第十五話 外交
今更ですが、歴史設定をちゃんとしてなかったので、追々更新入ると思います。
大日本帝国は、中国征服による外交的な不評を国際的に受けた。わけでもあんまりなく、特にイギリスとの関係は良好で、諸大国との関係も良かった。
しかし、フランスやアメリカなど、イデオロギー的に敵視されており、帝国はこの度、それらとの外交に赴いた。
フランス パリ
パリコミューンに始まった共産主義の波は、50年でフランスを包んだ。労働者による華の都は、我々の知るパリと変わりなく、しかしどこか違うような違和感を覚えさせる。まあ共産主義ならどこかは変わるだろうし、それに比べてあんまり変わってないのは元々市民の国であるからしょうがない。
さて、そんなわけで外交が開始した。会場はパリ。パリに位置すると言うわけではなく、パリ全体である。
「………しかし、フランスは変わらず美しい。200年来の努力の賜物ですね」
「いやいや何をおっしゃるか、日本こそ、独自の文化を300年以上かけて作り出したではありませんか。芸術、建築、言語もそうでしょう。」
「そちらこそ。帝国と貴国とはこうしてみると似ている物ですなぁ。」
「確かにその通りです。しかし、最初聞いた時は驚きに徹していましたが、いざこうしてみると案外心地よい。次からもこうしたいくらいです。」
「なんと。ありがたい。正直断られるとばかり思っていました。こう見えて私、東京帝国大学でフランス語を学んだのですよ。」
「そうだったのですか。偶然にも私も教育は全てフランス語で受けましたよ。初等教育から高等教育まで。」
「いや一本取られました。これには敵いません」
「ふふ、笑ってくださって助かる。少し緊張しましたよ」
「よく仰る。流石は文化の国です。」
「今回の件で正直、私は国家同士がどうあれ、国交を樹立すべきであるということを確信しました。我々は芸術面でも、それから経済面でも強く結びつくはずです。」
「我が国の陛下は、少なくとも日仏の国交は樹立されて然るべきと仰られました。私も今は、個人公人としてそれを不断に達成せねばならないと思います。」
彼らはひとしきり相手を褒め合い、そして日仏の国交は正常化した。この件は後世に至るまで「人間同士の関わりとして手本」とされている。
な̶お̶こ̶の̶出̶来̶事̶の̶せ̶い̶で̶フ̶ラ̶ン̶ス̶は̶警̶察̶を̶大̶量̶に̶動̶員̶せ̶ね̶ば̶な̶ら̶な̶く̶な̶っ̶た̶
ハワイ
「我が合衆国は貴国との国交樹立に一切の文句はない、寧ろこちらから行くところだった。」
「では我が帝国と貴国で国交樹立、大使館設立に動かんと成そう。」
まぁ大まかに言えばこんなもので、帝国の考えとは裏腹にことは成った。
イギリス ロンドン
帝国外務省はイギリスに赴いた。中華を影響圏とした日本にとって、アヘンの流通は一つの大きな経済上の観点であり、それを念頭に置いた会談が設置された。
1927年のこの世界においては、アヘンを巡る三角貿易は未だ健全であった。だからこそ中華民国は継戦能力を失っており、早期の終戦に繋がったが、とはいえ中国を衰退させる貿易なので日本はこの貿易を停止、もしくは縮小させなければならなかった。
「定刻となりました。今より支那を巡る影響の行使についての、両国の会談を始めます。」
”We are now on time. We will begin talks on how to influence China.“
「まず初めに、日本からの要求を伝えます。
イギリスはその支那に対する一切のアヘン貿易を禁止すべし。なお、以って如何なる他の貿易を禁じるものではなく、日英にとって栄を得るものにすること。以上。」
“Then, requisitions of Untied Kingdom.
Our main requisition is to conclude a treaty that is of sufficient benefit to both the United Kingdom and the empire of Japan. without undermining the benefits already gained by our country.“
と交渉は始まった。1927年11月4日に始まったこの日英交渉は、最終的には1928年1月30日に終結を迎える。アヘン貿易の終焉と、日英同盟の成立という形によって。
アメリカの脅威、ビザンツの成立、東欧の不安定、仏ソの共産主義者共、アジア植民地の不和。
これらの「脅威」を前に、日英は協力を要し、日英同盟として形を現した。なお、アヘン貿易で英に齎されていた膨大な財は、支那産の石炭鉄鋼の無関税輸出で話がついた。




