「冥府の渡し守」亭1
DING DONG
お月さまのまわりをまわる
DING DONG
お日さまのまわりをまわる
DING DONG
お月さまには銀の花
DING DONG
お日さまには黄金の花
DING DONG
誓約の花を掲げて
DING DONG
幸運の印は額を飾る
DING DONG
鐘が鳴るよ
DING DONG
馬車が来るよ
DING DONG
お隣さんと
DING DONG
輪になって踊る
≪夏至の伝承歌≫
幕開け
「満天の五十年」はご存知だろう。
《海皇》セディルリーヴの『双異翼の柱』の開放から数えられ、伝説ではない世界地図を初めて作成ったパールラティの没年をして区切られる一時代である。
全花陸、というものが認識されはじめた時代だ。
世界は、散らばった花びらに似た五つの花陸から構成る。内海を囲んで近接するノーデ・サウデ・セルデの三花陸こそ古くから歴史を交えてきたものの、『双異翼の柱』で隔てられ永く幻の大陸であったシャイデが(逆もまた然り)現実の一部となったのも、「一つは荒れ狂う風に千切られ、一つは渦巻く昏き波間へと、三つはなすすべもなく寄り添った。」と謳う創世神話で、水没したと疑いもなかったバンセウが発見されたのも、この期間のことだ。
海洋の世紀、大航海時代の黎明。
造船技術、航海術は著しい飛躍を遂げた。人も物も、五花陸を巡って、それ以前とは比較にならぬ程、動き始めた。
激動する時代ほど、綺羅星たる存在を生み出すものだが、「満天」と称されるほどにこの時代、幾多の鮮やかで二つとない色合いの星が世空を飾った。そして最も大きく世界が広がったシャイデ花陸の空はひときわ華やかである。
【白氷妃の擾乱】からシャイデを解放した『遠海』の輝ける剣ライヴァート、天智なる盾(または神眼の)エアルヴィーン、『白舞』の白き御手マシェリカ、暁の獅子レオン。そして、果て無きパールラティ、幾千のシェリダン。
その、いずれ劣らぬ、華々しい星々の傍らで、そっと瞬く煌めきがある。
かのひとは二つ名を冠されはしなかった。だが、その名を記さずに、どの綺羅星のサーガを語ることができようか。
この、とき――。
シャイデ花陸で、最大の港町は『夏野』のラジェ(東ラジェ)であった。
天牙山脈を水源とし、花陸を東西に分断する形で流れる大河火矢川の河口の東側に形成られた、外洋大型船舶を収容しうる港湾自治都市だ。
花陸の各諸国も各々港を有しているが、シャイデ花陸の地形的特徴である切り立った海岸線か、さもなくば遠浅の海が、大型の船舶が接岸できる港湾の整備を難しくしていた。シャイデ花陸内で貿易が完結し、沿岸航行船で事足りていた一昔前には、それは重要な差異とはならなかった。しかし『双異翼の柱』の解放によって、凶海、死神の狩場と呼ばれた蒼苑海が、季節風だけの困難となり、それにともなって造船技術と操船術の発達は著しく、海を隔てた三花陸との交易が、もはや『冒険』ではない時代が到来しようとしているおりだ。大型船舶が接岸できる港湾の価値はくらべものにならぬ程にあがっていた。
ラジェは『この市にて、全花陸を見る』と語られた全盛期を迎えていた。
だが、その発展は火矢川の対岸『遠海』と、千牙山脈を隔てた北側の隣国『凪原』の間で勃発し、二年に及んだ戦役【白氷姫の擾乱】により水を差された。
『遠海』に侵攻した『凪原』は、直後に『夏野』には縁戚を理由に同盟(中立)をもちかけた。圧倒的な軍事力(これはのちに界魔の異能であったことが判明するのだが)で『遠海』全土を制し、殺戮の大鉈をふるう『凪原』の狂気に、『夏野』の首脳陣は、鉾先が自らに向く恐怖のままに与する。この決断は、後々、同様に降った『真白き林檎の花の都』と共に、『遠海』に立ち上がった解放軍を支持支援した西の隣国『白舞』と比較され、後に国内外から非難を浴びることになった。あわや花陸を崩壊させるところだった『凪原』(と白氷姫)を滅した『遠海』が、亡国となった国土の領有権をもつことに、継承権も主張できる縁戚であっても、『夏野』は無条件で認めるざるを得なかった。上層部にしてみれば、踏んだり蹴ったりの顛末である。
市井にしても、直接の戦火こそ浴びることはなかったものの、昏い季節であった。
流通の混乱と停滞、西ラジェから渡河して逃げ込んでくる難民による治安の悪化、同盟国として受け入れざるをえなかった『凪原』の、『遠海』の王族貴族を十代以上も遡って、いまは自らのルーツも知らず一般市民として暮らす者まで駆り出そうという「狩人」への恐怖。『夏野』国民には手を出さない、という取り決めは交わされていたが、特にラジェは国境の都市という土地柄、移住や婚姻は多く、確信犯なのか否かは既に闇の彼方だが、当時、それと推察される「失踪」が幾件も届けられており、実際の被害は把握されている数倍に及ぶと考えられる。
――シャイデ諸国に、物的、人的、心的に多寡の差はあれ、傷と混乱を残したその戦役終結から、二年と半。
国王をはじめとする主立った王族、大貴族が殆ど根絶やしにされた『遠海』だが、解放軍を率いて戦乱を勝ち抜いた若き新王を中心とする新たな首脳陣は、その混乱をバネにし、『遠海』は復興の活況に満ちている。大きな利益を生む異大陸貿易の窓口たる東ラジェとの物資交流は必然盛んになり、港町の景気もまた順調に上向いていた。
いま、ラジェは、春を告げる淡い黄色の小さな花、「再生」を花言葉にもつリシアが梢を飾る、浅い春の季節にある。
季節風で言うなら、迎えの時季だ。紫苑海を内海のように囲む紫苑三花陸から、二月に及ぶ航海を終えて、毎日のように蒼苑海を越えてきた商船がつく。夏の終わりを告げる、「祈り」たるカークの白い花が咲き、風が向きを変える送りの時季まで、異国の旅人(近年は各国に散っていく者も増えてきたが)たちは、一時、ラジェの住人となるのだ。
シャイデ中の産物、異国の色とりどりの珍品が並んだ市場を、潮焼けした船乗りや、見慣れぬ装束を纏った異国人が歩き、買い付けに着たでっぷりとした商人は店を熱心にのぞき、主の使いに召使いが走る。ベールを下ろした貴婦人や気取った帽子の貴族が供を従えてそぞろ歩き、いくつもの言語で呼び込みや慌ただしく指示を出す言葉が飛び交う。嗅ぎなれない香料の香りや、生のあるいは、調理された肉や魚の匂い、人いきれの臭い、喧噪と生活の営みに満ちた通りは、所狭しと軒を連ねる露店で曲がり角すら隠れてしまう様相で、立ち止まって方角を確認する姿も少なくないが、青年は迷いのない歩調で抜けていく。
夕闇が町を覆おうという刻限であるから、昼の商いの店は店じまいの顔を見せ始めているが、飲食をはじめとする夜を領域とする店が、活気づきはじめていた。
青年が足を止めたのは、【冥府の渡し守】亭という小さな居酒屋の前だった。小舟の上に棹を持った船頭を象った手彫りの看板をしばし見上げた後、扉に手をかけた。
カラン、と扉に取り付けられた鐘が鳴り、入り口近くにいた給仕の娘が出迎えの朗らかな出迎えの声を上げたが、
「・・・おひとりですか?」
と、客の様子を認めて継いだ声は、接客の調子を失ってはいないものの、硬さを帯びていた。青年は軽く頷き、しかし案内の声をまたずに、左手奥のカウンター席に向かった。
重い足音を響かせ脇をすりぬける青年に、早く仕事から上がったのか、既に陽気な雰囲気を醸していたテーブル席の三人の客が、思わず息をつめるようにして横目に様子を窺う。
色あせ、裾の擦り切れた重いマントは、矢や刃を防ぐ実用的な防具であり、使いこんだ長靴に鋼を仕込んだ革の手甲、そして腰には長剣とくれば、青年の職業はおのずと知れる。
傭兵。
特段珍しい職種ではなく、実際、この店の客層の半数以上を彼らが占める。商業都市で隊商の護衛を専らとするゆえに律するべき品行なのかも知れないが、東ラジェでは傭兵に粗野さや無頼さを感じるのは一般的な感性ではなかった。実際、ラジェを基点とする傭兵は、正規軍より軍律が徹底しているという傭兵団に名を連ねている場合が殆どだ。権力を無駄に傘にきる正規兵の方が面倒を引き起こす、という印象すら市民は持っている。
だが、その傭兵は――異質、そう、彼らは見たのだ。
面倒を起こしそうな凶暴な雰囲気だとか面相だとかそういうことからではない。引き締まった体躯に簡易な軍装がよく馴染んだ、よく見かける一般的な傭兵姿を、しかし、そのへんの傭兵の中に数えられない。
傭兵だ――この認識は動かない。けれど、どんな傭兵か、と。
傭兵団の幹部、というのが予想であったが、刺繍であったり揃いのマント留めや剣帯だったりする、いずれの傭兵団のしるしも青年は纏ってはいなかった。
「――焔華酒を。」
椅子にかけながら、迷わず青年はそう注文した。
『砂鈴』の民が、砂地に実る果実と薬草から造る蒸留酒は酒度も癖も半端ではなく、流通量もルートも限られているために、ラジェで扱っているのは【冥府の渡し守】亭だけで、しかもメニューにも載っていない、主人秘蔵の一品だ。聞き知ったとしても、主人から直接勧められない限り注文しないというのが、暗黙の了解でもあった。一見の客の無遠慮に、グラスを磨く手を止めて、むっと向き直った主人は、
「だせねぇな。」
ぶっきらぼうな応えに、この得体の知れない傭兵が怒り出すのではないかと、ひやりとしたのは周囲で、青年は頬杖をつき妙にくつろいだ様子で、主人を見返している。
「ねぇ、じゃなく、だせねぇ、か。」
「どこで聞いて来たか知らないが、あれは売り物にはしてない。おれが振る舞いたいヤツに振る舞うためのモンだ。」
「なるほど、オレには振る舞えない・・・と。もう飲酒を咎められる年齢じゃなくなったとは思うんだが?」
真面目くさっているが、明らかに面白がっている声だ。何がおかしい、と正面から傭兵を睨めつけるばかりに見た主人の顔が、ぽっかりと空になった。
「よぉ、ガイツ。あんたもいよいよ立派なおっさんになったな。」
にか、と確信犯の笑みである。
「お、おま、なにが、おっさんだ!? じゃなくて、おまえっ、このッ、なんで生きてやがる!?」
カウンター越しに胸ぐらをつかまれた傭兵は、無抵抗で掴みあげられるままにさせている。
「・・・酒場の親父にしちゃ、えらい腕で。」
隆々と筋肉の盛り上がった主人の二の腕を横目にぼそりと呟く。
「やかましいッ。てめぇ、どの面下げて、今頃のこのことッ。とっくに骨になっちまって、野犬なんかがその骨銜えていっちまって、ばらばらのずたずたの、」
「・・・おいおい、どういう想像力だって・・・ッ!?」
主人は傭兵を勢いよく引き寄せ、抱き締めた。拍子に鼻を主人の肩口にぶつけた傭兵は顔を顰めたが、しばらくの間、幻でないのを確かめたいのか締め上げる、に近い抱擁を黙って受けていた。・・・が、どうにも息苦しさに耐えきれなくなったのか、両手でぎゅっと主人の脇腹をつねったのである。
「てぇっっ・・・なにしやがるっ。」
「オレは男の胸で死ぬ予定はないんだよ、馬鹿力。」
緩んだ主人の腕から逃れ再び椅子に腰を落ち着けた傭兵は、当然の顔で「一杯」と催促して、主人の眉をつりあげさせた。
「お前な! 『砂鈴』へ隊商の護衛で行くって言ったきり。往復の契約の筈が、カラナの町でいきなり姿を消して・・何年になると思ってる!? てめぇとつるんでた連中は、殆ど『凪原』の傭兵になって・・・そして還ってこなかった! 消息も届かず、還って来ない以上、おれはお前も死んじまったんだと諦めるよりなかったんだよ! そう信じて生きてきたんだよ! ・・・おいッ、」
言葉の途中で目を閉じてしまった傭兵に、主人はかっとなって瞬間的に拳を振り上げた。そのまま振り下ろされた右掌を、傭兵は左掌で受け止めた。
「・・・少し、感動したかな。」
拳を包むように動いた指に、主人の肩から力が抜けた。
「オレなんかがそうやって案じられていたっていうのは・・・くすぐったいような変な感じだ。」
黄昏を過ぎたばかりの宵を連想させる、透明感のある群青の瞳が主人を真っ直ぐに見つめた。
「――ただいま、と言っていいのかな?」
「それがはじめの言葉だろうが、阿呆。」
ぶっきらぼうに言って、くるりと傭兵に背を向けた主人が、カウンターの下の棚を開けて焔華酒のボトルを取り出した。グラスは二つ。互いの手に渡ったそれがかちり、と触れ合い、飲み干された所で、空気が溶けた。カウンターの席が六つに、4人がけのテーブルが五つというこじんまりとした店だ。皿にフォークを擦りあわせるのも恐ろしく、彫像もどきとなって否応なく立ち聞きを強要されていた客と給仕が、おずおずという感じで動き始めた。
「店主のお仲間だったのかな?」
テーブル席からかけられた声は、主人の前歴が広く知られていることと、何より街に受け入れられていることを伝える。ああ、と屈託なく破顔して、
「こいつが細っこいガキの時分にさんざ面倒を、」
「みてやったんだ。」
焔華酒を舌先で転がしつつ、青年は絶妙なタイミングで口を挟んだ。
「酔いつぶれたあんたを、カルムと一緒に何度引きずって宿に帰ったことか。思い出すぜ。あの重さ。あんたが泥酔ドロの被害に合わなくて済んだのは、ひとえにオレたちの目配り気配りの賜物だな。」
澄ました表情に客は耐え切れずに噴き出し、主人は苦笑いを返す。
「という、口の減らんガキだった。」
「という面倒をかけられても構わないくらいに大事な【隊長】だった。」
一転、真摯な口調での他己紹介が繰り出されて、主人は突かれたように目を瞠り、客は笑いを引っ込めて軽く会釈をすると、【再会】の時間を邪魔しないよう、そっとその場から離れていった。
「あんたが続けていたら、今頃オレたちは名だたる傭兵団になっていたかもしれん、と胸を過ぎることがある。」
背後でどっと歓声が上がった。肩越しに投げた視線が懐かしげに細められる。少年といっていい年代も含めて、二十歳前後の若い傭兵たちが二テーブル分ほど入店してきたのだ。
「[銀の蔦]だな。」
袖口に、あるいはマントの縁に揃いで銀色の蔦模様が縫い取られている。
「・・・聞かないな。」
「先の戦で、稼ぎに目が眩んで『凪原』に雇われた団の殆どはほぼ壊滅しちまった。『夏野』の守備隊に雇われた老舗の[冷泉]や[紅の鳥]も、イドリア湾の会戦じゃ半数近くを失ったそうだ。[紅の鳥]は団長が戦死。[冷泉]のレクゼス殿も、長年の盟友や団員を喪ってがっくりきたんだろうな。引退されて、団は適当な後継もなくて、結局解散した。個人操業の連中も当然減って、戦後一時期は随分閑散としたが・・・ここは[傭兵]なしじゃ成り立たない街だ。」
大陸の貿易が収束し、拡散する街。傭兵は物資流通の要の一つに数えられる。
「あれも結成一年足らずだ。だが、雨後の筍の中では新進の有望株―――評判も悪くない。」
主人の人物眼に信頼を置く青年は、興味を覚えたようだった。
「隊長は・・・あいつか? オレは知らんが、どっかの出か? 」
座の中心を探して見当をつけて示すと、肯定が返った。
「・・・[白刀]の生き残りらしいな。]
「[白刀]って・・・おい?」
剣呑な、風の向け方では殺気として燃え上がりそうな空気を纏った青年の肩を、主人はいなす様に叩いて笑う。
「彼はヤツではないし、結局・・・彼も犠牲者だ。随分長く患って、血の滲むような訓練して、復帰してきたそうだ。」
「・・・復帰できただけマシだろうが。」
憤然たる勢いで、大きく酒を煽り、喉を灼くほどのそれに必然むせかえる。
「そういう飲み方をする酒じゃない。ああ、もったいない。」
水を渡しながら、酒について語る主人に、青年の肩からは力が抜けた。
「これを粋に味わえないようじゃ、まだまだだな。」
「ふ、とか妙に渋く笑ってみせんじゃないっ。―――葡萄酒。あと、何か腹満たせるもの。」
はいよ、と酒場の主人らしく応じてカウンターの逆側へ身体を傾けながら移動していく。
青年は片肘をつき賑やかさを増す傭兵団へ再た顔を向けたが、細められた瞳の奥に結ばれるのはいまではない。
彼らは[隊]だった。共に仕事をする中で意気投合して、いつしか当たり前に顔を揃えるようになっていた一匹狼をよしとしていた相当に個性的な面子の中心がガイツだった。傭兵として比類なく強かった・・・わけでは全くないが、口の減らんガキと罵りつつもいつの間にかそんな子ども(がき)を二人も面倒をみていたことに象徴される人の好さ――人を収める器の深さの中に、集うことができていたのだ。
必然、ガイツが傭兵生命を絶たれると、彼らを収められる「袋」は喪くなり、個人的な友誼は変わらずとも、[隊]は自然消滅の道を辿った。
その後、数年一人で傭兵をして・・・。
焔華酒の杯が下げられて、葡萄酒用の椀が置かれる。
斜め前に置かれたボトルのラベルを見た青年は頬を奇妙に引きつらせ、主人を窺ったが、
「サクレ産は嫌いか? 戦で焼かれた葡萄畑も復興してきたらしいな。昨年あたりから、再た安定して流通するようになってきた。」
「・・・ああ、」
何に向けているのか掴めぬ苦笑いを刹那走らせ、青年は酒が満たされた椀を取り上げた。目顔で主人に相伴を勧めた。




