【7:アドルフ・ファロンの挑発】
恩師と姉弟子を見送ったルイスは、真っ直ぐに執務室へは戻らず、騎士団の詰め所へと向かう。
魔法兵団と騎士団の詰め所は隣接しているし、合同訓練をすることも多いので、ルイスが歩き回っていても、誰も見咎めたりはしない。
ルイスは正面玄関を潜らずに、そのまま建物に沿ってぐるりと裏手に回った。詰め所の裏側は半端に土地が余っていて、道というには広いが、庭というには手狭な印象だ。
隅の方には申し訳程度に背の低い木が植えられている。どことなく無骨で物寂しい印象だが、背が高い木は侵入の足がかりになりやすいから仕方がない。
少し歩くと、茂みの一部がぐちゃぐちゃになっている箇所があった。
視線を茂みから上の方へ向ければ、四階まである騎士団詰め所の屋上の手すりが見える。
ルイスは茂みから詰め所に向かって一定の歩幅で歩く。一歩、二歩、三歩…………七歩目のところで丁度詰め所の壁とぶつかった。ルイスは「ふむ」と呟き、乱れた茂みに目を向ける。
ここが、ロザリーが転落した本当の現場だ。
ロザリーはあの屋上の手すりを乗り越えて、転落した。階段から落ちたというのは真っ赤な嘘である。
(……ロザリーを害することで得をするのは、七賢人候補の三人だけ)
もしロザリーが事故死したら、当然ルイスとの婚約の話も無くなる。
そうなれば〈治水の魔術師〉の推薦が消えて、ルイスは七賢人の選抜で不利になるだろう。
(そういえば、今回の七賢人候補は全員、得意属性が風でしたね)
人は誰しも得意とする属性がある。最もオーソドックスなのは火、水、風、雷、土の五つだ。
引退する〈治水の魔術師〉は水を得意属性としているが、別に彼の後釜が水属性である必要は無い。
中には複数属性を得意とする者もいるので、七賢人内で余程の偏りが無い限り、属性はそこまで重要視されないのだ。
それよりも今重要なのは、ロザリー転落事件で最も疑わしい三人が、風の魔術の使い手だということである。
〈飛翔の魔術師〉ウィンストン・バレットは飛行魔術を使いながら、他の魔術を同時展開するだけの実力がある。つまり、空中からロザリーを狙うことができる。
〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは無詠唱魔術の使い手だ。物陰に隠れてこっそりと風の魔術を発動し、ロザリーに気づかれることなく魔術で攻撃ができる。
〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは遠距離風魔術の使い手だ。離れた別の建物からロザリーを狙うことも……
そこまで考えて、ルイスは溜息を吐き、ゆるゆると首を横に振る。考えだすとキリが無い。
そもそも他に犯人がいる可能性もあるのだ。それこそ、この三人の候補者を支援する誰かである可能性も捨てきれない。
我ながら焦っている、とルイスは片眼鏡を外して、軽く眉間を揉む。
「よぉ、こんなところでサボりか? 魔法兵団の団長様よぉ?」
ルイスの背後から悪意たっぷりの声が聞こえた。
だが、ルイスは振り向くことなく、ハンカチを取り出して片眼鏡をキュッキュと拭う。
「おい! 聞いてんのか!」
背後の人物が声を荒げるが、ルイスはやはり振り向かずに片眼鏡を拭い続けた。
「どうやら私は疲れているようですね。なにやら耳障りな幻聴が……」
独り言にしては大きい声で呟いて片眼鏡をかけ直すと、ルイスは背後をちらりと見て、さも驚いたような表情を浮かべた。
「おや、なんと幻覚まで」
「ふざけんなよ、ルイス・ミラー!」
眉を釣り上げて喚き散らしているのは、短い黒髪の男だった。深緑色のローブを身にまとい、手には美しい宝石が飾られた杖を握りしめている。
ルイスは慇懃な態度で腰を折った。
「これはこれは、ご機嫌よう〈風の手の魔術師〉殿」
〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロン。
七賢人候補の一人であり、ルイスとはミネルヴァの同級生だ。
アドルフは威嚇する猫のように目をギラギラとさせてルイスを睨んでいたが、すぐに怒りの形相を引っ込めると、余裕の笑みを浮かべた。
「よぉ、魔法兵団団長殿。こんな時間に仕事もせずにブラブラしてるなんて、良い身分だなぁ?」
「はっはっは。えぇ、そうなんです。私、とても良い身分でして……なにせ、魔法兵団団長ですからねぇ?」
ルイスは爽やかな笑みを浮かべつつ、灰紫の目で冷ややかにアドルフを睥睨した。
「……それで? 魔法兵団の人間でも、騎士団の人間でもない貴方は、こんなところで何をしておられるのです? ……あぁ、もしかして迷子? それは恥ずかしい」
「ちっげぇよ! お前がこっちに来るのが見えたから、同級生のよしみで声をかけてやろうとだな……」
「迷子のアドルフ・ファロン殿、お帰りはあちらです」
ルイスがニッコリと門の方角を手で示せば、アドルフはいよいよこめかみに青筋を浮かべた。
「……随分と執拗に、俺を遠ざけたがるじゃねぇか。ルイス・ミラー。事故の調査の邪魔するなってか?」
「私は親切で言っているのですよ。このままだと、貴方は騎士団詰め所の敷地に不法侵入したことになってしまう」
ルイスは目の笑っていない笑顔で、半音低く告げた。
「『今だけは、見逃してやる』と言っているのですよ」
「…………」
上から目線で、情けをかけてやると言わんばかりのルイスの態度に、いよいよアドルフも殺気を隠そうとしなくなった。昔からこの男は血気盛んなところがある。
「……七賢人の座は、俺が貰うぜ」
「自信家なのは、昔から変わらないのですね……実力が伴っているかはさておき」
「さておくな! 実力も伴ってるっつーの! あちこちに媚び売って回ってるお前とは違うんだよ!」
「私のは人徳と言うのですよ。ご自分が人徳が無いからって、僻みは見苦しいですよ?」
ここまで言えば、いつものアドルフなら顔を真っ赤にしてギャンギャンと喚き散らすところである。
ところが今日の彼はグッと言葉を飲みこむと、不敵な笑みを浮かべた。そうして高慢に顎を持ち上げ、ルイスを見下ろす。
「……後ろ盾があるのは、お前だけだと思うなよ」
「ほぅ?」
後ろ盾の存在をちらつかせるアドルフに、ルイスはどこまで探りを入れるか思案する。
……が、その思案は全て無駄になった。
「しーーーーーーしょーーーーーーうーーーーーーー!!」
なんとも馬鹿でかい声を張り上げて、上空から弟子のグレンが飛んできたからである。
最近教えたばかりの飛行魔術でピューンと元気良く飛んできたグレン青年は、そのまま減速することなく、一直線に墜落して、華麗に頭から着地を決めた。
「ふぎゃんっ!」
勢い余ってゴロゴロと転がったグレンは、それでも頭を抱えて涙目で起き上がる。
首や頭の骨が折れてもおかしくない勢いだったが、飛行魔術は周囲に風の膜を纏う術だ。その風の膜がクッションがわりになったのだろう。
だが、金茶色の髪は泥で汚れて見る影もない。まるで泥の中を転げ回った犬のようである。
「師匠、酷いっす! こういう時は助けてほしいっす!」
涙目で主張する弟子をルイスは鼻で笑う。
「馬鹿おっしゃい。あんなの受け止めたら、私が怪我をするでしょう」
「そこはほら、魔法でチョチョイと……」
「短縮詠唱でも間に合いませんよ、馬鹿弟子」
グレンの様子を見つつ、ちらりと視線を周囲に向ければ、いつのまにかアドルフの姿はなくなっていた。どうやら、今の騒動の間にコソコソと逃げ出したらしい。
アドルフがほのめかしていた「後ろ盾」の追及は、またの機会になりそうだ。
やれやれと溜息を吐きつつ、ルイスは弟子をちらりと見る。
「それで? なんで、お前は騎士団詰め所の上空なんぞをかっ飛んでいたのですか。また私が、騎士団団長から小言を言われるでしょうが」
「あっ、そうだ、俺、師匠を探してて! 師匠にお客様なんっスよ!」
「わざわざ空を飛んで探しに来るぐらいには、重要人物なのでしょうね?」
つまらない客だったら容赦しないぞ、という圧を滲ませて問えば、グレンは「そりゃもう!」と自信満々に頷いた。
「王子様っス!」