている途中で、赤と黒の鱗男が行けと言うから、」
「----それは、あの人?」
二人の会話を聞きながら、周囲を警戒していたカノンシェルが厭そうに言った。カノンシェルとコドウが来た回廊に続く出入り口とは真逆の壁際にいつの間にか鱗男は立っていた。3人それぞれの視線を受け止めて、舞台俳優のように一礼してみせた。
彼の爪先はまた宙を裂き、新しい空間の歪みを作った。壁の隠し扉が開いたように見える。
「今度はあちらというわけだ。」
分かりやすいが、しかし。
「上で、父を見たの----囚われていて。」
「やはり上か、」
「驚かないの?」
「おれたちも、海皇を見かけて追ってきた。」
コドウは苦い顔をした。
「レオニーナ、あなたは気づいているのだろうか。ここは前回の・・・、27年前の綿津見島だと。」
「----時間が一定でない、気はしていたわ。」
衝撃というよりは、腑に落ちたという表情だ。
「どこからどこまで、ということはよく分からないけれど。彼を見かけた時は、わたしが迷い込んでいたということで、」
「いまは彼がいた時間の綿津見島----つまり、彼はいま何かの理由で囚われ、だから戻って来なかった。」
上の喧騒は続いている。彼が抵抗しているのだろうが、何にせよこちらへの反応がないのは助かる。
「ええ、だから助けに行って・・・、」
「おれたちが彼を---もちろん、力不足で上手くやれない可能性もあるが----助けてしまえたら…いまはどうなってしまうと思う? すべては変わってしまう、のではないか?」
懼れをはっきりと表情に浮かべて、二律背反ともいうべき問いが突き付けられた。
----父がいなくなったから。
母は海皇に留まらず、故国で夫を迎えて異父弟妹と穏やかに暮らしている。
現頭領は、裏切りのけじめとして抜けた海皇に戻って、忘れ形見の後見として海皇を盛り立てると誓った。
レオニーナは頭領に連れられて船で育ち、海原を渡る術を得、好きな所へ行く自由を纏って生きてきた。
眠れる父を保全するために、コドウ一家は本拠地に定期的に招かれて、コドウとレオニーナも親しく顔を合わせてきた。
父が在ったなら、そのすべてはひっくりかえる。
ふる、とレオニーナの睫毛が震えた。
あの一瞬の、一生のような白昼夢。
----そう、白昼夢だ。
「…わたくしは、ずっと父を探したかったのです。見つかったのを、なかったことになんて、」
「見捨てるんじゃない。それがいわば歴史というものだろう? 歴史がすべて変わってしまったらどうすればいい?」
何とも知れぬ人ではない。既に歴史に名を刻んだ、影響力を持つ、人だ。
その人がいた二十七年が、今と何も変わらないとはとても思えぬ。
「おれも、あなたも・・・彼女も、知らない人になるかも知れない。」
レオニーナはコドウを見返し、カノンシェルを見、鱗男を見る。
泣きそうな、迷い子のような、らしくない表情をする。
「----運命は変わらないもの、とは思いません。」
カノンシェルが、そっと口を開いた。
「私たちがエヴィの運命を覆したように、この機会にも何かの意味があるのだと思います。」
「カノン…」
「あのとき、皆さまは私の選択に支持してくださいました。ですから此度レオニーナさまがどう選択されても私は受け入れます。」
揺ぎ無く、微笑む少女は本当に大人になったものだと思う。
「きっと大丈夫ですわ。エヴィが生きているからといって、『遠海』がシャイデ統一に乗り出していたりとか、陛下が後を任せたとかエヴィに押し付けて旅立たれたりとか、そんなことは起きていませんもの。」
死ななかった未来のこと、ではあるけれど。
「たとえ、歴史が変わっても、どんな形でも、私たちは会えると信じます。」
何の根拠もない言葉ではあった。けれど、背を支えられる。
「…コドウ、」
「惑う顔も、常になくて愛らしいが、」
「…あのね、」
緊迫の場面に、いつもの調子を差し込んできて、レオニーナは眉を寄せたが、何故かカノンシェルはにこにこ顔だ
「あなたの思うように。----そうしたい、と願い申し上げて、おれは来たのだから。」
「とうさまの過保護に、あなたが付き合うことはないのに、」
「あなたが綿津見に挑む様に、これがおれの試練ですよ。」
何のため、とは言わなかった。この島に来てから、視線の熱量が上がっているのには気づいている。上げている、のだろう。
「---投資は慎重になさったら?」
茶化すように言ったのに、
「商機を逃すつもりはない。」
恐ろしく真っすぐな瞳をむけられて、レオニーナは息を詰めた。
「そ、そう、」
と、顔を背けて、
「カノン、えーと、」
逃げ出してしまった。後追いしてこないことにほっとするが、振り返ってみる度胸はなかった。
「素敵な方ですよね?」
代わりに彼女の背越しに視線を交わしたらしき少女が、どちらの味方なのかという顔で言った。
「レオニーナさまをまるごと受け止めている、という感じが素敵です。」
「カノン…おとなをからかうものではなくてよ?! 」
年上の威厳を取り戻そうとしたが、自分でも成功したとは思えなかった。カノンシェルが、可愛いものを見る目で微笑んだからだ。




