【22:ルイス・ミラーの真実】
「ロザリー、大丈夫ですか…………ロザリー?」
ルイスに声をかけられて、ロザリーはハッと我に返った。石畳にへたり込んでいたロザリーの前で、ルイスが膝をついて心配そうにロザリーの顔を覗き込んでいる。
ルイスは白手袋に覆われた手をロザリーに差し伸べていた。その手をロザリーは無言で見つめる。
ルイスの背後では、泡を噴いて痙攣しているアドルフが衛兵に担架で運ばれていくところだった。そばにはライオネル殿下やグレン、それに何故かリンの姿も見える。
ロザリーがルイスの手を取るのを躊躇っていると、グレンが「ロザリーさぁぁぁぁん」と涙目で駆け寄ってきた。
「ロザリーさぁん、ごめんなさい……ロザリーさんの記憶を封印したの、オレなんっす。オレ、ロザリーさんに苦しんで欲しくなくってぇ……うっ、えぐっ……でも、師匠、本当はロザリーさんのこと……」
べそべそと嗚咽をあげるグレンの首根っこをルイスが片手で掴み、ロザリーから引き剥がした。
「……グレン、人の婚約者に鼻水つけるのやめてもらえますか?」
ルイスがグレンをポイッと放り捨てれば、今度はライオネルが苦い顔でルイスに話しかける。
「ルイスよ……少々やりすぎではないか。七賢人選考中に、同じ候補者に暴力をふるったとなると……選考そのものが見直しになるやもしれんぞ」
七賢人選考という言葉に、ロザリーはギクリと肩を震わせた。
そうだ、ルイス・ミラーは七賢人になりたいのだ。だから、ロザリーと婚約して……
「私は優先順位を間違えたりはしないのですよ」
ルイスは爽やかな笑みを浮かべ、担架で運ばれていくアドルフに一瞥を送る。
「人の女に手ぇ出した命知らずを、ブチ殺すのが最優先です」
「口調」
ライオネルが半眼でボソリと指摘すれば、ルイスはコホンと咳払いをし、言い直した。
「人の婚約者に手を出したならず者を、粛清するのが最優先です」
言い直したところで、物騒なことに変わりはないのだが、ライオネルはうむと一つ頷き、片手を挙げて衛兵を呼んだ。
そして衛兵に馬車を用意させると、ルイスとロザリーに馬車に乗るように促す。
本来なら、王族である彼が優先されるべきところなのだが、ライオネルはルイスとロザリーの肩を叩き、噛みしめるような口調で言った。
「お前達には、話し合いが足りなすぎる。馬車の中で二人で語り合え」
そう言ってライオネルが現場の指揮に戻れば、入れ替わりでリンがルイスに声をかける。
リンはスカートの裾をつまんで上品に一礼すると、口を開いた。
「愛に生きる男のルイス殿」
ルイスは頬をヒクリと震わせ、リンを睨む。
「お前は、いちいち主人をおちょくらんと気が済まないのですか」
「こういう時、使用人は空気を読んで席を外すものだと本で読みました。有能なメイド長の私はグレン・ダドリー殿を家まで送ります」
リンの提案に、ルイスは片眉を持ち上げて「ほぅ」と感心したような声を漏らす。
「お前にしては随分と気の利く提案ではありませんか。空気の読み方を覚えたようで何よりです」
「恐れ入ります。それでは、どうぞごゆるりと……なお、ロザリー様の勝負下着はタンスの上から二番目の引き出しです」
やっぱりいまいち空気の読めていないメイドの頭を、ルイスは無言で引っ叩いた。
* * *
馬車の中は、ガラガラと車輪の音だけが響いていた。気まずい沈黙の中、隣り合って座ったルイスとロザリーは何も言わず、足元に視線を落としている。
二人は〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロンの起こした傷害事件の取り調べを受けるため、城へと向かっているのだが、馬車の進みは酷くゆっくりとしていた。
市街地ということもあるが、恐らくはライオネルが気を利かせて御者に命じたのだろう。二人に話し合いの時間を与えるために。
「……記憶は、もう戻ったのですか?」
先に口を開いたのはルイスだった。ロザリーが「えぇ」と小さく頷けば、ルイスは深々と息を吐き、眉間に指を添える。
「……そうですか」
そして、また沈黙。
このまま口を閉ざし続けていれば、ルイスを拒むことができるだろうか……否、きっと無理だと、ロザリーは心の奥で自覚していた。
だって、どんなに彼が変わり果てた姿になっても、七賢人の位が目当でロザリーに近づいたとしても、かつて芽吹いた恋心は、もうロザリーの心に根を張ってしまっている。
だから、愛のない婚約だと分かっても、ロザリーは婚約を強く拒むことができなかったのだ。簡単に嫌いになれたら、苦労はしない。
「……どうして」
ロザリーは膝の上で拳をギュッと握りしめ、掠れた声で絞り出す。
「どうして、そこまでして七賢人になりたいの」
婚約などしなくとも、もしルイスが事情を話してくれたなら、きっとロザリーは彼に力を貸していただろう。
今の変わり果てた姿は、それなりにショックではあるけれど、それでもかつては友人だったのだ。
どうして突然、婚約なんて方法を選んだのか……それが理解できず困惑するロザリーに、ルイスは苦い顔をする。
「以前、あなたのお父上は、あなたを愛しておられると言ったことを、覚えていますか?」
「…………えぇ」
ロザリーが転落して、ルイスの屋敷を訪れた初日のことだ。
今のロザリーは全て記憶を取り戻しているけれど、それでもやはり、記憶の中の父は厳しい顔をしていて、その態度は素っ気なく、とてもロザリーを愛しているようには思えなかった。
「あなたのお父上は私に、七賢人に選ばれるぐらいの男でなければ、娘は嫁にやらん……と言ったんですよ」
「…………え?」
ルイスの言葉の意味をすぐに飲み込めず、ロザリーは混乱した。
だって、彼が言うことが本当なら……
七賢人を目指したから、ロザリーと婚約したのではなく、ロザリーと婚約したいから七賢人を目指したように聞こえるではないか。
いや、これはきっと、自分に都合の良い解釈だ。ロザリーが密かに己を叱咤していると、ルイスは苦々しげに言葉を続けた。
「ついでに、粗野な口調を直せだの、みっともない容姿をなんとかしろだの、散々注文をつけられました。挙げ句の果てには何て言ったと思います? 『ロザリーは王子様のような男と結婚するんだ!』……親馬鹿も大概にしろよ、あのジジイ」
ボソリと付け加えられた一言を誤魔化すかのようにルイスは咳払いをしたが、ロザリーはそれどころではなかった。
確かに幼い頃は「結婚するなら王子様みたいな人がいい」だなんて可愛らしいことを言ったような気がしないでもないけれど、それこそまだ十にもならない子どもの頃の話だ。
「だから、ライオネルに頼み込んで、貴族階級の人間の発音と教養を身につけたのですよ。それこそ、お父上が望む王子様仕込みの教養です。これなら文句はありますまい」
ルイスはすました顔をしているが、ロザリーはもう顔が火照ってしまい、上手く喋ることができなかった。
(だって、そんな、それじゃあ……)
ルイスの言うことが真実なら、七賢人を目指したのも、粗野な口調を直したのも、服装や髪型を変えたのも、全部全部……ロザリーと婚約するため、ということになる。
「……なんで、そこまで」
「貴女と結婚したかったからですよ」
「私の知ってるルイス・ミラーは、父の言うことなど無視して、結婚を強行するような人よ」
ルイスは上から押さえつけられると反発する性分だ。
もし父が「七賢人になるほどの男でなければ結婚を認めん」などと言おうものなら、
『じゃあ、七賢人のてめぇをぶちのめして、力づくで結婚を認めさせてやんよ』
と言って攻撃を仕掛ける姿が容易に想像できる。
なにせミネルヴァでは、喧嘩を売ってきた上級生をボッコボコに叩きのめして、跪かせた男なのだ。
ロザリーが大真面目にそう主張すれば、ルイスは少しだけ気まずそうな顔で頬をかき、ポツリと言った。
「……貴女は、お父上を尊敬しているし、心の底では慕っているでしょう」
ロザリーは思わず体を強張らせる。
一度もルイスの前でそんな話をしたことなんてないのに。どうして彼は知っているのだろう。
そんなロザリーの疑問に答えるかのように、ルイスは言う。
「お父上の期待に応えようと努力している姿や、医学の道に進むことに罪悪感を感じている姿を見れば一目瞭然ですよ……貴女はお父上の力になりたかったのでしょう?」
ロザリーが頷かずとも、肯定だとルイスは分かっているのだろう。
そうだ。ロザリーは本当はずっとずっと、父の期待に応えたかった。魔術師になれないことを申し訳なく思っていた。医師になった今も……その気持ちは変わらない。
「それなのに、お父上をボッコボコにして、貴女を拐うような形で嫁にしたら、貴女はきっと私に隠れて悲しむでしょう? 父を裏切ってしまったと」
「だから、我慢したって言うの? 貴族嫌いの〈ミネルヴァの悪童〉が?」
ルイスは貴族のことを嫌っていたし、将来は自由に旅をするのだと口にしていた。
だが、彼は自らその自由を捨てたのだ。ロザリーを手に入れるために。
唖然とするロザリーに、ルイスはすまし顔で言う。
「私が七賢人になれば、お父上の期待にも応えられる。貴女も将来安泰。良いことづくめです。だったら多少の我慢ぐらい目を瞑りますよ」
ロザリーは長い、長い溜息を吐くと、片手を額に押し当てる。
そして、赤くなった顔を隠して呟いた。
「私、箱入り娘だったのよ」
「……?」
ルイスは不思議そうに首を傾け、目線で続きを促す。
ロザリーは指の先で、ためらいがちにルイスのローブの裾を摘んだ。
「……だから、大胆不敵で口の悪い不良さんに、惹かれてしまったの」
真っ赤になって、もにょもにょと口を動かしていると、隣に座るルイスは体を少し傾けて、ロザリーの頬に口付けを落とす。
ロザリーが頬を押さえて上目遣いにルイスを睨めば、ルイスは悪戯っぽく唇を舐めた。
「両想いなら、もう何も問題はないでしょう?」
「……せめて、私の前では前みたいに喋ってよ」
「勿論、二人きりの時だけなら」
ルイスは胡散臭いことこの上ないキラキラした笑みを浮かべていたが、そのままスイッと上半身を傾けてロザリーの耳元に唇を寄せた。
「地獄耳と名高い貴女のお父上も、寝室までは聞き耳を立てないでしょうしね?」
耳まで赤くなるロザリーにルイスが向けた笑みは、ニヤリと八重歯を見せる懐かしい笑い方だった。




