01 寝言は寝ている時に言うものです。
エポカ歴一五六六年、
時はユーディス大陸全土を巻き込んだ大戦争時代。
突如襲った未曾有の自然災害は、百年に及ぶ覇権争いに終止符を打った。
今もまだ、各地で猛威をふるい続ける天災を、人々は――魔法嵐――と呼んでいる。
◇◆◇◆
「――お断りします!」
じゃじゃ馬姫こと、ツェツィーリア・コンディターニは、目の前で信じられない提案をしてきた、これまた信じられないほど整った顔立ちの皇帝に、凍りつかんばかりの冷笑を投げつけた。ほんと、鼻で笑ってやりたい。
ユーディス大陸国土の東側を占める大国“帝国マーレマール”から、わざわざこんな離れた島の内陸のそのまた小さな公国に、皇帝自らがやってきたと聞かされたときには度肝を抜かれた。が、――まさかこんなくだらない用件だったなんて!
最初、あまりにも綺麗すぎる面立ちとすらりと均整の取れた体躯に、言葉も忘れて見惚れてしまった。輝くようなプラチナブロンドはふわふわと柔らかそうで、睫毛が羨ましくなるほど長い。その下から覗く優しい眼差しは、吸い込まれそうなブルーで……。あぁ、だが、悲しいかな。言葉を発した途端、リーリアの中で『絵物語に出てきそうな貴公子』は『ただの無礼者』にまで成り下がった。
なぁにが『国の預言者が、コンディターニ公国の第一王女を妻に貰えば、将来安泰』って言ったよ! しかもその理由が『この近辺で一番魔力の保有量が多い娘』だから?
(寝言は寝ている時に言いなさいよ!)
勿論皇帝は、もう少しオブラートに包んだ言い方をしたが。要約すればそういうことだ。まるでリーリアが災いをはねのけるお守りや、巷で売り買いできる燃料みたいな口ぶりじゃないか。侮辱するにもほどがある。
「――っ、リーリア!」
兄である公国王が目をむいて素っ頓狂な声を上げたが、構うものか。
ぽかんと見つめてくる晴れ晴れとした空色の瞳……ではなくその下の形の良い顎に――どうしてこんなに背が高いのよっ――ビシリッ、と人差し指を突きつけて、リーリアは宣言してやった。
「三食昼寝付き? 指一本動かさなくてもいいようなお姫様待遇? はっ、お生憎様っ。私だって一国のお姫様なのよ。たとえどんな好条件だろうと、どんな脅しをかけられようと、あなたのような方と結婚なんてしてやるものですか!」
と。普通ならこんな小娘にここまで啖呵を切られて、気分を害さない男はいない。相手が大国の皇帝ともなればなおさら。
憤慨して噛み付いてくるようなら『一昨日おいで』と、澄まし顔で一戦交えてやろうと思っていたのに……。
(え? 笑ってる!?)
「噂に違わず、豪気なお方ですね」
くすくすと笑い声を立てると、クローディアス・ウィルキスは目元を和ませ、可愛らしく小首をかしげてくる。三十過ぎの男に可愛らしいなんて表現が適切かどうかなんて、どうでもいい話だが、その言葉がぴったりだ。
(ちょっと、ちょっと、ちょっと――! 今のは笑うところじゃないでしょうっ!?)
この人、本当にマーレマールの皇帝なの? 先々代が残虐王と名高かったあの国の……。威厳も何もあったもんじゃない。
リーリアがあまりにも予想外な反応にぎょっとして、気の利いた皮肉の一つも返せずにいると、変わりに兄――ジェフリーが沈黙を埋めるように咳払いした。
「申し訳ない、クローディアス殿。うちのじゃじゃ馬姫が……」
「いえ、こちらの言い方も悪かったのです。ツェツィーリア殿。どうか、侮辱と取らないでほしいのですが」
本当に悪気はなかったみたい。
困り果てた様子で柳眉を下げる皇帝の姿に、ちょっとだけ冷静になった。
ただの言葉にかっかしすぎた気もする。短気は損気というけれど、私だってもう立派な大人――一部からは年増なんて不名誉な呼ばれ方もしているけれど――もうちょっと猫をかぶった受け答えだってできるのだ。
気を取り直し“大人な笑顔”を貼り付けると、リーリアは口を開いた。
「ええ。あなたの言い分は侮辱じゃなくて、ぶれっ――!」
「ちょっと失礼」
が、言い終わらないうちにバカみたいに大きな手で口をふさがれ、羽交い締めにされ、そのままずるずると執務室の隣の小部屋に引きずっていかれる。
「ほにいはま! なにふっ」
「こんの、バカが!」
「いたっ!」
バタンと扉を閉めるなり、ジェフリーはリーリアをソファに放り、おでこに痛烈な一撃を放ってきた。
うう痛い。そのぶっとい指でデコピンなんて、頭がもげたらどうしてくれるのよ。
ありったけの恨みを込めて唸ったが、兄の怒りの前には子猫の威嚇くらいにしかならなかった。
「思ったことをほいほいと口に出すなと、あれほど言っておいただろう! 言葉を選べ、言葉をっ。何だ? お前はこの国を破滅させたいのかっ。マーレマールに比べたらこんな小国あっという間に攻め込まれて、属国の仲間入りだ」
「こんなちっこい国、属国にしても何の活用法もないと思うけど」
「うるさい、ただの例えだ。あんなふうにニコニコほけほけしていたって相手は皇帝なんだ。たとえ、何ぬかしてんだこのスケコマシっと思ったとしても、ちょっとだまくらかして金を巻き上げられないだろうか、と考えたとしても、腹の中にだけ収めておけっ」
酷い言いようだ。さすがの私もそこまでは思わなかったのに。
確かにコンディターニ公国は、はるか昔にある王国の公爵が、主から武功の褒美にと領地を与えられて独立を許された小国に過ぎない。観光地もなければこれと言った収入源もなく、国庫はいつもかつかつ。貧困にあえいでいるわけではないが、裕福でもないのだ。
唯一の利点は四方を山に囲まれているおかげで、外敵や魔法嵐の影響を受けにくくどこまでも平和だというところ。あと、国民の殆どが魔法を自在に使えるほどの魔力に溢れているところか――赤ん坊ですら言葉を覚えるよりも早く、物を宙に浮かせられるのだから、そこは誇ってもいい。
でもとにかく、人の出入りが少なく、ひたすら地味で栄える要素がなんにもないのだ。鉱石か何か売って金に変えられる物でもあれば、優良種の羊やら牛やらをかけ合わせ、高級羊毛でも食用肉でもなんでも特産品を考えつくのに……。
――はっ、もしかしてっ!
「お兄様は婚礼金目当てで私を嫁がせようなんて思っていないわよね?」
嫌な予感がして疑いの眼差しを向けると、兄は急に居住まいをただして目を合わせようとしない。
「私が大切な妹を、遠い遠い外国に売り渡すなんて、そんな酷いことをするはずがないだろう。だがな、リーリア。こんなありがたい話、気に入らないからと無下にするのは勿体無いとも思わないか?」
(やっぱり!)
「お兄様にとってはそうでしょうけれど、私にとっては勿体無くもなんでもありませんっ」
「いいや、そんなはずはないだろう。良く思い出せ。お前は今度の誕生日でいったい何歳になると思っているんだ」
二十三――と、リーリアが答えようとする前に、首を振って制された。
「いや、答えなくていい。今のは質問じゃない。お前が結婚適齢期をとっくに過ぎている事はよぉく知っている。母親譲りの可愛らしい顔をしているのに、どうして未だに結婚できないんだと、私が頭を悩ませている現状を理解してほしいだけだ」
「それは私のせいじゃないわ。私に見合う男の人が現れないだけよ」
――決して、思ったことを率直に述べるこの性格が災いしているわけじゃない。絶対に。