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【23:モニカ・エヴァレットの悲哀】

 〈沈黙の魔女〉モニカ・エヴァレットは、玉座の大広間に最も近い控え室で、膝を抱えてカタカタと震えていた。

 彼女が身につけているのは、濃紺に金糸銀糸の刺繍を施した豪奢なローブ……これは、七賢人のみが着ることを許される、儀礼用の衣装であった。

 そして、椅子の上で膝を抱えているモニカの向かいの席では、同じ濃紺のローブを身につけた〈結界の魔術師〉ルイス・ミラーが余裕の態度で紅茶を飲んでいる。

 引退する〈雷鳴の魔術師〉〈治水の魔術師〉と入れ替わりで七賢人就任が決まったのは、モニカとルイスの二人であった。

 〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンは、〈治水の魔術師〉の娘、ロザリー・ヴェルデ殺人未遂の罪で投獄されている。

 動機は、同じ七賢人候補であったルイス・ミラーの失脚。

 アドルフが全てを自白すると、〈風の手の魔術師〉を支援していた貴族達は、いっせいに彼を見限り、無関係を貫いた。

 アドルフ・ファロン捕縛には、第一王子のライオネル殿下が現場を仕切っており、さしものクロックフォード公爵も捜査に介入しづらかったのだろう、というのが〈紫煙の魔術師〉ギディオン・ラザフォードの見立てである。

 ラザフォード老は煙管をふかしながら「ライオネル殿下が盾にならなけりゃ、クロックフォード公爵はアドルフ・ファロンを証拠不十分で釈放させて、逆にルイス・ミラーを傷害の罪で訴えていただろうよ」と他人事のように語っていた。

 貴族怖い。権力者怖い。できれば関わり合いになりたくない。だが、今日からモニカは七賢人に──つまりは、伯爵相当の位を持つ魔法伯になるのだ。かつて〈ミネルヴァの悪童〉と呼ばれた男、ルイス・ミラーと共に。

 次期七賢人に決まってからというもの、モニカの日常は一転し、毎日目が回るほど忙しかった。

 特に大変だったのが式典のリハーサルだ。なにせモニカは式典慣れしていないどころか、人前では声を発することすらろくにできない極度の人見知りである。本番でないにもかかわらず、モニカは膝があざだらけになるまで転びまくり、心身衰弱で胃の中身を三回ほど床にぶちまけた。

 一方、魔法兵団の団長を務めていたルイス・ミラーは当然に式典慣れしていた。発声も姿勢も歩き方も、モニカとは比べ物にならない。

 最終的に、式典慣れしているルイスがモニカのことを徹底的に指導して、今日に至る。

 ルイスの式典指導は、思い返せば、とにかく恐ろしいの一言に尽きた。

 そもそも彼は魔法兵団でも「優男の皮を被った超絶武闘派」「黙っていれば貴公子、口を開けば鬼畜」で有名な男である。

 式典のリハーサル中にモニカが猫背になれば、ルイスは「背筋を伸ばしなさい」と容赦なく背中に木の板を捻じ込み、歩き方がふらつけば「お前の歩みは、足のもげた虫以下です」と罵倒し、もういやです無理です勘弁してくださいと泣き言を言えば、胸ぐらを掴んで頬をひっぱたき、ドスの利いた低い声で「やれ」の一言である。

 恐ろしい日々を思い出してモニカが震えていると、超絶武闘派の鬼畜が、紅茶のカップをソーサーに戻してモニカを見た。

「大丈夫ですか〈沈黙の魔女〉殿。陸に打ち上げられた魚のような顔をしていますが」

 あなたとの訓練を思い出して震えていました、と正直に言えるはずもなく、モニカは無言でぶんぶんと首を振った。

「はひ……だっ、い、じょぶ、です……」

 極端にどもると容赦なく胸ぐらを締め上げられるので、モニカは途切れ途切れになりつつも、必死で声を絞り出す。

 ルイスはやれやれと言わんばかりに、ため息を吐いた。

「そのように緊張せずとも、貴女のすることなんて、名前呼ばれたら前に出て、陛下から杖受け取って『拝命いたします』と一言言うだけではありませんか。それ以外の挨拶の類は、全て私がやるのですよ?」

 過去の記録を遡っても、七賢人が複数人同時に入れ替わるという事態は、実はそれほど多くない。

 故にルイスはそれを逆手にとって、挨拶の類はまとめてルイスがする流れになるよう、式典担当の貴族と交渉をしていた。

『午前の式典が長引いては、午後のパレードに影響が出るでしょう? 冬は日が沈むのが早いので尚のこと……式典は余裕をもって終わらせるべきだと思いませんか?』

 といった具合にルイスは担当者を言いくるめて、モニカの挨拶を大幅にカットしたのである。

 なので、式典でモニカがすることと言えば、杖の拝受だけだ。

 名前を呼ばれたら前に出て「拝命いたします」と一言言って、国王から杖を受け取る。ただそれだけでいい。

 それだけでいいのだが、リハーサルよりも人が多いのだと思うと、やっぱり胃がグルグルしてくる。

 モニカがうーうーと呻いて腹を押さえていると、ルイスが眉をひそめた。

「本番で吐くのはやめてくださいね?」

「……は、吐かないようにしようと、思って……朝ご飯抜いてきたら、逆に……お腹が……減って……」

 そこでモニカは思い出した。そう言えば、昨日の夜も緊張してご飯を食べるのをうっかり忘れていたような気がする。

(……あれ、最後にご飯食べたの……いつ、だっけ……)

 ようやく空腹を思い出したかのように、モニカの腹がぐぅぅぅぅと音を立てて鳴った。

 慌てて腹を押さえれば、ルイスは悲痛な顔で眉間に皺を刻む。

「……式典でその音は、さぞ響くでしょうねぇ」

「うぅ、すみ、すみみっ、すみま、せ、ん……」

 腹を押さえて蹲るモニカに、ルイスはやれやれと息を吐き、懐から小さな包みを取り出した。

「仕方ありませんねぇ。特別に、私の婚約者が焼いてくれた菓子を分けてあげましょう」

 そう言ってルイスは包みを開いてテーブルに乗せる。モニカは礼を言って、ありがたく焼き菓子をつまむことにした。

 焼き色の濃いそのクッキーは、簡単には噛み砕けないほど固い。それでもバリボリと咀嚼すれば、小麦と練り込んだ木の実の素朴な風味が口いっぱいに広がった。

 決してまずいわけではないのだが、美味しいとも言いづらい微妙な味である。

「……これ、あんまり甘くないですね」

「私のロザリーが作った物に何か不満でも?」

「いえっ、め、滅相も、ありませんっ」

 モニカは顎が痛くなるほどクッキーを咀嚼し、飲みこむ。

「飲み物は?」

「くっ、くださ……い」

「どうぞ」

 ルイスは自然な仕草で、携帯用の酒の小瓶を取り出してモニカに差し出した。

 うっかり受け取ってしまったモニカは、瓶のラベルを見て目を剥く。

 リディル王国では、ワインと麦酒の類は十六歳から。それより度数の強い酒は十八歳からと定められている。

 ルイスから差し出された酒は見るからに強そうな蒸留酒だ。十五歳のモニカが飲んで良い代物じゃない。

「こっ、ここ、これ、お、お酒」

「こんなの水のようなものでしょう?」

 〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデが、治水事業と並行して上下水道の整備をしたおかげで、リディル王国の都市部における飲み水の安全性は飛躍的に向上している。

 だが、田舎の方では、まだ完全な整備がされておらず、病原菌だらけの水より、酒を日常的に飲用している地域は珍しくなかった。

 ルイスは国境沿いの貧しい村の出身と聞くし、モニカが水を飲むような感覚で酒を飲んでいてもおかしくはない。

「も、もしかして……ミネルヴァの寮にお酒を持ち込んだのも……そのため?」

「それもありますが、私の故郷では暖をとるなら、薪を買うより酒を買って飲む方が、遥かに安上がりだったのですよ」

 モニカは市井の出ではあるが、比較的都市部に住んでいたため、ルイスの育った環境はとても想像できない世界だ。

「……す、水道整備をした〈治水の魔術師〉様は……い、い、偉大だったん、ですね」

「えぇ、水道事業の発展で大勢の人間が救われました。あの方の功績は偉大なものです…………まぁ、七賢人の座を離れれば、ただの親馬鹿ジジイですが」

 〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは、ルイスの婚約者の父親でもあるのだということを、モニカは今更思い出す。

 いずれルイスは〈治水の魔術師〉の娘と結婚し、七賢人としての地位をより確固たるものにしていくのだろう。

 モニカは湯冷ましをちびちびと飲みながら、考える。

(……七賢人は、みんなすごい人ばっかり)

 ルイス・ミラーは魔術師として優秀なだけではない。部下の指揮をとることにも長けているし、貴族との交渉力もある。無論、戦闘にも長けており、遠征経験も豊富だ。

 研究所にこもってひたすら魔術式の計算をするしか能がないモニカは、ルイスと己を比較して落ち込んだ。

「〈沈黙の魔女〉殿」

 ルイスが酒瓶を懐にしまいながら、静かにモニカを呼ぶ。

「背中を丸めて俯くのはおやめなさい。貴女は魔法戦で私に勝利した、本物の実力者なのですよ」

「そ、そそ、それは、ぐっ、偶然……で……」

 モニカが体の前でパタパタと手を振れば、ルイスは目を細めて、物騒な笑みを唇に浮かべた。

「……この私が、偶然などという不確定要素に敗北したと?」

「ひぃっ」

「私は実力で貴女に負けたのです。そこを履き違えてもらっては困りますなぁ」

「ごっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいぃぃっ」

 モニカはヘコヘコと頭を下げると、涙目でルイスを見上げた。

 七賢人選抜の魔法戦で勝利したのはモニカだ。だが、モニカにはルイスの方がずっと優れているように見える。なんといっても、彼はいつだって堂々としていて自信に満ちているのだ。

「……どうして」

 モニカが小さく呟けば、ルイスが三つ編みを背中に流してモニカを見る。

 モニカはそんな彼の視線から逃げるように俯き、訊ねた。

「どうして、あなたは……そ、そんなに自分に自信が持てるんですか?」

 思い切って訊ねたモニカに、ルイスはちらりと目を向ける。

 そして、何かを思い出そうとするかのように、ほんの少しだけ目蓋を伏せた。

「ご存じかと思いますが、私はど田舎の寒村の生まれでしてね……雪以外何もない貧しい土地ですよ。寒すぎるので竜害は殆どないのですが、野犬や熊が多く、それだけでも充分に脅威だった」

 特に過疎化の進んだ地域ほど、派遣される騎士は少ない。騎士団の恩恵を受けるのは、いつだって王都と、城に多額の税を納めている裕福な土地なのだ。

「村に不満があるのなら、さっさと村を出れば良いではないかと思うでしょう? ですが、村を出て一番近くの街に向かうだけで、命の危機に晒される……そんな土地なのです。だから、誰も無理に村の外に出ようとは、しなかった。年に数人、村を出た者はいましたけどね。村に帰ってきた者なんて、一人もいなかった」

 村を出た者が新天地に腰を据えたからこそ戻らなかったのか、或いは旅の途中で命を落としたのかは、モニカには分からない。

 だが、ルイスの語り口から察するに、きっとその殆どが後者なのだろう。

「魔術の才能を見出され、あの閉塞的な村を出て、ミネルヴァまで辿り着いた私は、希望に満ちていました。ですが、いざミネルヴァに通い始めてみれば、親の権力を振りかざす馬鹿と、その馬鹿に媚びへつらうクズばかり」

 ミネルヴァは生徒の殆どが貴族の子息で、貴族の子がそうでない者を支配する構図が出来上がっている。モニカもまた、市井の出なので陰湿なイジメを受けたことは一度や二度ではない。

「あの時の私は、味方も、金も、教養もなく、才能以外何も持っていませんでした。だからこそ、自分の才能を信じるしかなかったのですよ」

 自分が同じ状況に置かれたら、同じように考えることができただろうか、とモニカはこっそり考える……が、やはり、どうしたってルイスのようになれる気はしなかった。

 モニカはルイスよりもほんの少しだけ、味方に恵まれていた。だから、こうして七賢人に選ばれたのだ。

「……やっぱり、ルイスさんは、すごい、と、思い、ます」

「えぇ、勿論。貴女に言われずとも存じております。私ってすごいんですよ」

「…………」

 肩透かしをくらったような顔をするモニカに、ルイスはすまし顔で言う。

「そのすごい私に参ったと言わせたのは、貴女が初めてです。胸をお張りなさい」

 いつのまにかモニカの体の震えは止まっていた。

 モニカは少しだけ眉を下げて、幼い顔に淡い笑みを浮かべる。

「わ、わたし……ちょっとだけ、ルイスさんのこと、怖くなくなった、かも」

「〈沈黙の魔女〉殿」

 ルイスは大真面目な顔を作り、真正面からモニカの顔を覗き込む。

「素敵な年上男性に憧れるのは、年頃の少女によくあることですが、私にはロザリーという婚約者がおりますので」

「いえあの、そこまでは言ってな……」

 その時、ドアがノックされ、使用人が声をかけてきた。どうやら、式典の準備が整ったらしい。

 ルイスは立ち上がり、にこやかな顔で言った。

「さて、冗談はこのぐらいにして、参りましょうか」

「……ひぃん」


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