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【9:ポーラ・フリップの懺悔】

 ポーラは黙っていれば、細身の青年にも見える中性的な女性だ。

 たった一人で王子の護衛をするぐらいだから、相当に腕も立つのだろう。

 だが、肩を落として辛そうな顔で俯くその姿は、ロザリーにはとても繊細な女性に見えた。

 ロザリーはそんなポーラの姿を観察しながら考える。

 記憶を失う前のロザリーは、騎士団付きの軍医だ。なら、騎士団の団員であるポーラとは交流があってもおかしくはない。

「私とあなたは、どんな関係だったの?」

「……休憩中に他愛もない話をする程度だった……けど」

 きっと、ポーラは口数の多い性分ではないのだろう。喋る言葉はぎこちなく、何を話せば良いのか躊躇っているようにも見える。

 そんなポーラが、ロザリーのために言葉を尽くそうとしているというだけで、彼女がロザリーに対して好意的だったことが伺えた。

「……その、女の騎士って、なかなか周囲に認めてもらえ、なくて。それで……無理な訓練してたら、怪我をして…………あなたは、それを諫めてくれた」

 記憶を失う前のロザリーはポーラに医学書を突きつけて、男と女の体の違い、骨格、筋力の違いを、延々と説いて聞かせたのだという。

 その上で、無茶な訓練は効率が悪いと断言し、女性が剣で男性に対抗する方法、人体の仕組みから考えられる狙うべき急所を大真面目に検討しだしたのだとか。

「その時から、よく話をするようになって……」

「そ、そうなの……」

 騎士にしろ軍医にしろ、女性の数は圧倒的に少ない。だからこそ、同じ女性同士で交流が芽生えたのは、自然な流れだったのだろう。医学書を開いて人体急所の狙い方を検討するのが、自然かどうかはさておき。

「私とロザリーは、友人だった……少なくとも、私は、そう思ってる」

 そこまで言って、ポーラはギュッと唇をひき結び、体の両脇で握りしめていた拳を震わせる。なんだか、今にも泣き出しそうな顔で。

「それなのに……私は……もしかしたら、私のせいで……」

 ポーラは真っ青な顔で、ずっと何かを悔いているようだった。それが、ロザリーには気にかかる。

(これまでの会話で分かることは……)

 ポーラとロザリーは友人関係だった。

 ロザリーが転落事故に遭う前に、最後に会話をしたのがポーラだった。

 そして、ポーラは何か酷く後悔をしているらしい。

 以上のことから、ロザリーは一つの仮説を立てる。

「もしかして、私とあなたは、喧嘩をしたの?」

「…………喧嘩と、言って良いのか、分からない。ただ、私は一方的にロザリーに酷いことを言って、屋上を逃げ去ったんだ。その直後に、あなたが高いところから落ちたと聞いて……もしかして、私の言葉のせいで、あなたが屋上から飛び降りたんじゃないかと」

「待って」

 ロザリーは片手を突き出して、ポーラの言葉にストップをかける。

 ロザリーが目覚めた時、ルイスは確かにこう言っていた。


『貴女が階段から落ちたと聞いた時、私は本当に生きた心地がしなかった……』


 ルイスは「階段から落ちた」と言っていたのだ。

「私は……屋上から、落ちたの?」

「違うのか? ロザリーは高い所から落ちたと聞いたから、てっきり屋上なのかと……」

 どうやら、ロザリーがどこから落ちたのか、という点に関して、正確な情報は出回っていないらしい。

 だが、思い返してみれば、確かにロザリーの怪我は階段から落ちただけにしては重傷すぎるし、なにより、頬や体に枝で引っ掻いたような傷痕が数ヶ所あったのだ。階段から落ちただけでは、あんな怪我の仕方はしない。

 屋上からの転落が正解なのだ。恐らく、木の枝がクッションがわりになって一命を取り留めたのだろう。

 だが、そうなると、何故ルイスはロザリーに対して「階段から転落した」などと口走ったのか、という疑問が浮かぶ。

(動転して勘違いしていた? それとも、まさか……)

 ロザリーが転落した場所のことをわざと、黙っていたとしたら?

 ルイスは七賢人になりたくて、七賢人の娘のロザリーと婚約した。

 だが、ロザリーが屋上から自殺を図ったとしたら、確実にルイスの立場は悪くなる。

(……だから、階段から転落したことにした?)

 さぁっと、全身の血が引いていくのが分かる。

 ルイスがロザリーと婚約したのは、きっと七賢人になるためだ、というのは薄々想定していたけれど、改めて現実を突きつけられたような気がして、ロザリーは臓腑が冷たくなるのを感じた。

「……ポーラ。私達は、屋上で何を話したの?」

「それは……」

 ポーラは苦しそうな顔で俯いていたが、やがてポツリポツリと、その時のことを語り始めた。



 * * *



 少し話がしたい、そう切り出したのはポーラからだった。

 その日のロザリーは比較的手が空いていたらしく、あっさりと了承して、ちょっとした休憩にと屋上まで付き合ってくれた。

 ルイス・ミラーとの婚約が決まってからというもの、ロザリーは暗い顔をすることが増えたように思う。

 屋上に出ると、風が少なく日差しは温かで、気持ちの良い冬晴れの空が広がっていた。

 暖かいわねぇ、と呟くロザリーは少しだけ顔を綻ばせている。その顔を曇らせることを想像すると、ポーラは気が重かった。

 それでも、ポーラは葛藤の末に、喉に貼り付いていた言葉を口にする。

「……ロザリー、婚約おめでとう」

 その一言に、みるみるロザリーの顔が曇った。目はすぅっと細められ、唇がキュッとへの字に曲がる。

「何もおめでたくないわ。あの人は、私が七賢人の娘だから婚約した。それだけよ」

 そう言ってプイッとそっぽを向くロザリーに、ポーラは複雑な気持ちを抱いていた。

 込み上げてくる激情を押し殺して、ポーラは声を絞り出す。

「……嫌なら、解消すればいい。抵抗しないで言いなりになるなんて、ロザリーらしくない」

「婚約解消なんて、父が認めないわ」

 ロザリーの声は暗く、重い。

 そうだ、ロザリーは何も悪くない。悪くないと分かっているのに、ポーラの感情の暴走は止まらなかった。

 ロザリーはいっそ露骨なほど、婚約を忌避している。


 ポーラの気持ちも知らないで。


「……ロザリーは、酷いね」

「え?」

「……私だって………………本当は……」

 ダメだ、それ以上は口にしてはいけない。

 だが、言葉を詰まらせるポーラを見て、ロザリーは何かを察したような顔をする。

「ポーラ、あなたもしかして…………あの人のことが」

「……っ!」

 ポーラは咄嗟に身を翻して、その場を後にした。

 屋上に、ロザリーを残したまま。


 ロザリーが転落したという情報が流れたのは、その直後のことだ。



 * * *



 ポーラの告白を聞いて、ロザリーは腕組みをする。

 一見男勝りのようでいて、実はとても繊細なポーラは、自分の失言にロザリーがショックを受け、屋上から飛び降りたのではないか、と考えたらしい。

 だが……

「断言するわ。あなたのせいじゃない」

「でも……っ!」

 ポーラはルイスに横恋慕をした自分が悪いのだと思い込んでいるようだった。 

 だが、ロザリーはゆるゆると首を横に振る。

「私、そんなに繊細な性格ではないもの」

 ポーラがルイスに片想いをしていたことに、それなりにショックを受け、気まずく思ったりはしたかもしれない。

 だが、自分はそれだけで屋上から飛び降りるような性格ではないと思うのだ。

 むしろ、ルイスとの婚約を解消に持ち込むために、自殺を装って屋上から飛び降りたと言われた方がしっくりくる。

(やっぱり、記憶を失う前の私は、婚約を嫌がっていたのね)

 ロザリーはこみ上げてくる怒りを飲み込み、硬い声でポーラに訊ねた。

「ポーラ、私がどこから落ちたのか、ってことについては、まだ正確な情報は出回っていないのよね?」

「……多分」

「なら、私が屋上から落ちたってことは、しばらく黙っていてくれる?」

 ポーラは困惑した顔をしていたが、ロザリーが「お願い」と念を押すと、小さく頷いた。

(この情報は、恐らく、ルイス・ミラーとの取引材料になるわ)

 ルイス・ミラーは七賢人になるために、ロザリーを利用しようとしている。

 そのために、彼がなんらかの工作をしているのだとしたら、そこを突いてやれば……上手くすれば、婚約解消に持ち込めるかもしれない。

 ロザリーは頭の中に、微かに蘇った記憶を思い出す。

 ロザリーの初恋の人。〈ミネルヴァの悪童〉と呼ばれた、あの少年を。

「……ポーラは〈ミネルヴァの悪童〉って知ってる?」

「ううん、私はミネルヴァの出身ではないから……」

「そう、ありがとう」

 ロザリーはポーラに礼を述べ、ミネルヴァの関係者と連絡を取る方法を考え始めた。

 今は少しでも多く、記憶を取り戻すための手掛かりがほしい。


(私達が相思相愛の恋人同士だなんて、よくも言えたものね。ルイス・ミラー!!)


 ロザリー・ヴェルデは静かに決意した。

 一刻も早く記憶を取り戻し、あの男……ルイス・ミラーに、婚約解消を突きつけてやるのだ。


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