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【19:ルイス・ミラーの過去】

「ロザリーを突き落としたのは、お前ですね? 〈風の手の魔術師〉アドルフ・ファロン」

 ルイスの言葉に、ロザリーは息を飲んだ。

(……私が落ちたのは、事故でも自殺でもなかった?)

 ロザリーは自分が屋上から転落したのは、ルイス・ミラーとの婚約が嫌で、自ら屋上から飛び降りたからでは……と思っていたのだ。

 だが、アドルフ・ファロンが突き落としたとなると、事情が変わってくる。

 これは殺人未遂の「事件」だ。

「な、にを……根拠に……」

 鼻血で汚れた唇を動かしてアドルフが呻けば、ルイスはそんなアドルフを小馬鹿にするように鼻で笑った。

「以前、騎士団詰所の裏で会った時、お前は私が『事故の調査をしている』と口走りましたね?」

「それが、なんだって……」

「ロザリーの転落事故がどこで起こったのかに関して、私は箝口令をしいているのですよ。ロザリーが屋上から落ちたことを知っている人間は、ロザリーが転落する前後に会っているごく僅かな人間のみ。それ以外の人間は、ロザリーがどこから落ちたのかまでは知らない」

 ポーラが「ロザリーは屋上から飛び降りた」と勘違いしたのは、その直前までポーラとロザリーが屋上にいたからだ。

 騎士団の人間でも魔法兵団の人間でもないアドルフ・ファロンが、事故の現場を知っているのはおかしい。

「それなのに、どうしてお前は騎士団の裏手にいる私が『事故の調査をしている』などと思ったのですか?」

「そ……れは……」

「お前は遠方から風の魔術を使って、ロザリーを屋上から突き落としたのでしょう? 私を七賢人候補から蹴落とし、自分が七賢人になるために」

 ロザリーは背筋がぞっと冷たくなるのを感じた。

 先程アドルフはロザリーが記憶障害になった事故に関して「屋上から落ちたアレか?」と口走っている。

 だが、ロザリーが屋上から落ちたという情報が伏せられているのだとしたら……ロザリーが屋上から落ちたことをアドルフが知っているのはおかしい。

(……この人、私を突き落としておいて、婚約を持ちかけたの……っ!?)

 思えば、アドルフが唐突に婚約を切り出したのも、ロザリーが記憶喪失だと判明してからだ。

 つまり、アドルフはルイスを失脚させるためにロザリーを屋上から突き落とし……そして、ロザリーが記憶喪失になって生き延びていると知るやいな、今度は婚約を申し込んだ。

 七賢人の娘であるロザリーと婚約することで、七賢人選考を有利に進めるために。

 青ざめるロザリーをルイスはちらりと横目で見る。だが、それも一瞬。ルイスは抵抗されてもすぐに対処できるよう、その鋭い眼光をアドルフへと戻した。

「正直、私は〈飛翔の魔術師〉と〈沈黙の魔女〉の関与も疑っていたのですよ。ですが〈飛翔の魔術師〉は七賢人の座を辞退したから動機が無い。〈沈黙の魔女〉は事件当日はまだミネルヴァの研究室にいたことをラザフォード先生が証言している……ついでに言うと〈沈黙の魔女〉は飛行魔術が使えないから、ミネルヴァと事件現場を短時間で往復するのは不可能」

 ルイスはアドルフの腹を踏んだまま、ぐっと腰を折ってアドルフの顔を覗き込む。

「あの時、私は言ったでしょう? 『今だけは、見逃してやる』と。あの時はまだ、確証が持てなかったら、見逃してやったのです…………お前に『次』など、無いのですよ」

 ルイスは見る者の背筋が凍るような笑みを浮かべて、その目を抜き身の刃のようにギラリと輝かせた。

「さて、事件当日のアリバイをお聞かせ願えますかな〈風の手の魔術師〉殿?」

 ルイスから威圧されてもなお、アドルフはまだ戦意を失っていないらしい。

 アドルフは憎悪に満ちた目でルイスを睨み、憎々しげに吐き捨てる。

「……っ、ぅぅ……こ、こんなことして、ただで済むと思うなよっ、オレには後ろ盾が……」

「クロックフォード公爵でしょう? 存じておりますとも。ところでクロックフォード公爵は、お前が七賢人の娘を害したと知っても、庇ってくださるような寛大なお方なのですか?」

 ルイスが芝居がかった仕草で首を傾ければ、アドルフの顔色は目に見えて悪くなった。

 クロックフォード公爵。第二王子を擁立し、この国で最も強い権力を持つ大貴族。

 その辣腕ぶりは、この国の貴族なら誰でも知っていることだろう。

「クロックフォード公爵の人柄は、よーく存じあげております。私も何度か因縁をつけられましたからねぇ……あの残忍なジジイは、お前が事件を起こしたと知ったら、お前が捕まる前に口を封じるでしょうよ。事故死を装って」

 クロックフォード公爵は七賢人に自分の手駒を増やすべくアドルフを支援し、彼を七賢人にしようとした……が、アドルフが問題を起こせば、当然クロックフォード公爵は非難されることになる。

 そうなる前にアドルフを始末してしまえばいい、とクロックフォード公爵が考えても、なんら不思議ではない。

 そのことに今更気づいたらしいアドルフは、真っ青になってガタガタと震え出した。

 クロックフォード公爵の残忍さは、貴族の子である彼なら当然、耳にしているのだろう。

「私はクロックフォード公爵よりは寛大ですよ。さぁ、大人しく連行されてくれますね?」

 ルイスは物騒な笑みを引っ込め、穏やかで優しげな笑みを向ける。

 その笑顔にアドルフ・ファロンは吐き捨てた。

「ふざけるなよ、この雌顔野郎っ、お前のその笑顔は世界で一番信用できな…………ぐえぇっ!?」

 アドルフの腹を踏みにじるルイスは、唇の端を持ち上げて白い八重歯を覗かせる。

 その笑い方をロザリーはよく知っていた。アドルフもまた、何かを思い出したような顔で青ざめる。

 ルイスは前に垂れた三つ編みをピッと指先で払い、ゆるりと首を傾けた。

「学生時代にその発言を繰り返したお前を、ひん剥いて木に吊るして見せしめにしてやったのをお忘れですか、アドルフ・ファロン? ……私はあの時、お前に言ったはずです……『次にそれ言ったら、タマ潰すぞ』と」

 雌顔と評された美しい顔に凶悪な笑みを浮かべ、ルイス・ミラーは片足を持ち上げる……アドルフ・ファロンの股間の上に。


「お望み通り去勢してやるよ、クソ野郎」


 北国訛りのある言葉で吐き捨てて、ルイスは持ち上げた足を勢い良く振り下ろした。



 * * *



 ルイスが飛行魔術で執務室の窓から飛び出して行った後、それを追いかけようとしたライオネルとグレンを引き止めたのはルイスの契約精霊であるリンだった。

 わたくしでしたら、お二人を現場までご案内できます……そう提案したリンは半球体の結界でライオネルとグレンを包むと、その結界ごとふわりと飛び上がり、窓からルイスを追いかける。

 飛行魔術は極めて高度な技術だ。誰にでも使えるものではないし、まして術者以外の者を一緒に連れて飛ぶのは大変難しいことである。それを容易くやってのけるのは、流石風の上位精霊といったところか。

 ライオネルが感心しながら風の結界を眺めていると、すぐ横であぐらをかいていたグレンがポツリと呟いた。

「……正直、意外っす。師匠が、その……〈ミネルヴァの悪童〉って呼ばれてる、ワルだったなんて」

「ワル、というのはよく分からんが、よく喧嘩をしていたのは事実だな。ルイスは平民……しかも、国境沿いにある貧しい寒村の出身。貴族達の苛めの標的にされやすかった」

 ミネルヴァは校則で「魔術という学問の前に身分は関係ない」と定めているが、実際は貴族階級の生徒が平民出身者を支配していた。

 例え同じ制服を着ていても、身分の違いというのは一目で分かるものだ。

 特に分かりやすいのが靴。貴族階級の者や裕福な者は、ピカピカに磨かれた美しい靴を履いているが、平民は靴に汚れや綻びがあるから、違いは一目瞭然。

 そして、ライオネルの同級生の中で一番ボロボロのブーツを履いているのが、ルイス・ミラーだった。

 ルイス・ミラーは靴を見ずとも一目で貧しい家の出身だと分かるほど、貧相な身なりをしていた。

 ガリガリに痩せた栄養の足りていない体に、ろくに手入れされていないパサパサの短い髪。唇はひび割れ、指はあかぎれだらけ。

 喋る言葉は訛りが強く、クラスメイトは彼が何かを話す度に彼を指さして嘲笑った。平民出身の者ですら、ルイスを自分達より下に見て、貴族達の苛めに加担した。

 ……だが、ルイス・ミラーはやられっぱなしで黙っているような性格ではなかった。

 ルイスを小突いた者は鼻血が出るまで顔を殴られ、足を引っ掛けて転ばそうとした者は、その足を踏み砕かれた。

 それならばと魔法戦で報復しようとした者は、二度と魔法戦が出来なくなるほど強烈なトラウマを植え付けられて敗北した。ルイスの魔術の才能は、それだけ群を抜いていたのである。

 直接的な攻撃が叶わぬならばと、陰湿な者はルイスの私物に手を出した……が、ルイスの教科書を破いた者は髪を丸刈りにされ、ブーツを泥だらけにした者は肥溜めに叩き落とされた。

 とにかくルイス・ミラーとは苛烈で過激な性格の少年だったのだ。

 友人としての付き合いがあったのは、ライオネルとロザリーぐらいのものである。

「私も、よく喧嘩の仲裁に入っては、巻き添えを食らって殴られたものだ」

 懐かしそうに呟くライオネルに、グレンはひぃぃと恐怖の眼差しを向けた。

 王族を傷つけた罪は、当然に重い。ライオネルの寛大さがなければ、ルイスは百回ぐらい処刑されていただろう。

「オレ、師匠は貴族の人なんだって思ってたっす。なんか、喋り方とか振る舞いがお上品だし」

 グレンの呟きに、リンも小さく頷いて同意する。

「わたくしは、比較的最近ルイス殿と契約した身ですので、以前のルイス殿のことは存じ上げませんが……ルイス殿と契約をした時には、既にあのような感じだったと記憶しております」

 あのような感じとは、いかにも貴族階級の人間らしい振る舞いのことを指しているのだろう。

 ライオネルは厳つい顔をしかめて瞑目する。

 忘れもしない。あれはロザリーがミネルヴァを中途退学して暫く経ったある日のこと。

 ルイスは不貞腐れた子どものような顔でライオネルの部屋を訪れ、こう言ったのだ。


『……オレに、貴族の作法と発音を教えろ』


 ライオネルは普段、ルイスに勉強を見てもらっている身だ。だからこそ、ルイスの力になることに否やはない……が、正直、驚きを隠せなかった。

 ルイス・ミラーは大の貴族嫌いだ。貴族に媚を売って生きるなんてまっぴらごめんだから、ミネルヴァを卒業したらフリーの魔術師になるのだと、いつも言っていた。

 貴族に愛想売るぐらいなら、愛想なんて犬に食わせた方がマシだとまで言っていた男が、貴族の振る舞いを身につけたいなんて、どういう了見なのか。

 仰天し、事情を訊ねるライオネルに、ルイスは渋い顔で〈治水の魔術師〉に会ったことを話した。

 〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデは七賢人の一人であり、ロザリーの父親だ。〈治水の魔術師〉は優秀な魔術師を養子にして、後継者にするべくミネルヴァを訪れ……そして、ルイスと会ったらしい。

 ルイスは間違いなくミネルヴァで一番優秀な魔術師だ。だが、彼の適性は風。水の魔術師であるバードランドの後継者にはなれない。

 バードランドがそのことを指摘すると、ルイスはあろうことか、七賢人の一人〈治水の魔術師〉に向かって、こう言ってのけたのだという。


 ──あんたの養子にしてもらわずとも、オレがロザリーを嫁にするから、問題ないだろ


 大問題である。

 結果、ルイス・ミラーと〈治水の魔術師〉の間で、聞くに堪えない不毛な言い争いが勃発し、最終的にルイスは〈治水の魔術師〉にこんな言葉を叩きつけられたのだという。


 ──無謀な小僧よ、そういう大口は七賢人になるぐらいの実力と実績を得てから言うのだな! それと、その品の無い喋り方と振る舞いをしている内は、死んでも娘を嫁になどやらんわ!


 ルイス・ミラーは驚異の負けず嫌いである。

 売られた喧嘩は全て買うし、上から押さえつけられれば猛反発する。

 かくして、驚異の負けず嫌いは、ライオネルに頭を下げて、貴族に相応しい振る舞いや喋り方を死に物狂いで身につけた。

 竜討伐で得た報酬で真新しい靴を買って、常にピカピカに磨いて。

 パサパサに傷んだ髪には香油を馴染ませて、毎日梳って。

 あかぎれだらけの指に軟膏を塗って、こまめに手入れをして。

 愛想笑いなんて死んでもするかと吐き捨てていた男が完璧な愛想笑いを覚え、貴族達にこうべを垂れて、礼を尽くした。

 そうして彼は魔法兵団団長まで上り詰め、遂には七賢人候補にまで選ばれたのだ。

 全ては、ロザリーとの結婚を〈治水の魔術師〉バードランド・ヴェルデに認めてもらうために。

「ルイスは、誰よりもロザリーを愛している……愛に生きる男だ」

 ライオネルが噛み締めるように呟くと、グレンはビネガーを飲んだような顔をする。

「……あいにいきるおとこ」

 酸っぱい顔でグレンが呻けば、リンが下の方に目を向けてボソリと言った。

「『愛に生きる男』を発見しました。降下いたします」

 既に日は暮れており、眼下の石畳には人影がぼんやりと見える程度である。それでも精霊であるリンは何が起こっているのかが全て見えているらしい。

 ロザリーは無事か? とライオネルが訊ねれば、リンは淡々と答えた。

「ロザリー様は無事です……が」

「どうした? ルイスに何かあったのか?」

 歯切れの悪いリンにライオネルが詰め寄ると、リンはやはり表情一つ変えずに言う。

「アドルフ・ファロン殿が股間を踏み抜かれ、瀕死です」


「「…………」」


 何があったのかを察したライオネルとグレンは、無言で内股になった。


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