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【6:ギディオン・ラザフォードの追及】

 目の前にずらりと並ぶ竜の討伐指令書に、王国魔法兵団団長ルイス・ミラーは美しい顔をしかめて、息を吐いた。

「今年はまた、随分と竜害が増えましたねぇ。昨年の倍近いではありませんか」

 派遣する魔法兵団の人員構成やら、訓練の日程の変更やら、考えるべきことが多くて実に嫌になる。

 ルイスがげんなりとしながら、インク壺に羽ペンを突っ込むと、副団長のロバート・アンダーソン(四十二歳、妻子持ち)は意外そうな顔で、つぶらな目を丸くした。

「意外ですな。団長殿は、以前は嬉々として……ゴホン、率先して竜討伐に参加していると伺いましたが」

 アンダーソン副団長の言う通り、二、三年前のルイスは自ら志願して、竜の討伐に参加していた。

 ここしばらく大きな戦争の無いリディル王国では、騎士団や魔法兵団が戦う相手と言えば、もっぱら人里を荒らす竜である。

 凶暴な竜の討伐は命懸けであるが、成功すればそれに見合うだけの報酬と名誉が得られる。

 一口に竜と言っても種族は様々だが、知性が低い竜を下位種。人語を理解し、高度な魔法を扱う者を上位種と呼ぶ。

 更に上位種の中でも百年以上生きた個体が「古竜」

 上位種の中でも明確な意思を持って、人間を害するものが「邪竜」

 リディル王国では、邪竜認定された竜を討伐した者には、邪竜殺しの勲章が与えられるのだ。

 そして、ルイス・ミラーは既に邪竜殺しの勲章を二つも貰っている。

 邪竜以外でも、下位種、上位種含めればその討伐数は三十を超えるため、兵団の間では「竜殺し」という物騒な二つ名で呼ばれることもしばしばだった。

 ルイス・ミラーがこの若さで魔法兵団団長に就任したのも、その実績故にだ。

 なお、ルイスが最も得意とするのは結界術であり、魔術師協会に登録されている二つ名も〈結界の魔術師〉である。

 結界術というと、防御が主体というイメージが強いのだが、暴れる竜を結界で閉じ込め、結界内にありったけの攻撃魔術を叩き込むという凶悪極まりないルイスの戦い方は、今でも兵団の語り草であった。

「別に、嬉々として討伐に参加していた訳ではありませんよ」

 ルイスが率先して討伐作戦に参加していたのは、彼のような駆け出しの若造が名声を得るのに、一番手取り早い手段だったからだ。

「今は少しでも婚約者のそばにいたいので、長期遠征は避けたいのです。家族をお持ちの貴方なら、分かるでしょう? アンダーソン副団長」

 ルイスがそう言葉を返せば、アンダーソン副団長はデレデレとした顔で「いやはや、まったくその通りで」と頷いた。

 ロバート・アンダーソン副団長は、つぶらな瞳と薄い頭とぽよんとした腹がトレードマークの中年である。

 ……が、十代で情熱的な恋をして結婚をした彼は子宝に恵まれ、現在四十二歳で既に孫が三人いる、おじいちゃんでもあった。

 魔術師としての才能は突出しているわけではないが、人が良く部下想いの男である。なにせ年下の上司であるルイスに対してもこの腰の低さだ。

「そういえば、婚約者さん……お怪我の具合はいかがですかな?」

 ロザリーの容態を気にするアンダーソン副団長の声には、様々な含みがあった。

 ロザリーの転落は事件だったのか、事故だったのか。

 事件だとしたら犯人の目星はついているのか。

 そして何より、ロザリーが怪我をしたことによって、七賢人の選考に影響が出たのかどうか。

 ルイスはそれらの含みに目を瞑り、予め用意しておいた答えを口にした。

「結構な重傷です。しばらく仕事に復帰するのは難しいでしょう」

「そうですか……一日も早い回復をお祈りいたします」

「ありがとうございます」

 丁寧に礼を述べながら、ルイスは思案する。

 ロザリーの件はハウザーに口留めしているが、それでも噂は広まるものだ。

 ロザリーが怪我をした理由を知ったら、彼女の父〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデはどんな反応をするだろうか。彼女の父には手紙を出しているが、未だ返事は無い。

 ロザリーとの婚約が決まった時点で〈治水の魔術師〉は、七賢人の後任にルイスを推薦することを約束した。だが、もしも将来の息子が自分の娘も守れないような男だと思われたら……推薦の取り消しは大いにあり得る。

 もとより〈治水の魔術師〉が推薦したところで、必ずしもルイスが選ばれるというわけではない。七賢人は強い政治的発言力を持つので、国内の有力貴族や、七賢人を含む魔術師界の重鎮が議論して選出するのだ。

(……現在の七賢人候補は、私を含めて四人)

 飛行魔術の天才で、風魔法による長距離飛行の最長記録を持つ〈飛翔の魔術師〉ウィンストン・バレット、二十八歳。

 無詠唱魔術の使い手である天才少女〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレット。十五歳。

 超遠隔・遠距離風魔術の天才であり、ルイスとは同級生で自称ライバルの〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロン。二十五歳。


 〈飛翔の魔術師〉は地方貴族が強く推薦している。ここ数年、有事の際に伝令で活躍した実績も申し分ない。

 〈沈黙の魔女〉は、弱冠十五歳の身で、国内最高峰の魔術師育成機関ミネルヴァを飛び級で卒業した天才だ。しかも在学中に、現存するほぼ全ての魔術式を解読し、新たに二十以上の魔術式を開発。挙げ句の果てには無詠唱魔術までマスターしたという。才能という点で突出しているのは、間違いなく彼女だろう。

 ただ、彼女は十五歳という年齢がネックだ。いずれは七賢人になる逸材だが、今期の選出では年齢を理由に見送られる可能性が高い。

 〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは、魔術師としての格は前述の二人には遥かに劣る。超遠隔操作の魔術の腕は見事だし、竜の討伐実績もあるが、それでもルイスには遠く及ばない。なお、アドルフはルイスと同級生で、ミネルヴァに在学中、何かと因縁をつけてきた面倒な相手でもある。


 ルイスとしては、やはり一番手強いのは〈飛翔の魔術師〉だ。

 特に〈飛翔の魔術師〉は地方の有力貴族達の支援が根強い。彼の飛行魔術による長距離移動の汎用化を最も切望しているのは、王都から離れた土地の貴族達だからだ。

 飛行魔術は難易度が高く、誰にでも使えるものではない。だが、彼が飛行魔術の制御をより確実にする術式を開発すれば、国内の交通手段を発展させることができる。

 それこそ、ルイスが今朝やったように、空を飛んで移動することが誰でも簡単にできるようになったら、それは間違いなく大きな利益になるだろう。

(だが、実績という点では私も負けていない)

 近日、七賢人選抜のための面接が行われる。この時のために、ルイスはうんざりするほど竜を退治してきたのだ。

 更にルイスは得意の結界術を活かし、大教会などの歴史的建築物や王宮に防御結界を張る仕事もしている。

 また、彼が団長を務める魔法兵団は、練度が極めて高いと各国からも評判だ。

 高位精霊と契約しているという点も高く評価されるだろう。くだんの高位精霊は結構なポンコツだが、黙っていればバレやしない。

 ともかく、実績に関しては申し分ないのだ。他の候補者を圧倒していると言ってもいい。

 それでも常に小さな不安が、ルイスの頭にこびりついて離れない。


 ……不安の原因は、ロザリーだ。


 屋敷には各種結界も張ってあるし、リンがついている。

 それでも、ルイスは不安で仕方がないのだ。

(……手元に置けば、安心できると思っていたのに)

 物憂げな顔で思案に耽っていると、扉がノックされて部下が入ってきた。

 あぁ、またうちの馬鹿弟子が何かをしでかしたのだろうか、とルイスは眉を寄せる。

 はてさて今日は、訓練場に大穴を開けたのか、地面にめりこんだのか、池を丸ごと凍らせたのか。

 ロザリーが怪我をした日から、グレンは比較的大人しくしているのだが、そろそろ何かをやらかす頃合いではないかと思っていたのだ。

 だが予想に反して、部下はルイスに来客があることを告げる。

 アンダーソン副団長がつぶらな目をパチパチさせて、部下とルイスを交互に見た。

「この時期に来客ということは、七賢人選抜絡みかね?」

「はい、アンダーソン副団長の仰る通り、来客はミネルヴァの教授〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォード様と、元七賢人〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル様です」

 来訪者の名前に、ルイスは概ね予想通りだと目を細める。

「師匠と姉弟子殿ですか。分かりました。すぐに応接室に向かいます」

 さぁ、ここからが正念場だと、ルイスは気合を入れて立ち上がる。

 そして普段は面倒くさがって持ち歩かず、壁に立てかけたままにしている杖をしっかりと握りしめた。



 * * *



 応接室には白髪の老人と、茶髪の女がソファに座ってルイスを待っていた。

 どちらも一目で魔術師と分かるようなローブを身につけており、手には杖を携えている。

 老人は白髪を短く切り揃えており、髭は生やしていない。決して大柄ではないが、背筋がピンと伸びているので、か弱い老人という印象は無かった。寧ろ、太い眉毛の下のヘーゼルの目は猛禽のように鋭い。

 彼こそがルイスの師匠であり、ミネルヴァの教授〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードである。

「俺を待たせるたぁ、良い度胸じゃねぇか、クソガキ」

「ご無沙汰しております、ラザフォード先生、カーラ殿」

 ラザフォードの悪態に怯むことなくルイスが礼をすれば、隣に座る女が陽気に「久しぶりー」と片手を振って笑った。

 こちらは癖のある髪を首の後ろで括った、化粧っ気の無い女だ。身につけているローブも裾を引きずるような物ではなく、こざっぱりとしている。

 彼女が〈星槍の魔女〉カーラ・マクスウェル。ルイスの姉弟子にあたる魔術師であり、元七賢人でもある。

 ちなみに見た目は二十歳ぐらいに見えるが、実際は二十五歳のルイスよりも幾らか年上だ。

「うちらが来た理由は、薄々察してると思うけど、七賢人選抜会議のために、こっちに呼ばれてさ。昨日、王都に到着したから、あんたに挨拶しとこうと思ったのさね」

「遠路遥々ようこそおいでくださいました。心より歓迎いたします」

 はすっぱな喋り方のカーラにも、ルイスは丁寧な態度を崩すことはない。

 だが、その態度にラザフォードは「けっ」と不快そうに呟き、懐から煙管を取り出して咥えた。

「随分と腰が低いじゃねぇか、クソガキ」

「それはもう、尊敬するラザフォード先生が来てくださったのです。歓迎するのは当然のことでしょう」

「媚び売っても、てめぇを贔屓はしねぇぞ?」

「ははは、そんなこと、これっぽっちも」

「思ってんだろ、クソガキ」

 ラザフォードはギロリとルイスを睨むと、口の中で短く呪文を唱える。咥えた煙管の先端にポッと赤い火が灯り、やがて白い一筋の煙が立ち上った。

 ルイスは杖を手にしたまま、品良く向かいの席に座る。話し合いの場に杖など邪魔なだけなのだが、この頑固な老人は杖を携帯していないとすぐに怒るのだ。

 くだんの頑固な老人ラザフォードは、紫煙を吐き出しながらボソリと呟いた。

「お前、立場やべぇぞ」

「……と、仰いますと?」

「〈治水の魔術師〉の娘が事故ったんだろ。婚約者は何してんだ、って反発してる奴がチラホラいる」

 ルイスは顔に貼り付けていた笑みを引っ込めると、眉を下げて悲しげに首を振る。

「えぇ、仰る通りです。全ては私の力不足故に……」

「心にもないこと言ってんじゃねぇ」

 紫煙と同時に悪態を吐いて、ラザフォードは嫌そうに鼻の頭に皺を寄せる。そうして、ゆっくりと味わうように煙を吸い、器用に輪っかの形の煙を吐いた。

 その様子を眺めながら、ルイスは穏やかに訊ねる。

「ラザフォード先生は、選考結果はどのようになるとお考えですか?」

「……お前か、〈飛翔の魔術師〉のどちらかだろうな。〈風の手の魔術師〉は力不足。〈沈黙の魔女〉は本物の天才だが……十五歳の小娘が七賢人になったら、貴族どもは良い顔をしないだろうよ」

 七賢人は政治的発言力を有する存在である。即ち、七賢人になれば女性でも政治に関与することができるのだ。

 長い間、女性の社会的地位は男性より劣るとされてきたが、現国王が即位してからは、各分野における女性の社会進出が進みつつある。ロザリーが女性ながら軍医になれたのも、そのためだ。

 特にリディル王国の歴史上では優秀な女性魔術師が多いため、魔術の分野は比較的女性が進出しやすい分野とも言える。

 しかし政治的局面では、まだまだ女性の発言力は強くない。特に自分の地位に固執する貴族であれば尚のこと、女性を政治から排除したがる傾向にあった。

 だからこそ貴族の中には、女性が七賢人になるのを良く思わない者が多いのだ。

「あー、分かるわ、それ。うちも結構な嫌がらせされたもん」

 ルイスの姉弟子であり元七賢人のカーラが、苦い顔でウンウンと頷く。

「七賢人なんて、なっても良いことなんてないさね。禁書の閲覧権利は便利だけど」

 ぼやくカーラに、ラザフォードも煙管を口元から外して頷く。

「あぁ、まったく同感だ。権力なんざロクなもんじゃねぇ」

 ラザフォードもまた、七賢人候補として推薦されたことが何度かあるらしい。だが、彼は頑としてその推薦を拒んでいる。権力というものが嫌いな人なのだ。

 ルイスは師と姉弟子の言葉を胸に刻みつつ、二人に美しい笑みを返した。

「お気遣いありがとうございます。ですが、もう決めたことですので」

「……そのために、女を一人、不幸にしてもか?」

 ラザフォードの言葉に室内の空気が凍る。

 ルイスは片眼鏡の奥で灰紫の瞳を底光りさせながら、唇に薄い笑みを乗せた。

「何のことか、分かりかねますな」

 ラザフォードは苦虫を噛み潰したような顔で「クソガキが」と吐き捨てたが、それ以上は何も言わなかった。


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