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【8:ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディルの訪問】

 ロザリーはベッドの上で上半身を起こし、書斎で見つけたミネルヴァの教本を何度も何度も繰り返し読んでいた。

 教本の内容は高度な魔術式構成に関するものなのだが、ロザリーはそれをさほど苦もなく理解することができる。こと魔法に関してミネルヴァの授業は国内最高峰のものだから、それを理解できるロザリーはきっと勤勉な生徒だったのだろう。

 少なくとも座学の成績はそこそこ良かったに違いない……実技は悲惨な有様だったのが容易に想像できるが。

 その教本の内容を繰り返し読みながら、ロザリーは自分の学生時代のことを……自分が好意を抱いた少年のことを思い出そうとした。だが、どうしても記憶は霞がかっていて、あの少年の顔と名前が思い出せない。

(……断片的なことは思い出せるのに)

 ちょっと北国訛りのあるぶっきらぼうな喋り方とか、風に揺れるパサパサの短い髪とか、あかぎれだらけの指とか。

 そこまで考えて、ふとロザリーは気づく。

 この教本を持っているということは、ルイスもミネルヴァの生徒だったということだ。

 ルイスとロザリーは同じ年だから、同級生の可能性が高い。

 ルイスは、あの少年のことを知っているのだろうか?

(……でも……何て訊けばいいの……)

 私、婚約者のあなたより、その男の子が好きだったの……だなんて言えるはずがない。

 仮にその少年が好きだったことを伏せるとしても、やはり婚約者であるルイスには訊きづらい。

 どうしたものかと頭を抱えていると、ノックの音がしてリンが姿を見せた。

「ロザリー様、お戻りになられたルイス殿が客人を二人ほど連れていらっしゃいます。お二方とも、ロザリー様のお見舞いをしたいと申しておられますが、いかがいたしますか?」

 客人、と言われて真っ先に思い浮かんだのはハウザー先生と、ルイスの弟子のグレン青年だ。

 ロザリーは記憶喪失になって以来、ルイスとリンの二人を除けば、ハウザーとグレンしか面識がない。

 だが、リンが言うには、客人はそのどちらでもないのだという。

「そのお客様は、なんとおっしゃる方なの?」

「お名前は伺ったのですが、わたくし、長い人名を覚えるのが些か苦手でして」

 どうやら、客人の名前を覚えられなかったらしい。

「……そこはメイドとして、もうちょっと頑張った方が良いと思うわ」

「申し訳ありません。ですが、外見的特徴でしたら、非常にわかりやすく簡潔にお伝えできます」

「どんな方なの?」

 訊ねるロザリーに、リンは宣言通り簡潔に告げた。


「金のゴリラと、女騎士です」


「……もう一回言ってくれる?」

「金のゴリラと、女騎士です」

 怪我や記憶喪失とは別の意味で、頭が痛い。

 それでも、ルイスが連れてきた客人なら、身元の確かな人間なのだろうと判断し、ロザリーは客人を通して構わない旨をリンに伝えた。

 リンが一度部屋を出ていくと、ロザリーはミネルヴァの教本をサイドボードに移し、身なりを整えるか否かをしばし考える……が、まだ一人で着替えるのは難しいし、見舞いに来た人物もロザリーが重傷なのは承知の上だろう。

 このままでいいか、とあっさり結論づけ、寝間着の上にストールを羽織った格好で、ロザリーはベッドの上にちょこんと座り直す。

 丁度そのタイミングで扉がノックされ、ルイスが姿を見せた。

「ロザリー、ただいま戻りました。お体の具合はいかがですか?」

「おかえりなさい。今朝よりはだいぶ良くなったわ」

 おかえりなさい、の一言にルイスは嬉しそうに口元を綻ばせた。

 改めて見ると、やはり美しい男だ。どちらかというと女性的で繊細な顔立ちに、綺麗に編まれた艶やかな栗毛。光の加減で色味を変える灰紫の目……そう言えば、あの少年の目は何色だっただろうか、髪は少し明るい色だった気がするのだけれど。

(……いけない、無意識に比較してる)

 ロザリーは頭にちらつく少年の面影を、一度心の引き出しにしまって、ルイスと向き直った。

「お客様が来ていると伺ったのだけど?」

「えぇ、二人ほど。どちらもあなたの友人です。あなたの具合さえ良ければ、会わせたいのですが」

「構わないわ」

 ロザリーが頷けば、ルイスは廊下に待たせていたのであろう客人に「だそうです」と声をかける。

 すると次の瞬間、ルイスを押しのけるようにして、大柄な男がロザリーのベッドに駆け寄ってきた。

「ぬぉぉおおおっ! ロザリー! 記憶喪失とは、まことかっ!?」

 暑苦しい叫び声をあげているその男は、美しい金髪碧眼の持ち主だった。年齢は二十代半ば程度で、ロザリーと同じぐらいだろうか。

 身につけている衣類は一目で上質と分かる物なのだが、その立派な服がはちきれそうなほど見事な筋肉の持ち主である。とにかく大きい。縦にも横にも。

 立派な体躯の上に乗っかった顔は眉が太くて彫りが深く、なんとも厳つい。

(なるほど、金のゴリラ……)

 失礼ながら納得しつつ、ロザリーは男に頭を下げた。見たところ貴族階級の人間だろうから、礼を尽くすに越したことはない。

「お見舞いに来ていただき、ありがとうございます」

「なに、気にするな、友を気遣うのは当然のことだ。それより……本当に私のことを覚えていないのか?」

「はい、申し訳ありません」

 ロザリーの言葉に、金のゴリラ氏は悲しげな顔で太い眉をしかめた。

 そうしてしばし「ぬうぅ……むぅ……」と呻いていたが、やがてきちんと背筋を伸ばすと、とても美しい礼をする。

「私は、ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディル」

 なるほど確かに長い名前だ。リンが一度で覚えられなかったのも無理はない。

 無理はない……が。

(……リディル?)

 そんなまさか、いやいやありえない、何かの間違いだ……とロザリーが顔を青くしていると、もう一人の客人……褐色の髪の女騎士が、廊下から金のゴリラ氏に声をかける。

「殿下、ロザリーの顔色が」

「むっ、なにっ!? 大丈夫か、ロザリー! ぬぉおお、誰か! 医師を呼べ!」

 金のゴリラ氏はロザリーの手を握りしめて「気を確かに! 強く自分を保て!」と熱く励ましてくれた。

 だが、今のロザリーは、気を確かにどころの騒ぎではないし、強く自分を保っていられるほどの余裕もない。

(…………殿下、って……まさか……)

 ロザリーはカタカタ震えながら、助けを求めるようにルイスを見る。

 ルイスはリンを呼びつけ、氷のように冷たい眼差しを向けた。

「駄メイド、お前はロザリーに、客人のことをちゃんと伝えたのでしょうね?」

「はい、非常に明瞭かつ簡潔に、分かりやすくお伝えいたしました」

 無表情ながら自信たっぷりに頷くリンに、ルイスは頬を引きつらせながら問う。

「……客人が、この国の第一王子であることも?」

「そうだったのですか。それは存じ上げませんでした」

 ルイスとリンのすっとこどっこいな会話と、金のゴリラ氏改め、この国の第一王子の熱い励ましを聞きながら、ロザリーは今すぐベッドに戻って寝込みたい……と本気で考え始めていた。



 * * *



「怪我人を不安にさせてしまって、誠に申し訳ない!」

 リディル王国第一王子ライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディルは実に男らしくロザリーに頭を下げた。彼に非はないのにも関わらず、だ。

 今、室内にいるのはロザリー、ルイス、ライオネルの三人だけだ。護衛らしき褐色の髪の女騎士は廊下でリンと共に待機している。

 王族の前でベッドに座っていて良いはずがない、とロザリーは立ち上がろうとしたが、それをライオネルは大真面目に押し留め、それどころかロザリーを不安がらせたことを詫びた。顔はゴツいが、非常に心優しいゴリラである。

 ロザリーが慌てて「頭を上げてください」と声をかけると、ライオネルはパッと顔を上げた。

「ロザリー、私的な場で畏る必要はない。私達は同じ学校で、共に学んだ同級生だからな!」

「……同級生? もしかして、ミネルヴァの?」

「うむ! その通り! 私は十五の時から三年間、ミネルヴァで魔法について学んでいたのだ。まぁ、お世辞にも成績優秀とは言い難く、お前達には世話になってばかりだったがな」

 ライオネルが言うには、彼はルイスやロザリーと同級生で、実技はルイスに、座学はロザリーに教わることがしばしあったのだという。

「ミネルヴァを卒業した後、私は一時期騎士団にも所属していてな。その節は、軍医として働くお前に、なにかと世話になったものだ」

「は、はぁ……」

 まさか記憶を失う前の自分が、この国の王子と交流があっただなんて。

 想定外の事態に軽く混乱しつつ、これは知りたかった情報を得るチャンスではないかとロザリーは考えた。

 ロザリーはもう一度、学生時代の記憶に想いを馳せる。

「……あの、殿下にお訊きしたいことがあるのですが」

「うむ、なんでも訊いてくれ! お前の記憶を取り戻すためならば、このライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディル、尽力は惜しまんぞ!」

 できればもう少し小さい声で喋ってほしいなぁ、と苦笑しつつ、ロザリーは思いきって訊ねた。

「ミネルヴァの教本を見ていたら、私が学生時代に親しくしていた人物のことを、少しだけ思い出したんです。その人物について、殿下はお心当たりがありませんか?」

「むぅっ、どのような人物だ?」

 この場にはルイスがいるけれど、初恋だったことを伏せて訊ねるだけなら問題はないだろう。

 なにより、今ここでライオネルに訊かねば、学生時代のことを知るチャンスなんて、そうそうない。

「北国訛りの男の子です。ちょっとぶっきらぼうな感じで、いつも汚れた制服とボロボロのブーツで……」

 ロザリーが朧げな記憶を手繰り寄せながら言うと、ライオネルは驚いたように目を見開き、ルイスは何故か不快そうに眉を顰めた。

 もしかして、ルイスとは仲の悪い人物なのだろうか?

 不安に顔を曇らせるロザリーに、ライオネルがボソリと呟く。

「……それは、もしかして…………『ミネルヴァの悪童』のことではないか?」

「ミネルヴァの悪童?」

 なにやら不穏な呼び名である。

 詳しく話を訊こうとロザリーが身を乗り出すと、ルイスが「ロザリー」とやけに冷ややかな声で名を呼んだ。

「学生時代のことでしたら、後で私が話して差し上げますよ。それよりも今は、殿下の騎士団時代のことを訊いてはいかがです? あぁ、そうそう、竜の討伐に同行したあなたの献身的な看病に、騎士団の方達はとても感謝しているのだとか! ですよね、殿下?」

「む、うむ、そうだな。特に緑竜の群れと対峙した時は、重傷人が多くてな。ロザリーがいてくれたおかげで一命を取り留めた者が何人もいるのだ」

 ルイスが促したことで、会話の内容は主にライオネルが騎士団に所属していた頃のものになってしまった。確かにその話も新鮮ではあったが、ロザリーが訊きたいのは学生時代の、あの少年のことなのだ。

(だって、それだけが、唯一思い出せたことなんだもの)

 あの少年……『ミネルヴァの悪童』の話をなんとか聞きたかったのだが、ライオネルの話が一区切りしたところで、ルイスが廊下に目を向ける。

「さて、あまり長話をしてもロザリーの体に障りますから、この辺にしておきましょう」

「私はまだ、大丈夫よ」

 ロザリーは強い口調でそう主張したが、ルイスはあくまで優しげな婚約者の笑顔で首を横に振る。

「いいえ、無理はいけません。さぁ、殿下、こちらへ。ティールームに茶を用意させてあります」

 ルイスはやけに頑なに、ライオネルをロザリーから引き離そうとしている。

 せめて「ミネルヴァの悪童」なる人物のことだけでも聞き出そうと、ロザリーが口を開きかけると、ルイスはさも良いことを思いついたような顔で手を叩いた。

「あぁ、そうそう、殿下お付きの騎士殿はロザリーと交流があったとか! 折角だから、彼女とも少し話をしたらどうです? ……ただ、長話は体に障るので程々に」

 そう言ってルイスは、ライオネルを部屋の外に促すと、廊下で待機していた女騎士を招き入れる。

「騎士殿。良かったら、少しロザリーと話をしていかれませんか?」

「……よろしいのですか?」

 褐色の髪の女騎士は、申し訳なさそうにライオネルとルイスを交互に見る。

 ライオネルが「うむ、構わん」と頷けば、ルイスは笑顔でそれに便乗した。

「女同士の話に男は無用でしょう。私どもはティールームにおりますので、何かありましたらお声かけを。あぁ、殿下の護衛でしたらご心配なく。何せ一緒に茶をするのは、この私なのですから」

 刺客が来ても返り討ちです、と爽やかに物騒なことを言って、ルイスはライオネルと共に廊下を出て行った。

 その背中を見送りながら、ロザリーは肩を落とす。

(……あぁ、あの人のことを、聞きそびれてしまった)

「ロザリー」

 消沈しているロザリーに、褐色の髪の女騎士がぎこちなく声をかける。

 改めて見ると、精悍で中性的な顔立ちの女性だ。年齢は恐らくロザリーと同じか少し年下ぐらい。すらりと背が高く、騎士団の制服がとてもよく似合っている。近衛兵団の制服ではないのに、王子に同行したということは、恐らく彼女もロザリーと縁のある人物だったのだろう。

 だが、ロザリーは彼女の顔も名前も思い出せない。

 ぎこちなく笑うことしかできないロザリーに、女騎士は静かな声で語りかける。

「私は、ポーラ・フリップ。第二騎士団の所属だ」

 そう言ってポーラは、右腕の袖を少し捲った。右腕の肘から手首にかけて縫合の痕がある。

「これを縫ってくれたのもロザリーだけど、覚えていない?」

「……ごめんなさい」

 ロザリーがゆるゆると首を横に振ると、ポーラは「そう」と短く相槌を打って、袖を直した。

 きっとロザリーと同じように口数の多い性分ではないのだろう。ポーラはしばし黙り込んでいたが、やがてキッと顔を上げると、まっすぐにロザリーを見て、口を開いた。


「ロザリーが事故に遭う前に……最後に会話をしたのが、私なんだ」

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