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【ぼくらのアルコール戦争(前編)】

 魔術師養成機関ミネルヴァの学生であるロザリー・ヴェルデが、いつも溜まり場にしている空き教室に行くと、友人のライオネル・ブレム・エドゥアルト・リディルがロザリーの顔を見て、声をあげた。


「ロザリー! 丁度良いところに来てくれた! ルイスを止めてくれ!」


 ライオネルはその名が示すとおり、このリディル王国の第一王子である。

 そんなライオネルにも止められない問題児は、床に座り込んでなにやら黙々と作業をしていた。

 ルイス・ミラー。このミネルヴァで最も優秀で、最も素行に問題のあるその生徒は、大量のガラス瓶に透明な液体を詰める作業をしている。

 その横顔は大変整っていて、黙っていれば美少女めいて見える美しい少年だ。

 だが手入れをしていない短い栗毛はパサパサで艶がなく、アカギレだらけの手は、喧嘩でできた殴りダコと小さな傷だらけでボロボロ。

 おまけにその横顔は見るからに不機嫌そうで、灰色がかった紫色の目はギラギラと剣呑に輝いていた。

「……今度は、何をやらかしたの?」

 ロザリーが訊ねると、ルイスは不機嫌そうに「あぁん?」と下唇を突き出し、ロザリーを見上げる。

 大変物騒かつ凶悪な面構えだが、ロザリーは気にすることなくルイスを真っ直ぐに見つめ返した。

 ルイスは舌打ちを一つして、短い栗毛をガリガリとかく。

「まだ、何もしてねぇよ」

「……つまり、これから何かしようとしているわけね」

 ロザリーは事情の説明を求めるようにライオネルを見る。

 ライオネルは大柄で厳つい顔だが、誰よりも心優しい王子様である。そんな彼は持ち前の誠実さで、ルイスの暴走を止めようとしているらしかった。

「ルイスよ、落ち着け。早まるな」

「俺は冷静だ。冷静にぶち切れている。ラザフォードのジジイめ……こっちが下手に出りゃあ、つけ上がりやがって」

「お前がいつ下手に出たと言うのだ」

「うっせぇ」

 ルイスの言葉遣いはとても王族に対する口の利き方とは思えない。それでもライオネルは気を悪くした様子もなく、真摯に友人を諭そうとしている。

 二人のやりとりを聞いていたロザリーは、ルイスの言葉から大体の事情を察した。

「……ラザフォード先生と何かあったのね?」

「うむ、今朝、抜き打ちで持ち物検査があっただろう?」

「あったわね」

 ロザリーが頷くと、ライオネルは鼻からフンスと息を吐いて、ルイスを見た。

「そこで、ルイスの荷物から大量の酒瓶が見つかった」

「…………」

 リディル王国ではアルコール度数の低いワインや麦酒などは十六歳の準成人から、度数の強い蒸留酒などは二十歳の成人から飲んで良いとされている。

 おそらく、ルイスが所持していたのは、馬鹿みたいに度数の強い酒だったのだろう。

 そもそも度数が低ければ良いというものでもない。ここは魔術師養成機関ミネルヴァ。神聖な学舎なのだ。酒瓶など没収されて当然である。

 だが、ルイスは納得いかないとばかりに不貞腐れていた。

「俺の地元じゃ、水より酒の方が安全なんだよ」

 リディル王国は他国よりも治水事業が進んでおり、ここ数十年で上下水道がかなり発展している。

 だが田舎の方はまだ整備が行き届いておらず、水よりも酒の方が安心して飲めると考える者も少なくなかった。ルイスもその一人だ。

 特にリディル王国北部の寒村で育った彼は、寒い日は暖炉に火をつけるより酒を飲んだ方がてっとり早いと考えている節がある。

 ここ数日は特に冷え込んだから、体を温めるために彼は酒瓶を持参していたのだろう。

 ロザリーは眉間に手を添えて、溜息をついた。

「そんなの没収されて当然だわ……で、ラザフォード先生にお酒を没収された不良さんは、何をしようとしているの?」

 ルイスはガラス瓶の一つを持ち上げると、チャプチャプと揺らしながら口の端を持ち上げた。

 黙っていれば少女めいた美しい顔に浮かぶのは、悪巧みをする不良の笑み。

「今夜、ジジイの研究室に忍び込んで、没収された酒瓶と、この瓶をすり替える」

「……その瓶の中身は」

「下剤入りの水だ。どーせジジイどもは、俺から巻き上げた酒で酒盛りするつもりなんだろ。こいつで腹くだして、のたうち回りやがれ、ジジイども」

 ルイス・ミラーはやられたら倍返しが信条の男である。

 ミネルヴァでは田舎出身のルイスを馬鹿にし、苛めようとする人間が何人もいた。だがルイスに喧嘩を売った者はもれなく全員返り討ちに遭っている。

 昨日もルイスを女顔だと馬鹿にした同級生が、裸で木から逆さ吊りにされているのを、ロザリーは目撃していた。

「ルイス、ミネルヴァの飲み水は安全だと前にも言ったはずよ。飲料水がわりのアルコールは必要ないわ」

「水道なんて信用できるか。お前は水であたったことがないから、そういうことが言えんだよ」

「………………そう」

 ロザリーはいつもより低い声で呟くと、無表情にライオネルを見た。

「これ以上の会話は時間の無駄だわ。殿下、放っておきましょう」

「む、だが、ロザリー」

 ライオネルは何か言いかけたが、ロザリーが漂わせる冷ややかな空気に気づくと口をつぐむ。

 ロザリーは「行きましょう」とライオネルを促し、その場を立ち去ろうとした。

 そんなロザリーの背中にルイスが声をかける。

「ロザリー、ちょっと待て」

 ロザリーが足を止めて振り向くと、ルイスは身軽に立ち上がり、至近距離からロザリーの顔を覗き込んだ。

 黙っていれば美しいと称される顔が、美しい灰紫の目が、すぐ目の前にある。

 ロザリーが動揺し、立ち尽くしていると、アカギレだらけの指がロザリーの頬をかすめ、横髪を留めていたピンを一本抜き取った。


「借りるぜ。鍵開けの役に立つ」

「………………」


 ニヤリと笑う悪ガキに、ロザリーは過去最高に冷ややかな一瞥を投げかけた。


「精々痛い目にあうといいわ。ミネルヴァの悪童さん」

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